第76話「さよならは言わないのです」


 耳に入れたBluetoothイヤホンから、黒金の声が聞こえてくる。いつも通りスマホのグループ通話アプリを使って部員の状況を把握していた。


 今日は斉藤へ仕掛ける当日である。


『せんぱい聞こえますか?』

「ああ、聞こえる」

『まずはあたしが最初に斉藤せんぱいに接触すればいいんですよね』


 黒金がいるのは駅から学校へ向かう途中にある商店街だ。斉藤は多聞と打ち合わせをするために学校へと向かっている途中である。


「ああ。無理して演技しなくていいからな。おまえは、斉藤に『何かが起こっている』と感じさせればいいだけだ」

『わかってますよ。けど、あたし凛音姉さまほどじゃないけど、演技はそこそこ上手いんですよ。これで何人かの男の子を落としたことありますから』

「それ、演技じゃないから。ただのあざとさだから」

『えー、あたし自信があったんですけど』


 詐欺行為を褒めるわけにはいかない。けど、彼女の戯れ言に付き合っていても仕方ないだろう。


「まあ、いいや。とにかく斉藤への初撃をよろしく」

「らじゃです!」


 イヤホンからは黒金の元気な声が返ってきた。その数分後には、少し脳天気な声で斉藤に話しかける彼女の声が聞こえてくる。


『斉藤せんぱい。土路せんぱいのこと見ませんでした?』


 テンションの高い黒金に、斉藤の方は困惑気味に反応していた。


『土路? いや見かけてないけど、どうしたの?』


 それに対して黒金は、少し拗ねたようにぼやく。


『約束すっぽかされたみたいなんですよ。時間になっても来ないし、ひどくないですかぁ』

『あいつ、時間にはきっちりしているタイプだったと思うけど』


 斉藤がこちらの思惑に引っかかってくれる。この段階では、「おかしいな」と思わせるだけでいい。


『土路せんぱいを見かけたら、連絡くれるように行ってくださいね。じゃあ』


 黒金はそう言って斉藤から離れる。その数分後に、俺への報告が入る。


『こちら黒金です。初撃終了しました』

「お疲れさん。しばらく駅前で待機しててくれ」

『わっかりました』


 通信を終えると、俺は顔を上げて窓の外をちらりと見る。今日は雲一つ無い快晴。暑くなりそうだな。


 そして今、俺たちがいるのは部室だ。


、黒金とは反対方向に歩いていた斉藤は、もう少しで学校に到着する。未来予知でそれは確定されていた。


「案山、聞こえるか?」


 俺は昇降口近くにいる案山にグループ通話アプリを通して問いかける。


『ええ、聞こえるわ』

「もうすぐ斉藤が登校してくる。設定したアラームが作動したら、通話しているふりをよろしくな」

『ええ、わかってる』


 彼女に渡してある設定時間になると振動するアラームは、斉藤が10メートル以内に近づいたことを知らせるものである。これも未来予知の斉藤の行動から逆算したものだ。


 しばらくするとイヤホンを通して案山の声が聞こえてくる。


「ええ、はい。はい、そうですか。それで彼の容態は……え、そんなに酷いんですか? 搬送先は? ○○病院ですか。住所は……はい、○○市の○○ですね。ええ、いちおう皆でそちらに向かいます」


 案山は斉藤には背を向けて、彼がそこを通っていることにも気付いていないという演技をしている。


 彼女の性格なら、それほど大げさに演技をする必要はない。淡々と台本の台詞を喋ればいいのだ。


 これで、斉藤の耳には何か緊急事態が起きていることが伝わったはずだ。だが、ここで俺の名前を出すと嘘っぽさが目立つ。なので、あくまで斉藤が偶然その情報を耳にしたことにしなければならない。


 俺はテーブルの上にあるタイマーに視線を移す。そこにはカウントダウンタイマーが3分を切って回っていた。


「そろそろだな。志士坂。おまえの演技に期待している」

「わかってる」

「高酉は、なるべく喋るなよ。おまえ、演技あんまりうまくないだろうし」

「わかってるわよ!」


 部室内の空気が張り詰める。斉藤を嵌めるための罠は、志士坂たちの双肩にかかっているのだ。


 タイマーがゼロとなり、ピピピとアラーム音が鳴った瞬間に俺はストップボタンを押し、志士坂に「行け」と合図をする。


 タタタっと二人は焦ったように駆け出していく。タイミングよくこのまま行けば、廊下の角で志士坂は斉藤とぶつかる。


 しばらくすると衝突したような音と「リオン大丈夫?」と高酉の声がイヤホンに流れてくる。


「大丈夫。それより早くいかないと。ごめんね斉藤くん」


 志士坂が痛みをこらえるような緊迫した声でそう告げる。


「いや、こちらは大丈夫だけど、何かあったのか?」


 斉藤が食いついてくる。


「土路君が車に轢かれたって連絡があって……それで病院に」

「え? 土路が? 大丈夫なのかい?」

「わかんない……わかんないの。だから心配なの」


 今にも泣き出しそうな彼女の声。迫真の演技である。


「リオン。早く行かないと」


 高酉が短い言葉で志士坂を急かす。


「うん。ごめんね斉藤君」


 志士坂はそう言って走り出す。マイクは二人が走る足音を拾っていく。


 斉藤が俺のことを心配して病院に着いてこないのは計算済み。奴がとる行動は一つだ。


「ラプラス。最後の仕上げはおまえだ。うまくやれよ」

「まかせて」


 そう言って彼女は立ち上がり、部室の扉を開ける。


 一瞬、足が止まってこちらを振り返る。


「たぶん、これがあなたとの最後の会話になるわ。気持ちが揺れそうだから、さよならは言わないわよ」

「ラプラス……」

「あたしのギフトを忘れないでね」


 そう言うと、しゃがみ込んで頭を抱える演技をしながらドアを閉める。


 斉藤は俺が病院に運ばれたと知って、厚木球沙の本体がどうなったかを確認しにくるだろう。


 なにしろ奴の目的は厚木さんの主人格をぶっ壊すこと。俺の影響がどの程度なのかを知りたいはずだ。


「厚木さん?」


 案の定、斉藤が現れた。扉を一枚挟んで向こう側にはラプラスと二人きりの状態である。


 もちろん、天井にある蛍光灯近くに隠しカメラを設置しておいたので、俺はその様子をモニターできていた。これは不測の事態に陥った時に、俺がすぐに動けるようにである。


「……っ」

「どうしたんだい? 気分でも悪いのかい?」

「……少し頭が痛いだけ、大丈夫だよ」


 彼女はよろよろと立ち上がる。そういう演技でとの指示は出してあった。



「はぁー、なんかこの感覚久しぶりだなぁ」

「え?」

「あれ? サイトーじゃん」


 その呼びかけに斉藤の興奮したような息づかいが聞こえてくる。


「……マリさん?」

「あれれ、いつの間にそんなデカくなったんだい?」


 ラプラスの人格で、最後に斉藤と会ったのは中二くらいだったはずだ。すでに斉藤の今の背の高さを知っていても、知らないつもりで演技を続けている。


「3年ぶりですかね」

「もうそんなになるの?」


 ラプラスは記憶が戻ったことも、俺の心の中で起動していたことも全部すっとぼけて、斉藤に話を会わせる。


「懐かしいです。小学校の頃は二人でよく暴れ回ったじゃないですか」

「あはは。あんた、あたしの後ろをただくっついて回っただけじゃないの」

「楽しかったですよ。あの頃は」

「そう?」


 二人は昔話で盛り上がっていく。


 その後も10分くらいはお互いに語りあっただろうか。そろそろ、頃合いか。ラプラスは例の言葉を斉藤に仕掛ける。


「そういえば、あたしってもうすぐ誕生日なんだよね」

「誕生日? あれ? 誕生日は3月20日ではありませんでしたっけ?」

「それはこの肉体が生まれた日。あんたには言ってなかったっけ? あたしという人格が生まれた日だよ」

「え?」


 斉藤はラプラスが主人格だと思っているので、わりとショックな言葉だろう。だけど、そんな真実を知ったからといって、彼が主人格である厚木さんの人格を壊すことをやめるとは思えない。


「2014年の9月6日だよ。そう考えると、あたしってまだ6歳なんだね」

「精神的には十分大人ですよ。ボクなんかよりずっと」

「その日、あたしが出てこれたら、お祝いしてくれないかな」

「いいですよ。手帳にメモっときますよ」


 彼はそう言って例の手帳を取り出すと、


「あんたって、スマホとか使わずに手書きのメモが多いよね」

「この手帳は思い入れがあるんですよ」


 ラプラスの髪留めにしても斉藤の手帳にしても、何か思い入れが強いものがマジックアイテムに変えられると、悪魔は言っていたそうだ。


「あれ? そういえばさ、2014年の9月6日って何曜日だっけ」


 ラプラスが斉藤の手帳を覗き込むと、彼はページをめくり目的の日付を探す。そこは西暦2000年からのカレンダーがずらりとならんだページだ。


「えっと……土曜日ですね」


 斉藤の指がカレンダーをなぞって目的の日付に触れる。この段階ではリセット能力は発動しない。


「ねえ、サイトー。あなたには感謝しているの」


 ラプラスが斉藤に肩を寄せて顔を近づける。制服越しだが、二人の身体は接触している。奴は緊張のあまり、動きが固まった。その一瞬をついてラプラスが最後の一撃を放つ。


 彼女の指が手帳に触れ、目的の日付を指す。


「2014年9月6日リセット」


 世界は巻き戻る。


 そう。公園で玩具の矢を当てさせて、間接的に彼の未来予知を行ったときに、第三者がリセットを行えるか演算をしたのだ。


 未来予知の条件が『相手に触れる』ことであったように、斉藤に触れて手帳を共有すればラプラスでもリセットを行える。


 能力が個人ではなく、アイテムに紐付けられているゆえに、ある条件下では他人が能力を発動できるのだろう。



**



 リセット後の世界で、まずは日付を確認する。


 デジタル時計に表示されるのは2014年9月6日の文字。今日は土曜日なので学校は休みだ。


、続いて鏡を見て、幼い自分に違和感を抱く。


「身体が小学生で頭脳が高校生か……なんか、そんなマンガあったよなぁ」


 そんな独り言を呟きながら、ふとあいつのことを思い出す。


「ラプラス……」


 呼んでも願っても、もうあいつは出てこない。ここは、ラプラスの人格が出現する前の世界だ。


 悲しみは感じない。涙も出てこない。でも、なにか半身をもぎ取られたような心の痛みを感じる。


 オリジナルの厚木さんの精神に負担をかければ、彼女はまた出現するのではないか? そうしたらまたラプラスと出会え……。


 最低最悪な思考だ。これでは斉藤と同じ。いや、そもそも俺と奴は同類なのかもしれない。


 何かを手に入れるために、何かを犠牲にせずにはいられない。


 違う! 間違えてはいけない。


 厚木球沙という少女を救うためには、ラプラスは絶対に目覚めさせてはいけないのだ。

 そのために俺は6年前に来た。


 これで終わりじゃない。ここから始めなければならない。ラプラスからのギフトを無駄にしないために。


 俺は着替えると部屋を出る。


「おにい、どっか行くの? あたしも行くぅ」


 これまた懐かしい姿の茜がそこにあった。クマのぬいぐるみを抱えながら、甘えた声で俺の袖を引っ張る。この頃の妹は、俺に懐いていたからなぁ。


「ごめん茜。すぐに戻ってくるから、そしたら遊びに行こうな」

「うん!」


 嬉しそうに笑う茜。こんな性格の妹と接するのは何年ぶりだろうか。


 俺は家を出る前にとあるの物を探す。たぶん、うちの父親が3年前に買ってどこかにしまい込んでいるはずだ。


 その目的の物は簡単に見つかった。防災袋の中に入っていたのだ。とはいえ、こんなもの使う機会なんてないだろうに。


 それともう一つ、これは護身の意味で持っていく。使い方はまったく別の物だが。


 外に出ると急いで厚木さんの家の方面へと向かった。彼女とは連絡がとれない。なぜなら携帯電話には厚木さんの番号は入っていないからだ。そりゃそうだ、6年前の今、まだ出会っていないのだからな。


 とはいえ、記憶リセットの除外を彼女も受けている。ラプラスがいなくなったこの世界ではオリジナルの厚木球沙が目覚めているはずだ。


 電車に乗り、彼女の家へと急ぐ。


 降車すると駆け足で階段をかけあがった。


 通学用のICカード乗車券を、今の小学生時代には持っていなかったので改札を出るときに少しもたつく。いつものクセで、ポケットからカードを出そうとして改札機の出口のストッパーにぶつかってしまったのだ。


 周りからは注目され、笑われてしまう。


 習慣って怖いよなと思いながら、別のポケットに入れていた切符を取り出すと、今度はスムースに改札を抜けた。


 と、そこには見たことあるような……というか、ロリ化した厚木さんが立っていた。


 いや、ロリ化じゃなかった。時間がリセットされて小学生に戻っただけである。


「土路クン!」


 小学生の彼女は、高校生の時のようにロングの髪ではなく、ショートヘアであった。6年前の姿とはいえ、俺の大好きな厚木さんの面影は消えていない。


「厚木さん! 良かった、すれ違いになるかと思ったから」

「それよりもどういうこと? わたしたち、こんなに幼くなってしまったんだけど」

「6年前にリセットしたんんだよ」

「斉藤くんがやったの?!」

「正確には俺たちの策略で、強制的にリセットさせた」

「?!」


 厚木さんは、よく理解できないようで首を傾げる。


「詳細は……そうだな、歩きながら話そう」


 そう言って、俺たちは歩き出す。彼女と出会えたのだから、あとは真っ直ぐに目的地に進めばいい。


「ねぇ、何があったの?」


 隣を歩いている厚木さんがそう問いかけてくる。


 どこから話そうかと頭の中を整理しているところだったので、思わず彼女の声を聞き逃すところだった。


「ん? 俺が斉藤に刺されたところまでは覚えているよね?」

「う、うん。まさか、あんなことになるなんて思わなくて……そしたら頭の中が真っ白になって意識を失ったみたいなの」

「じゃあ、その後のことから話すか。かなりトンデモ話だから笑わないで聞いてほしい」

 俺はラプラスが目覚めたこと、そして彼女の過去の話、その後の斉藤に仕掛けた『悪魔の誘惑作戦』の詳細を説明した。


「じゃあ、そのラプラスさんって人格は消えちゃったの?」

「……」


 あらためてそう聞かれると言葉に詰まってしまう。


「ごめん……土路クンにとっては大切な人なんだよね。それに斉藤クンにとっても」

「すべてはあいつが元凶なんだからしかたない」

「また土路クンに助けられたのね」

「助けたなんて甘っちょろいものじゃないよ。俺はラプラスを犠牲にして厚木さんを選んだ」


 胸が苦しい。最愛の女の子が生きて目の前にいるというのに。


「土路クン……」


 厚木さんに俺の苦しみが伝わってしまう。彼女につらそうな顔はさせられない。俺は歯を食いしばり、感情に楔を打つ。


「厚木さん。リセットされてもすべてが終わったわけじゃないんだ。悪魔との因縁を終わらせなきゃいけない」


 俺は前を向いてひたすら足をすすめる。早足になってしまったが、厚木さんも付いてこられる速度にはしている。


「どこいくの?」

尾白満おはくま神社だよ」



◆次回予告


悪魔との因縁に終止符を打つ!


次回、第77話「これで終わりじゃないのです」にご期待下さい!


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