第4話 家族&命を懸ける理由①

 目を開けて、最初に視界に映ったのは白い天井だった。

 いや、よく見ると完全な白ではない。

 経年劣化によって、少しずつ黄ばみが進行しつつあるし、僅かだがカビも生えている。


「うっ......」


 腰をおさえながら立ち上がる。

 体の節々が痛い。

 ハジメがいるのは、大学の学生寮の自室。その浴室の浴槽の中だった。

 浴槽の中で寝るというのは初めての体験だったが、寝心地は最悪と言ってよかった。

 安物の薄い敷布団では、床の固さを軽減することができないし、なにより足を延ばすことができない。

 浴室から洗面所を経て、廊下へと出る。


「あー、よく考えたら、わざわざ浴槽で寝なくても廊下で寝ればよかったんだ......」


 まだぼんやりとしている頭を片手で押さえて、うめく。

 廊下と言っても実際は2メートルもないが、それでも足が延ばせるだけ、浴槽よりは遥かにマシであった。

 ふと、すぐ右のキッチンで人の気配がし、そちらの方に目を向ける。

 時代遅れのガスコンロの前にリーシャが立っており、みそ汁を鍋から御椀に注いでいた。

 

「ああ、おはよう。冷蔵庫に食材があったから朝ごはん作ったんだけど、まずかった?」


 こちらに気づいたリーシャが、御椀を御盆にのせてから振り返る。


「いや、問題ないよ。悪いね、手間取らせちゃって」

「別にいいわよ。料理は趣味だから」


 そう言って、リーシャは、料理の入った器を御盆で運んで、居間のテーブルに並べる。

 何故リーシャがハジメの部屋にいるのか。

 その過程を説明するには少し時間を遡らなくてはならない。




 ────昨夜、悪魔を倒して間もなく。


「そういや、リーシャって、どこに住んでいるんだ?」


 まだ、歩けないリーシャを背負って、ハジメは尋ねかける。


「ここから、徒歩で40分くらいのところにある住宅街の空き家に隠れ住んでる」

「あ、空き家!?」


 予想外の返答にハジメは声を上げた。

 知らない世界に来て、たった1人で先ほどの怪物────悪魔と戦い、空き家で寝泊まりするリーシャを想像し、なんだかいたたまれない気持ちになる。


「空き家かあ......あー、じゃあウチ来る? 大学の学生寮だから狭いけど」

「そこまで、迷惑をかけるわけには......」

「いいって。もう契約してしまったし、これから一緒に悪魔と一緒に戦う仲なんだからさ。まあ、無理強いはしないけど、まだ歩けないんだし、とりあえず今日は泊まっていきなよ」

「......わかった」


 リーシャはしばらく悩んでいたようだが、やがて諦めたように呟いた。




 それから、10分ほど歩き、学生寮の前まで来た。

 学生寮とはいっても、見た目はごく普通の2階建てのアパートである。


「よく考えたら、男女が一つ屋根の下って......割と問題あるよなあ......」


 今更過ぎる問題にようやく気付く。

 とはいえ、ここまで来てしまった以上もう遅い。


「ああ......いや。心配しなくてもそういうことはしないから......」


 言い訳混じりに背中のリーシャの方を向く。


「......すう」


 返事の代わりに聞こえてきたのは、小さな吐息だった。

 よっぽど疲れていたのだろう。

 リーシャは、舟をこいで眠っていた。

 思わず、苦笑する。

 リーシャを起こさないよう、ゆっくりと階段を昇り、廊下を渡る。

 自分の部屋の鍵穴に鍵を差し、ロックを解除して、中へと入った。


 ひとまず、居間のベッドにリーシャを寝かせる。

 リーシャの身体の節々にある小さな傷が目に入った。

 

「一応、手当しといた方がいいのか? いや、でもせっかく寝ているのに起こすのもなあ......」


 ベッドの前で、悩んでいると、突然、リーシャの傷口が光り始めた。


「え?」


 目を凝らし、顔を傷口に近づける。

 まるで、映像の早回しの様に、みるみるうちに傷口が塞がっていった。


「怪我が治っている? これも魔力のおかげなのか?」


 眉をひそめる。

 だが、当のリーシャは眠っていて答えることができない。

 数分ほどかかって小さな傷は全て塞がったように見えた。 


「ま、怪我が治るっていうのはいいことだよな。そこら辺は明日聞けばいいか」

 

 そう結論付け、リーシャに布団をかける。

 疲れが溜まっているのは自分も同じだ。

 ハジメは、部屋の隅のタンスから予備の布団を取り出し、浴室へと向かう。

 浴槽に布団を敷き、足を曲げて無理やり寝そべった。




 そして、夜は明け、現在────


 ハジメは、テーブルの向かい側に座り、食事を取っているリーシャの顔や腕を念入りに見回す

 雪の様に白い肌には、傷一つ見当たらなかった。

 やはり傷は全て治っているようだ。

 

「? 食べないの?」


 未だ、箸にすら触れていない、ハジメをリーシャは怪訝そうに見る。

 幸い、舐める様に肌を観察していた事には気づいていない様だった。


「......ああ! 食べるよ。いただきます」


 慌てて、手を合わせて、箸を取る。

 朝食のメニューは、白ご飯と味噌汁、キャベツの千切りと目玉焼きだった。

 味噌汁を一口飲んでみる。


「......美味い」


 ただ味噌を溶いただけじゃない。事前に鰹節で出汁を取った味噌汁だった。


「あれ? というか、よく味噌汁なんて知っていたね。ごはんもちゃんと炊けてるし。向こうにもあるの?」

「流石に全く同じものは無いけど、こっちに来てもう半年だからね。それにこういうものも部屋に置いてあったし」


 そう言ってリーシャがハジメに見せたのは一冊の本だった。

 『初めての自炊生活』というタイトルが表紙に書かれている。

 一人暮らしを始める前に、ハジメが買ったものだった。

 とはいえ、実際に一人暮らしを始めてからは、学食やバイト先のまかないで食事を済ませる事が多く、ほとんど活用していなかったのだが。

 ハジメは、『なるほどね』と納得するが、すぐにあ、と思い出した様に言った。


「そうだ、足の具合はどうなんだ? 結構腫れてたけど?」

「それなら大丈夫。昨日も言ったけど、魔力は肉体を活性化させる効果があるから自己治癒能力も上がっているの。そもそも、さっきから普通に歩いていたでしょ」

「え、ちょっと見せて」


 ハジメは立ち上がり、テーブルを回ってアイシャの方に行く。

 小さな傷は治っていたが、足の方の怪我はもっと重傷だった。

 先ほど、歩いていたし、今も正座して直に床に座っていることから、治りかけてはいるのかもしれないが、心配ではある。  


「いや、まだちょっと赤くない?」

「大丈夫だって」

「いやいや、もっとよく見せて」


 リーシャは足を隠す様に、捩る。

 しかし、ハジメはアイシャの足を掴んで、自分の方に引き寄せようとした。


「ちょっ! ちょっと......触らないでよ!」


 邪な気持ちで行ったわけではないが、デリカシーのかけたハジメの行動に、リーシャは、足を思いきり振る。

 放たれた足裏は、ハジメの額に勢いよく衝突し、ハジメはそのまま大の字で仰向けに倒れた。


「あ......ご、ごめん」


 予想外にやり過ぎてしまい、リーシャは謝る。

 ハジメもようやく、自身の過ちに気付き、倒れたまま呟くように答えた。


「いや......こちらこそ」

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