第10話 創られる悪
「周佐。一寸良いか?」
部活が終了し、片付けと掃除を終わらせ、着替えたので帰ろうとした私に葛城先生が声をかけてきた。
「何でしょうか?」
「まず、嶋津とのスパーリングは見事だったな。あの調子を維持出来るなら今年も優勝間違いないだろう」
「ありがとうございます。でも、嶋津さんも10オンスのグローブを使っていて、ヘッドギアを着けていたら多分、負けていたのは私だと思います」
「とにかく、ハンデがあったとしても階級が上の男子に勝てたのは自信を持っていいぞ。アイツはプロ入りして新人王候補等と騒がれていて自惚れていたから良い薬になっただろう」
「嶋津さん。やっぱり怒っているんでしょうか?」
嶋津さんは応急処置を受けた後、挨拶もそこそこに帰ってしまった。
きちんとお礼を言いたかったのだけれど、嶋津さんは目も合わせてくれなかった。
「怒るとしたら自分自身に対してだろ? そりゃあ、アマで階級も下の女子中学生にKOされたなんて認めたくないだろ? そんな時に何話しかけても慰めにもならんだろう。一人にしてやるのも優しさってモンだ」
「……そんな物ですかね?」
こういう時に前向きに気持ちを持って行くのもトレーナーの仕事なのかなと思うけれど、嶋津さんのトレーナーは葛城先生と同じように考えているのだろうか?
「まぁ、嶋津に関してはお前が全力を尽くした結果なのだから気にしなくて良い。それよりか、確認したい事があってな」
葛城先生は少し聞き難そうに尋ねてきた。
「その……お前に関する良くない噂を耳にしたので確認しようかと思ってな」
「良くない噂って?」
苛めを受けているという事だろうか?
既に何回か苛めを受けている事は葛城先生にも話しているけれど、決まって「絶対にやり返すな」としか言わないし、何か具体的に苛めを止めさせる為のリアクションを起こしてくれた事は無い。
「お前が美夜受と遊んでいて授業をサボったり、男子生徒を殴ったという話を聞いたけれど本当か?」
「なっ! それは誤解です!」
私は葛城先生に反論した。
「あれは苛められていた私を麗衣ちゃん……美夜受さんが助けてくれただけです! あと、授業に出れなかったのは、あのままじゃ授業に出れるような状態じゃなかったからです!」
「そ……そうなのか? でもな、男子生徒の一人は強く頭をぶつけたし怪我もさせられたと聞いている。彼らの親御さんも、もしボクシング部の部員が暴力沙汰に加わったのならPTAに廃部の検討を訴えると言っているんだ」
「な……何でですか! 苛められているのは私の方なのに?」
「残念だがボクシングに関して野蛮な競技だという偏見は特に女子の保護者には根強いし、幾ら実績があろうと凶悪な子供を育てる様な部活は廃部にしてしまえという過激な意見は以前からあってな。……マズイ事に今回、怪我をした生徒の親御さんは何時もそういう主張をしている人だった」
「そんなのおかしいじゃないですか! そもそも私は何もしていないですし、その人は自分の息子が苛めをしているのは認めないで、ボクシングを悪く言うんですか?」
「残念だけれど、過剰防衛というか怪我をさせてしまった方が悪いという事になるんだよ。それに、お前は怪我させられるほど酷い苛めにあった訳じゃないんだろ?」
「!」
何回か相談したのに、葛城先生は私が受けている苛めに対してそんな程度の認識しかなかったのか?
私はこの教師に対して怒る気力も無くし、失望の念と悲しみしか浮かばなかった。
「……帰ります」
私はこれ以上の会話が無駄だと知り、帰ろうとすると、葛城先生は引き止めるように声をかけてきた。
「待て! まだ話が終わってないぞ!」
「私からはもうお話しする事がありません」
「待て! お前は兄貴の夢を継いでオリンピックに出場するのが夢なんだろ? だったらこんなつまらない事で躓いちゃいけない!」
普段なら心の糧としている気持ちでも、葛城先生が口にすると白々しいものにしか聞こえない。
「だから今後は美夜受と付き合うな! 暴力を振るったのは全部アイツなんだろ? 悪いのは美夜受なんだ! お前がアイツのせいで悪者にされる必要は無いんだよ!」
「……逆ですよ、先生。私のせいで麗衣ちゃんは悪者になろうとしているんです」
私がポツリと呟いた声が葛城先生に届いたか判らない。
私は練習場のドアを開けると、なおも呼び止める葛城先生の声を無視して外に出た。
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