その4

 俺は本堂とは別棟になる『離れ』に案内された。


 四畳半ほどの部屋で、床の間、文机、それに本棚があるくらいで、各別飾りつけのない、至って質素な部屋である。


 庭に面した障子が明け放され、外から涼しい風と共に、子供たちが遊んでいる声が聞こえてくる。


 しばらくして襖を開けて入って来たのは、20くらいの、おかっぱのような髪型をして、藍色の作務衣を着た女性だった。


 彼女は俺と住職の前にお茶を置き、頭を下げた。


『朱美さん、心配しないでいいのよ。あの連中、もう帰ったから』

 住職がそう言うと、

 彼女は『すみません』と小声で言い、もう一度頭を下げ、部屋を出て行った。


『あの子、元々不良でしてね。さっきのあの連中の仲間なんです。』

 

 向こうには彼女をどうしても取り戻したい事情があるのだろう。だが、俺はそれ以上深く訊ねはしなかった。

 何でもここは親がなかったり、家庭の事情で離ればなれになっている3歳から15歳くらいの子供を10人ほど預かって世話をしているのだという。

 彼女は住職兼園長、その他に通いでやってくる職員がいるそうだ。


 俺は自分の要件を手短てみじかに、しかし正確に話した。


『・・・・そうですか、交通事故に・・・・でも命に別条がなくてよかった。』


 住職、今の名前は春光尼といい、元の名は麻恵。つまりジョージの実の母である・・・・は、心からほっとしたようにそう言って、茶を啜った。


『私、本当に欲の塊みたいな人間でした。自分のことしか考えない。自分さえ良ければそれでいい。本当にそう思っていたんです。だからあの若い男に夢中になって、あの子を置き去りにしてしまったんですの』


 結局、その若い男とは、それから二年ほど一緒に暮らしたが、結局別れてしまったという。


『人間って、一緒に暮らしてみると、色んなことが分かるものなのですね。いいところだけじゃなく、嫌な所も沢山。それまで夢中になっていただけ、その相手の嫌なところが増幅されてしまうんです』


 彼女はその後、荒れた生活を繰り返し、結局四十を過ぎてこの寺の先代住職と出会い、得度して今に至っているという。


『何度あの子を迎えに行こうと思ったかしれません。でもその度に、私の中の”おんな”が頭を持ち上げてきて・・・・勝手なものですね』


 彼女は懐から小さなハンドタオルを取り出して目を拭いた。

『だから・・・・今更あの子の前におめおめと顔なんか出すなんて出来るかどうか』


 俺は茶をすすり、室内を見回した。


 彼女が使っている文机の前には、一枚の古びた絵が、額に入れて壁に留めてある。


 恐らく画用紙にクレヨンで描かれたものだろう。

 お世辞にも上手いとは思えないが、肩まである髪の毛が特徴的な、白いブラウスに赤いスカートをはいた若い女性の姿がそこにあった。

『あれは、住職・・・・いえ、貴方ですね?』

 彼女は頭を絵の方に向け、何か遠くの、懐かしいものでも見るような目つきをして言った。


『息子を偲ぶ唯一の品ですわ。確か三歳くらいの頃でしたか、私の事を描いてくれたんです。嬉しくってね。あれだけは離さずに持っているんです』


 住職の目尻に、涙の粒が膨らんだ。


『女でありたいと思う気持ちは、もう捨てましたけど、母親でありたかったという気持ちは、やっぱり捨てられませんでした・・・・』


 気丈に見えた老尼僧は肩を震わせ、嗚咽した。

『こんな私でも、あの子に逢えるでしょうか?』


『向こうがそう言ってるんです。そして、それを叶えてやるのが、私の仕事です』


 





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