第4話 常在戦場ですことよ

数日後高らかに「出港」を宣言しトラック環礁を離れた『揖斐』の主砲弾薬は満載であった。

結論からいえば大和の制圧はごく短期間で成功した。

というのも大和の乗組員の半数は半舷上陸で艦内におらず、また海軍は艦内で銃器の携帯をほとんど行っていないのである。

確かに万一の白兵戦や今回のように急遽艦内で陸戦隊を編成する可能性もあることから艦内にも銃器は保管されている。

しかし本来白兵戦を行うと言うようなことは考えられないので纏めて武器庫に格納され施錠されているのである。

しかも今回のように完全な味方支配地域の中ではそれが必要になるような事態はまったく想定されていなかった。

無論士官以上の者は軍刀を携行し、短銃も所持しているが、数は僅かであり突如接舷して雪崩れ込んで来た揖斐陸戦隊を押しとどめる事は不可能であった。

むしろ茫然としている間に三八式歩兵銃を突きつけられ、武装解除されるものもいたほどである。

そして艦内構造を熟知している八品中佐は航海艦橋、昼戦艦橋、武器庫などを抑えると同時に長官公室を乗艦から一〇分で鮮やかに占拠して見せたのである。


「お久しぶりです。長官。」

突如として旗艦を襲った不可思議な事態に目を丸くしながらも表面上は泰然として連合艦隊司令長官山本五十六大将は八品に目を向けた。

「八品中佐、いったいこれは何の真似だね。嫁入りのあいさつに来たというのならもう少しお淑やかにしてくれるとありがたいのだが。」

「あら長官御心配には及びません事よ、あと二、三年は箱入り娘の境遇を享受したいと思ってますの。」

そういって高らかに笑いながら八品は右手を腰に当て向き直った。

「実は私達困ってますの。なんでも補給部のなんたら坂とかいう変人中佐が主砲弾の補給を認めてくださらなくて、明後日には出撃なのに私(わたくし)の艦は定数以下しか弾薬がありませんの。」

「そこで、大和ホテルに備蓄されている副砲弾を頂きたいと考えこうして長官のご許可を伺いに参りましたの。」

にこやかに述べながらテーブル上におかれた茶菓子を一つつまんだ様子はまだ幼い少女にも見えたが、やっている事は危険極まりない事であった。

「大和から供出するのであれば艦長の許可がいるから俺の判断ではどうにもできんぞ。それにわざわざ旗艦を制圧しなくとも普通にこればいいじゃないか。」

「あら長官、常在戦場ですことよ。いつ、いかなる時でも戦う用意をしておかねばなりませんわ。第一今回の私達はごく少数でありながらこうして長官の御身を抑えることに成功しましたわ。これが敵なら今頃この大和ホテルは完全に支配下に置かれていましてよ。私は以前に米海軍、アジア艦隊の駆逐艦を強襲拿捕した事がありますわ。同様の事を敵が考えないとは言えません。是非艦内警備の見直しをお勧めしますわ。」


にこやかに言い放たれた言葉であったが、その内容は確かに重要な問題を内包していたのである。

そもそも艦隊旗艦が一軽巡洋艦の出来合い陸戦隊に占拠されるということ自体が大問題なのである。しかもただの旗艦ならまだしも乗っているのは連合艦隊の司令部と主力の第一艦隊司令部なのである。

敵が本当に八品の言うとおりこの艦に強襲を仕掛け、制圧したとしたらその瞬間に日本海軍の指揮系統は半壊状態になってしまう。連合艦隊司令長官の頭に銃を突きつけ交渉を迫られれば、いかな精強を持って鳴る日本海軍といえども無謀な真似は出来ない。

まして最新鋭の戦艦である大和を奪われた場合に対抗できるのは同型艦である武蔵と異母妹である戦艦近江しかいないのであるから下手に戦闘を仕掛けても返り討ちにあうだけになってしまう。


さすがに連合艦隊司令長官だけあって山本はそれに瞬時に思い至ったのだろう。低く唸ると次は諦めたような溜息を洩らした。

「流石だな八品中佐。確かにその通りだ。そもそも貴官らにいとも簡単に制圧されるというところで大問題だな。いくら味方の勢力圏内だからといって油断していたのでは、我々はいつ真珠湾攻撃時の米海軍と同じになってしまうかもしれぬ。まして失敗したとは言っても空母に陸軍機を載せて東京を空襲しようとした彼らがコマンド部隊を送り込んでくる可能性はあると見ておかなければなるまい。」

「だが、この帳尻をどうやって合わすのだね中佐。貴官らが乗り込んできたことは多くの乗組員が知っておるし、武力制圧したといってもこの大和すべてを抑えることはできまい。」


「あら簡単ですわ。長官から艦内放送で演習終了を宣言していただければいいのですわ。『此度の演習は敵コマンドが艦内に侵入した場合に備えての演習であった。その為乗組員にも知らせずに演習を実施したのである。此度の演習には、軽巡洋艦揖斐の乗組員が敵コマンドとして侵入する役割を担った。奮戦中の艦内各員並びに揖斐乗組員は全員演習終了後上甲板に集合せよ』そうお命じになっていただければ私の部下はすぐさま制圧を終了します。それに部下たちには弾の入っていない三八式歩兵銃と軍刀以外は持たせてありませんので乗組員にも損害は出ていないはずです。」

それを聞くと山本もほっとした表情を浮かべた。さすがに艦内で銃撃戦までやられていたのでは収拾がつかなくなってしまう。それに死人が出ればさすがに責任問題になるのは明白であった。

もっとも計算高い八品中佐がそんな危険性を見逃していたとは思っていなかったが、それでもすでに完璧なまでのシナリオが組みあがっているということに思わず感服した。

「わかった。貴官の言うとおり艦内放送で演習終了を宣言しよう。」

「ありがとうございます。長官。」

にこやかに謝辞を述べた八品はそれでも自分の要求を忘れてはいなかった。

「それでは補給の方の件よろしくお願いしますわ。あと少し色を付けてくださるとありがたいのですが。」

「わかった。その点は何とかしよう。艦長に話はつけておく。もっとも彼は今頃茫然としているかもしれないが。」

昼戦艦橋に居るはずの艦長からの艦内放送がないということは、彼が事態を把握する前に陸戦隊に制圧されたということだろう。今頃彼はこの後どうなるかと呆然としているはずである。

そのことに同様に思い至ったのだろう。口元に笑みを浮かべた八品は

「昼戦艦橋は部下達が制圧しています。長官以外に命令を出せる方はいらっしゃいません。艦内放送をどうぞ。」そう言って傍にあった電話機を差し出した。

「達する。大和乗組員並びに揖斐陸戦隊各員へ。演習終了。繰り返す。演習終了。

此度の演習は敵コマンドが艦内に侵入した場合に備えての演習であった。その為乗組員にも知らせずに演習を実施したのである。演習には、軽巡洋艦揖斐の乗組員が敵コマンドとして侵入する役割を担った。奮戦中の艦内各員並びに揖斐乗組員は全員演習終了後上甲板に集合せよ。なお各担当部署士官は一八〇〇より演習報告を行うよう。以上である。演習御苦労。」

「ありがとうございます長官。それでは補給の件よろしくお願いしますわ。」

では、と言うと八品は見事な敬礼を返し退出していった。


その姿を見送り、少なくなった髪を撫でながら山本は呟いた。

「ふう。やれやれ、また厄介事を持ち込んでくれたな。」

「まぁ、ああいう女傑がいるからこそ海軍の変革や頭の固い連中の横面をひっぱたくような作戦も実行できるのだが。

あれでは嫁の貰い手に苦労するな。」

余計なこととは思いつつもわが子と同年代の八品をみるとつい心配になってしまう。それが山本という人物であった。

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