第34話 『麗』結成前夜

「勝子! 姫野! お願いだ! もうこれ以上は止めてくれ!」


 何時からそこに居たのか? 麗衣ちゃんは木陰から姿を現して私達にそう訴えた。


 姫野先輩は私と戦っている途中である事など忘れたかの様に、麗衣ちゃんの姿に目が釘付けになっていた。


「麗衣君! 君の怪我は完治したのかね?」


「とっくに治って退院したよ! それよりか、今はテメーの方が酷い有様じゃねーか!」


 麗衣ちゃんは姫野先輩に駆け寄ると愁いに帯びた表情で彼女の顔を覗き込んだ。


 その表情を見て、私は胸に刃を突きたてられたような痛みを感じた。


「―っつ!」


 これ以上二人を見て居られなくて、私は軽く舌打ちをすると背を向けた。


「待て、勝子!」


 去ろうとする私の背に麗衣ちゃんは声を掛けてきた。


「何? 麗衣ちゃんが止めろって言ったから止めたんじゃない!」


 抑えようと思っていても感情の高ぶりは抑えきれず、自然とトーンが高くなっていた。


「その……勝子。喧嘩の途中からだけど、お前の話を聞いて、あたしの事を想ってくれているのはよく分かったよ。だから、お前等二人でこれ以上傷付け合うのは止めて欲しいんだ」


 麗衣ちゃんが申し訳なさそうに言う顔を見ると、私は何も言えなくなってしまった。


「ヤレヤレ……喧嘩に水を差してくれるなんて、如何して君がこんな所に居るんだい?」


 姫野先輩は私も聞きたかった疑問を麗衣ちゃんにぶつけた。


「ああ、環から聞いたんだよ」


「環が?」


「ああ、お前が恐らく勝子を潰す気だろうから、殺し合いになりそうになったら二人を止めてくれって言われてな……あっ。これ、環に言うなって言われていたな」


 麗衣ちゃんはうっかり喋ってしまった事を後悔する様に口を手で押さえた。


「全く……環には絶対にこの事を誰にも話すなと言ってあるのに……あの子には制裁が必要だね」


「いや……アイツなりにお前等の事を心配して言った事だから、アイツを責めないでくれ」


「……冗談だよ。それにしても、まさか環が君を頼る何て思いもしなかったよ」


「だろ? アイツからすれば大っ嫌いなあたしに頼んだぐらいだから、見逃してやってくれよ」


「……まぁ、君がそう言うならば仕方ないが……」


 姫野先輩は地面に力を使い果たしたかの様子で座り込んだ。


「勝子君。君はどうするかね? まだヤル気かい?」


「いいえ。麗衣ちゃんが止めて欲しいなら私は逆らったりしません」


「そうかい。じゃあ、僕の負けで良いよ。正直立っているのもやっとだったし、これ以上戦うのは無理だ」


 こちらの方がダメージは大きいはずなので、少しも納得がいかない。


「勝ちを譲られたって嬉しくありません」


「いや、心底これ以上君とは戦いたくは無いんだ。こんな気持ちにさせられた相手は過去に麗衣君ぐらいだよ」


 これが本音だとすれば、一見弱点が無さそうな姫野先輩もメンタル面の弱さを抱えているという事だろうか?


「じゃあ、私の勝ちなら麗衣ちゃんの為にこの力を振るって良いって事ですね?」


「それは……」


 姫野先輩が返事に窮していると、麗衣ちゃんは首を振った。


「勝子……姫野。今のあたしはお前等を頼るつもりは無い」


「如何して! 私じゃ頼りないって事なの!」


「そうじゃねーよ! 寧ろその逆だ!」


 はあっ。と麗衣ちゃんは一つ溜息を挟むと説明を始めた。


「本来ならこんな無益な喧嘩、さっさと止めさせるべきだったんだけどな……あたしの立ち位置とお前等の実力……特に勝子の強さをこの目で見たくて止められなかった……正直、魅入っていたんだよ。あまりにもお前らが強すぎてな」


「だったら猶更だよ。私を利用すれば良い」


「話は最後まで聞いてくれ……前も言ったけれどお前には道を踏み外して欲しくないって言うのもあるけど、それ以上にお前の意志は固い事はあたしに伝わって来た」


「だったら良いんじゃないの?」


「いや……それでも、今のあたしにはお前等の力を借りる資格は無いんだ」


「如何いう意味なの?」


 私の視線を避ける様に麗衣ちゃんは目を伏せた。


「……その……言いたかねーけど、二人に比べてあたしが余りにも弱すぎるって事だよ。今日のタイマンを見てはっきり分かったぜ。このままじゃ仮に二人の力を借りたとしても、あたしが足手纏いになるだけだってな。姫野もそう思うだろ?」


「ああ。確かに女子としては強いかも知れないし、男子でも素人相手ならば充分かも知れないけれど、格闘技を使う男子相手には厳しいだろうね」


 姫野先輩のはっきりとした言い方に腹が立ったが、私も同じことを考えていたので反論出来なかった。


「そーいう事だ。足手纏いは御免だからな」


「じゃあ、暴走族潰しは諦めてくれるのかい?」


 姫野先輩が苦痛も忘れたかのように嬉しそうな顔で聞くと、麗衣ちゃんは首を振った。


「いいや、今はその時じゃないってだけで、の敵討ちを諦めるつもりは無い」


という事は、何時かはやるつもりって事なの?」


 唖然としている姫野先輩に代わり私は麗衣ちゃんに訊ねた。


「ああ……実はまた格闘技始めようと思っているんだ」


「そんな事しなくても私が麗衣ちゃんの分まで頑張るよ!」


「勝子の気持ちは嬉しいけど、アイツの仇はこの手で取らなきゃ意味がねーんだ。でも、このままじゃ多分無理だ……だから、あたし自身が強くならなきゃならないんだ」


 麗衣ちゃんは強く拳を握りしめた。


「ヤレヤレ……僕達との力の差を知りながら、まだ暴走族潰し何て危険な事をやるつもり何のかい?」


「ああ。寧ろ、女でもここまで強くなれるんだって分かって、益々決意が固くなったぜ」


「……それは僕にとって嫌な台詞だよ」


 この時は姫野先輩が言わんとする意味が分からなかったが、後になってから彼女にとって大きな意味を含む言葉であると知った。


「悪いな……でも、お前だけじゃない。勝子みたいなちっこい子でもあたしよりも遥かに上を行っていた……でも、これは悲観する事じゃなくて、あたしだって頑張り次第じゃ、お前らに近づけるかも知れないって事だろ?」


 麗衣ちゃんだって空手を辞めなければ私よりも強かった可能性があるのは確かだ。


 何より、姫野先輩の心すら折ったその闘争心の強さは私が過去に対戦や喧嘩をしたどの相手よりも強い。


「だから、中学を卒業するまで時間をくれ……それまでにあたしはどんな野郎にも負けない位強くなってやるからよぉ……その時に改めて協力をお願いして良いか?」


 麗衣ちゃんが頭を下げて、私なんかに頼んできたので慌てて言った。


「顔を上げてよ! 私は始めからそのつもりだったから!」


 私達の様子を見て、姫野先輩は諦めた様に溜息を吐いた。


「全く……君達だけじゃ色々と危なっかしくて仕方が無い。微力ながら僕も手伝わさせて貰うよ」


 姫野先輩の意外な台詞に私だけでなく麗衣ちゃんも驚いたようだ。


「えっ? 良いのか? 姫野は反対なんじゃ?」


「勿論、諦めてくれるのに越したことは無いけれどね。只、僕が幾ら止めても諦める君じゃないだろ? だったら僕も一緒に地獄へ堕ちるまでさ」


 姫野先輩はこちらの拳が万全の状態では無かったとはいえ、間違いなく過去に戦った誰よりも強かった。


 敵対すれば恐ろしいけれど、味方になってくれればこれ程頼もしい存在は居ない。


「そうか……ありがとうな。姫野。……勝子。……その時が来たら、あたしを助けてくれ」


「うん。勿論だよ。ところでチームの名前は『麗』で良いよね?」


 私は潰した暴走族に名乗った名前を提案した。


「オイオイ待ってくれよ。『麗』って、もしかしてあたしの事か? 一寸恥ずかしいんだけどな……」


「いや、良い名前だと思うよ。僕は勝子君に賛成だ」


 ついさっきまで殴り合いをしていたハズの私と姫野先輩の意見が揃った事で麗衣ちゃんは苦笑いをした。


「仕方ねーな……二人に協力してもらえるんなら、それで構わねーぜ」


 こうして、私達暴走族潰し『麗』は結成され、麗衣ちゃんがアマチュアキックボクシングの頂点に立つ2年後から本格的な活動が開始した。

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