第31話 メンヘラ彼女の母

 あー、しんど。しんどい……。今までは何が起きても殆ど何にも感じてなかったから分からなかったけど、こう、感情の起伏に振り回されるのって、疲れるのね。まぁでもそのお陰で、久し振りに楽しいって感じてる訳だけど。


「考一君、ジュース買ってきたよ!」


 僕は今、沙織と遊園地に来ている。あの日の埋め合わせって訳じゃないけど、久し振りのデートということで、誘ってみたのだ。僕から。もしかしたら、始めてかもしれない。

 それで、テンション爆上がりの沙織に付き合って絶叫マシン乗りまくってたら疲れてしまったと。そういうわけです。


「ああ、ありがと。お、炭酸水じゃん、気が利くじゃん」


 プッシューシュシュシュ!


「ファーー!?」


「アハハハハッハハハハッ!」


 盛大に僕に掛かる炭酸水。耐えろ、耐えるんだ僕。大丈夫、炭酸水だから。ベタベタしないから。Be cool……。僕は冷静だ。

 でも、こうやってムカつく事も久し振りで、ある意味新鮮だった。それすらも楽しんでいる僕がいる。


 僕はすぐに栓をして、メチャクチャ振ってから、沙織に向かって解放する。沙織の顔に水が掛かる。解放の瞬間、ボトルを押し潰して圧を掛けたため大量に。


「……考一君、それは駄目だよ。笑えない」


 なんで!?理不尽じゃない!?


「ごめんチャイナ……」


 とりあえず謝る僕。


「ちゃんと謝って」


 許してくれない沙織さん。


「ごめんチャイナ」


「ちゃんと!」


「ごめん……、チャイナ!」


 ビクッ!沙織がビビる。勝った。これが僕の本気だ。


「フフ、アハハハハッハハハハ!さっきからなんなのそれ!?」


 良かった。機嫌が治ったみたいだ。僕にも全く意味は分からない。




 少し休憩してから僕らはまたアトラクションを楽しむ。僕はどうやら絶叫系よりも雰囲気系の方が好きみたいだ。コーヒーカップでゲロ吐くくらいだから意外でも何でもないけど。

 そして最後に観覧車に乗ると言う沙織。それに続く僕。でもねぇ?ちょっと止めた方が良いんじゃないかと思うんだけど……。メンタル強すぎない?

 

 観覧車に乗って間もなく、沙織が言う。


「最近、結婚について色々調べてて、学生結婚も悪くないと思ってるんだけど、どう?」


 メンタル強すぎない!?


 だけど、僕は前みたいにはぐらかさない。


「……悪いと思う。いや、結婚その物の話じゃなくて、タイミングの話。前もそうだったけど、あまりにも焦りすぎている。沙織が僕の事を好きなことは理解している。ぶっちゃけた事を言えば、以前の僕は沙織の事を嫌いじゃなかったけど、そこまで好きなわけでもなかった。今はそうじゃない。好きになれる確信がある。でもそれは、すぐにじゃない。現実的な話、収入だってない。それは沙織も分かってるはずだろ?」


「うん。分かってる」


「それともう一つ。その結婚願望には、逃げの気持ちがないか?僕と一緒に、全部捨てて何処かに行きたい。もしかしたら、前に沙織が引き当てた未来の僕は、沙織の思いを組んで一緒に逃げたのかもしれない。だけど、それじゃ駄目だ。それじゃあ、沙織が本当に幸せになる事は出来ない」


「分かってるよ……」


「沙織が本当の意味で幸せになるためには、壁が二つある。一つは、中央院家との婚約の破棄を、中央院家と沙織の親に認めてもらうこと。もう一つは、沙織とご両親との間にあるしがらみを無くすことだ」


「そんなこと分かってる!分かってるけど、そんなの無理じゃん!」


「無理かも知れない。でも、上手くいったら皆が幸せだ。少なくとも僕は、やるべき事をやった後じゃなきゃ、沙織と結婚することはできない」


 しばらく僕らは黙る。観覧車は頂上に差し掛かる。そこから見える夜景は、とても綺麗だった。今の僕は、そう感じることができる。だからこそ……。


 沙織が沈黙を破る。


「考一君、変わったね。前だったら、絶対そんなこと言わなかったのに。フフフ、私、余計な事しちゃったのかも。私とあなたの愛の逃避行、あれはあれで悪くなかった……」


「お陰さまで。今の僕は、優しいけど、甘くはないんだ」


「うん、分かった。頑張ってみるから。上手く行かなくても、見捨てないでよね」


 それは杞憂だ。見捨てるわけがない。それに、心配する必要はない。僕がついてる。でもそれを口に出すことはしない。沙織のためにならないと思ったし、いつかのプロポーズのために取っておくことにする。




 その後、僕らは僕のアパートに帰る。沙織が来るのも久し振りだ。何か知らんけど、キョロキョロしてる。いくら見ても何もないんですけど。居間に付いた途端、沙織がボソッと言う。


「考一君、私がいない間、他の女連れ込まなかった?」


 なんという言い掛かり。さてはお前、メンヘラだな?知ってるけど。


「いや、愛手波さんの匂いじゃないの?って言うか、沙織の計画でしょ?」


「違う、お姉ちゃんじゃない……。誰か、いる?」


 え?止めて?何でそんな怖いこと言うの?眠れなくなっちゃうじゃん。さてはお前、今夜は寝かせない気だな?いや、疲れたし普通に寝るけど。


 ガラガラガラ。ベランダの窓が開く。


「……良く分かったわね。また考一君を驚かせようと思ってスタンバってたのに」


「……」


 本当にいるんかーい。


 愛手波さんA、もとい沙織の母親が居間に入ってくる。そのまま、僕らの横を通り過ぎて玄関に向かう。手に持っていた靴を置くと、また戻ってくる。いや、できればそのまま帰って欲しいんですけど……。

 沙織の母親はまた僕らの横を通り過ぎて、テーブルを挟んで向かいに座る。


「二人ともお帰りなさい。まぁ、座りなさい。考一君、悪いのだけれどお茶でも用意して貰えないかしら」


「……」


 いや、僕んち急須も茶葉もないけど。とりあえず水でも持ってこようかと台所に行くと、高そうな急須と茶葉が置かれている。用意が良いな!


 僕は要望通り三人分のお茶を淹れてから、沙織の隣に座る。二人ともだんまりだ。しょうがないから、僕が口を開く。


「えーと、東雲さん?」


「依子でいいわ」


 良くねぇわ。


「今日はまた、どういった用件で不法侵入を?というか、どうやって?」


「そうね。先に方法を述べると、貴方がうちに泊まっていた時、こっそり執事に合鍵作らせてたのよね」


 執事さんェ……。


「それで、メインの話だけど、単刀直入に言って、結婚するなら愛ちゃんとにしてくれない?」


「……」


「あなた、未来が見えるのでしょう?東雲の責務にはピッタリなのだけど、やっぱり沙織には中央院とのパイプ役という大事な役目があるのよね。それとも、愛ちゃんでは嫌かしら?まぁ、少し年の差はあるわね」


 何を言ってるんだ?娘の前だぞ?


「嫌ではないですが、そういう問題でもない気が」


「悪いようにはしないわ。愛手波と結婚してくれれば、貴方には次期東雲の当主と、人類幸福統制局の重役の座を約束できる。沙織にしても悪い話じゃない。そもそも、真之助君程の男は世の中見渡してもそうはいないし、あの子なら、沙織が考一君と浮気したところで問題にしないわ」


 誰も損をしない。と、依子さんは断言する。


 確かにそうかも知れないが。本当に?


「中央院さんに関してはそうかもしれませんが、愛手波さんの気持ちはどうなります?僕と結婚することも、沙織と僕が浮気することについても」


「愛ちゃんは大丈夫よ。聞いた話によると、貴方と愛ちゃんが結婚する未来もあったんでしょ?それに、愛ちゃんは沙織に対して大きな罪悪感を感じている。家の事情も分かっている。断る筈がないわ」


 この人は、怖い。本気で言っている。家の問題、しかも東雲のような由緒ある家柄の事情なんて僕には分からない。だけど。


「沙織、お前はそれで良いと思っているのか?」


「……私は元々、その為に生まれてきたようなものだから」


 そうじゃない。違うだろ?


「まぁまぁ、そんなに急ぐ話でもないから、じっくり考えて?でも、一つだけ知っておいてほしいのは、東雲は、沙織を生むにあたって貴方が想像もできないような額の投資をしている。遊びじゃないの」


 じゃあ、私はこれで帰るわ。良い返事を期待してるから。


 それだけ言って、颯爽と帰る依子さん。


 残される僕と沙織。しーん。


「いやまぁ、沙織が無理じゃんって言った気持ちはなんとなく分かったわ……」


「うん……。ごめんね」


「とりあえず、風呂入ってセックスしようぜ、セックス!」


「えー?この流れで?」


 とか言いながらも満更では無さそうな沙織。いや、本当は寝たかったんだけどね。余計に疲れたし。僕なりの愛ってやつですよ。




 沙織は僕を助けるために自分の死を顧みなかった。でも実のところ、僕が失敗して自分が死ぬことになっても構わないと思っていたのかもしれない。それくらい、追い詰められていたのかもしれない。

 僕はこれまで沙織の事を深く知ろうとしなかったし、沙織もそれを望んでいなかった。僕らはお互いの事を知らない。まずはそこからだ。しんどいけど。


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