第29話 さようなら

 

 目を開けると、天井が見える。僕は布団で寝ている。愛手波さんの部屋か……。


 !?


 今何時だ!?僕はいつまで寝てた!?


 ガバッと起き上がる僕を見て、愛手波さんが声を掛ける。


「良かった……。目が覚めて。考一君が倒れて、意識を失って、本当に焦った」


「愛手波さん、沙織のタイムリミットはどれだけありますか!?」


「もう、10分もないわ」


 10分……。行けるか?倒れる前の感じから言えば、後、200回程度なら試行可能だ。……僕の意識が続けばの話だが。この思考さえ時間の無駄だ。とにかく、すぐに始めないと。


「ごめんなさい、考一君。もう、無理しなくて良い。さっきのあなたの意識の失い方は普通じゃなかった。いくら声を掛けても、一切反応しなかった。あなたが起きるのが先だったけれど、間もなく医者も来るから、ちゃんと見てもらいましょう」


 僕は愛手波さんを無視する。頭の中でADS drive改を起動する。変動した未来を確認する。また、すぐに脂汗が出始める。なんだ?倒れる前より、きつい……。


「もう止めて……。このまま続けても、沙織が助かる可能性は低い!もしかしたらあなたまで、取り返しのつかないことになるかもしれない!」


 僕はそれも無視して、演算を続ける。早くもフラフラになってくる。


「夢を、見ていました。僕が前に話した昔話です。あの時は、母の死について何も感じなかったなんてカッコつけてましたけど、そうじゃなかった。母の愛を知って、母の死に直面した僕は、泣いていました。当たり前ですよね。まだ子供でしたから。そして僕は、母の死の原因が自分にあることを理解してしまった。どうしようもなく苦しんだ僕の心は、最後に逃避を選択した。僕は何も感じなくなった。僕の成長は止まった。僕は、子供のままだ」


 ああ、そうだ。僕は心に蓋をして、いつまでも夢の中にいるみたいで、何が起きても現実感がない。どうでも良いと思っている。明日を見ていない。


「沙織はおそらく、ADS driveを使う過程で、僕から僕の過去について聞いています。そして僕と結婚する未来を引き当てた後、その未来の中で、僕が虚ろな事に気付いたんだと思います。僕は、自分で自分に嘘を付いていたから全くその可能性に行き着きませんでしたが、端から見たら単純な話です。僕は母を救えなかった。それが原因で絶望している。沙織の目的は、僕に自分を助けさせることで、僕のトラウマを払拭することだ」


 前に沙織の部屋でADS driveを起動したときに表示された一文。


【考一君、愛してる。必ずあなたを助けてみせる】


 あの時は意味が分からなかったが、今なら分かる。沙織は、始めから答えを教えてくれていた。沙織は本気だ。だからこそ、半端なバタフライエフェクトでは沙織の死を変えられない。しかし逆に言えば、絶対に沙織を救うことができる筈なのだ。そうでなければ、何をしても沙織が死んでしまうのであれば、意味がない。僕は救われない。


「つまり、僕が自分の過去を乗り越えたことが彼女に伝われば、沙織が死ぬ意味はなくなる。それを理解した今なら、正解を引き当てるまでに必要な試行回数は激減していると思います。だから、もう少しです。まだ、きっと間に合う……」


 愛手波さんと話しながらも、僕は頭の中で演算を続ける。沙織に掛ける言葉を次々に変えて、結末をシミュレーションし続ける。クソッ。重い……。何でだ!?段々、計算速度が落ちてきている。もう、5分もない。このままでは……。




「考一君、泣いているの?」


 愛手波さんが、心配そうに聞いてくる。僕は演算に必死で、自分の変化に気付いていなかった。泣いている?何で?僕は、まだ諦めていない。泣くには早い。


 ああ、本当だ……。確かに泣いている。母が死んだとき以来だ。あの時は、母がいなくなって、悲しくて、泣いた。


 今は?何で僕は泣いている。あれ?この感覚は、あの時と全く同じ……。




 ああ、そうか……。分かった。演算が重いのは、僕の処理能力が足りないからじゃない……。僕の心が、未来を変えることを拒否していたんだ。母を救えなかった後悔が襲ってくることもそうだが、それよりも遥かに大きな抵抗が……。


 母が、早世を顧みず僕を生んでくれた理由。僕の、幸せが約束された未来。僕が死ぬまで、母が見守ってくれる。


 それが、無くなってしまう。




 沙織を救うために未来を変えれば変えるほど、母が離れていってしまう。多分、沙織を救うことでそれが致命的になってしまうことを、僕の頭は分かっている。それに気付いてしまった。……痛い。あの時、逃げを選んでしまった。その痛みを大きく上回る。心の痛みを、耐えることが難しくなってくる。子供の頃の僕は、ここで折れてしまった。けど、今は。

 

 決意を、言葉にする。



「愛手波さん。心配してくれてありがとうございます。実は僕って結構、マザコンだったみたいだ。大丈夫。沙織は救える。必ず助ける。僕は……、俺はもう、この痛みから逃げない!」


 

 冗談めかして、強がって、カッコつける。でも、そこに嘘はない。誤魔化さない。


 瞬間、頭の中が晴れ渡る。雲ひとつない。今までが嘘のように、演算速度が増す。これなら、1分も掛からず答えに辿り着けるだろう。


 心の痛みは耐え難い。苦しい。これが消えることはもうない。でもいいんだ。泣きたいときは、泣けばいい。誰かに頼ってもいい。その誰かが頼ってきたら、今度は僕が支える。そうやって支え合う。今までの僕にはなかった、弱い強さを認めること……。



 僕の予想通り、すぐに答えは得られた。その未来に従って、僕は沙織に電話する。

 

「今までごめん。僕はこれまで、沙織と真剣に付き合っていなかった。というか、本気で生きてすらいなかったみたいだ。今回の件でそれが分かった。沙織のお陰で、僕はようやく前を向ける。でも、沙織はどちらにせよもう、沙織が好きだった僕と結婚することはできない。それでも構わないなら、また一から始めよう。とりあえず、早く帰ってこい。皆、心配してるから」


【……うん。ごめん。ごめんなさい……。でも、考一君なら、きっと私を助けてくれるって信じてた。それに、考一君が変わっても大丈夫だよ。だって私は、今の考一君にも助けられてる。あなたは優しいままだから。これからも絶対に変わらず愛せる。帰ったら、皆にもいっぱい謝るから】



 電話を切る。僕は倒れる。ああ、疲れた。でも、良かった。これで、沙織の死は回避できた。


「考一君!?どうしたの!?大丈夫!?考一君!考一君!なんで!ねぇ!起きてよ!」



 愛手波さんが、何か言ってる……。おかしいな。聞こえてるんだけど、意味が理解できない……。あれ?返事もできない。目が開けられない……。これはまた、意識失っちゃうパターンかなぁ。やだなぁ、これ以上、愛手波さんを心配させたくないのに……。


 でも、本当に疲れたんだ……。無理をし過ぎた……。もう少し早く……、過去と決別する決心ができていれば良かったんだけど……。いやでも、分かってても、多分ギリギリまで無理だったろうなぁ……。僕は弱いから……。未来は変えられないんじゃなくて、変えたくなかったんだ……。ああ、そうだった、これでもう……。



 さようなら、母さん……。


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