第9話 プロボクサーとのスパーリング (2)
第2ラウンド開始のゴングが鳴った。
インターバルを挟み、流石に冷静さを取り戻したのか?
嶋津さんは1ラウンド最初に見せたアップライトスタイルに戻してきた。
距離が遠い。
ジャブの刺し合いでは身長で劣る私が不利であろう。
ましてやあのジャブは出所が分かりずらいノーモーションで放たれ、パンチも思ったよりも伸びるので回避が難しい。
セオリーでは身長で劣る私が戦うにはインファイトを望むべきだが、そんな事は想定済みだろう。
ならば―
私は若干体重を後方にやり、頭を少し後ろにずらす。
そのまま、敢えて嶋津さんがパンチを打ちやすいように真っすぐ踏み込んだ。
所謂半歩でパンチが届く距離で相手に真っすぐ踏み込むとパンチをまともに喰らってしまう。
その為、普通はジャブを打ったりフェイントをかけながら接近するのだが、ジャブの刺し合いで相手にならないので、フェイントというか、距離を誤魔化す方法を取る事にした。
頭を後方にずらす事で距離を遠く見せ、当てる為のジャブを打たせないのが狙いだが、嶋津さんとのリーチ差はそんな小細工では誤魔化しきれなかった。
嶋津さんが放つジャブは想定以上に長く伸び、まだ安全圏に居ると思っていた私に届いてしまった。
今度はしっかりガードをしたが、流石プロボクサー。ジャブでも石で殴られているかのように腕が痛い。
左回りにステップを踏み、常に移動しながらガードの上からでも次々とジャブを打ってくる。
そして、五発ほど打たれた後、ついにガードをこじ開け、例のノーモーションのジャブが放たれる。
「くっ!」
私はまたもやこのジャブで顔を跳ね上げられた。
だが、ダメージと引き換えにガードをこじ開けられる理由については理解した。
ジャブをダブルで打つとき、一撃目を縦拳で打ちガードをこじ開け、二撃目で素早く叩き落すようなジャブを放っていたのだ。
あまりにもダブルが早い為、最初に喰らった時は一発でガードをこじ開けられてパンチを当てられたと思ってしまったのだ。
これは分かっていても防ぐのは難しいのかも知れない。
ならばガードにこだわらなければ良いのだろう。
ガードで防げないのならばいっその事こうしてしまえばいい。
「何? 正気か?」
嶋津さんは私を見て一瞬呆然とした表情を見せた後、すぐに怒りの表情を浮かべた。
「お前……俺の事を舐めてるのか?」
私は両手を下げて、ノーガードの状態になった。
昭和の某有名ボクシング漫画じゃないけれど、愚直なまでのカウンター狙いだ。
「舐めてませんよ。これが一番良いと思ったからですよ」
ジャブですら女子の右ストレート並みの威力なのだ。
男子プロボクサーのストレートやフックやアッパーをまともに喰らってしまったら一体どうなる事か?
考えるだけでも恐ろしいが、私がノーガードなのは嶋津さんを舐めているからではなく、むしろ本気を出しているからなのだ。
「良いぜ。後悔するなよ!」
嶋津さんはフェイントで牽制のジャブを放ち、ダメージ狙いの強打の右ストレートを放つ。
ジャブがフェイントである事を見抜いていた私は右ストレートが放たれる直前に右肩を引き、次いで左肩を引く。
そして嶋津さんの右ストレートが放たれるよりも僅かに早いタイミングで
肩を引く事で回転力を生んだ私の右ストレートは、ツーの右ストレートを放つためにジャブを引き戻す僅かばかりの時間が掛かった嶋津さんのパンチよりも早く被弾した。
嶋津さんは右ストレートを打つとき、僅かばかり前傾姿勢であり、そして私は上体を上げており、この差で私のパンチは嶋津さんの顔面に先にパンチが当たり、嶋津さんのパンチは僅か1~2センチばかりの差で届かなかった。
この1~2センチの差が刹那の時間における攻防の明暗をはっきりと別けた。
私の今当てたパンチ自体はスピードを重視したもので、一般的なカウンターというイメージ程高いダメージを与えられるものではない。
カウンターよりも肝心なのはこの後の追撃だった。
更に私は左周りにステップインすると、左フックを嶋津さんの顎に引っかけるように放つ。
壁に棒を突くとき、真っすぐ垂直に突き立てると一番威力が伝わるけれど、それはパンチも同じである。
ストレート系のパンチは壁に棒を突き立てるイメージで打つだけで腋を閉じた強いストレートを打てるようになるけれど、実はこの論理はフックでも同じである。
左フックは相手の正面から放つのではなく、サイドから放った方が相手に垂直に当てやすい。
肘を畳まれ放たれた左フックはまた嶋津さんの首を大きく捩じった。
流石に今度はダウンが取れなかったけれど、これで私の距離になった。
頭を後方に置き、距離を誤魔化す必要もなくなったのでクラウチングスタイルで重心を下げ、嶋津さんの懐から離れず、至近距離で細かい左右のフックを主体に連打し、時折アッパーを織り交ぜながら距離を取らせない。
「くそっ!」
嶋津さんは私をクリンチし、突き離すと同時に左フックを放ってきた。
私はウィービングでU字に頭を振りながら躱すと、嶋津さんはバックステップで距離を取ろうとする。
ここで逃がしたら再び嶋津さんの距離になる。
相手に接近する時、通常は前の左足で1、奥の右足で2のリズムで接近するが、私は1のリズムから両足で大きくステップし、嶋津さんと距離を詰めた。
これはボクシングではかつて元WBCスーパーバンタム級王者の西岡利晃氏がモンスターレフトと呼ばれる跳び込みながらの左ストレートを打つ際に使っていたが、どちらかと言えばボクシングやキックボクシングよりも間合いが遠い総合格闘技で距離を詰める為に使われているテクニックであり、ボクシングではあまりみかけない。
その為、嶋津さんから見れば突然私が目の前に現れたのか様に見えただろう。僅かに反応が遅れた。
その隙を逃さず、私は左ジャブを嶋津さんの左目付近に放つ。
「なっ!」
嶋津さんの視界は左目を遮られる共に、顎が跳ね上がる。
そして、私はとどめの一撃を放つ。
オーバーハンドライト
右拳をフックの様に肩に拳を掲げ、大きく右拳を振りぬく。
右ストレートと同じ体重移動で打つが、山なりに打ち降ろされるように放たれるパンチの軌道が異なる。
フックとアッパーの間の軌道で放たれた私の必殺の一撃は狙いを過たず、嶋津さんの顎に命中し、インパクトの瞬間、頭、足を下に落とし体重をかけ、思いっきり打ち降ろした。
体重をかける事で威力の増加したパンチは嶋津さんの身体を軽々とリングの中央からロープ際まで吹き飛ばした。
嶋津さんは脱力した腕にロープが引っかかり、首は力なく項垂れ、辛うじて地にお尻を着けていない状態であった。
止めを刺すべく私は嶋津さんとの距離を詰めようとすると葛城先生が私との間に入り、二人を別けた。
葛城先生は項垂れている嶋津さんの顔を覗き込むと、彼の頭を抱え片手を強く振り、スパーリングの終了を告げた。
私は新人王候補と目されている、階級も上の男子プロボクサーを2ラウンドでKOしてしまったのだ。
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