第28話 僕の、本当の昔話

 

 子供の頃、僕は何でもできた。出来ないことなんて何もなかった。

 


 中学生に上がって間もなく一年後に母が死ぬという未来が見えたときに一番驚いたのは、その未来の中で、両親が長い歳月をかけて僕の未来を精査していたという事実を知ったことだ。同時に今まで褒めてもらえなかったことにも納得した。それを知ったところで虚しさは変わらなかったが、一方で、やはり自分は特別な存在だと知れて良かったと思った。母の死については、そんなにショックはなかった。だって、僕は非凡で、何でもできるのだ。僕なら、なんとかできると思った。


 それまでの経験上から言えば、僕が見た未来は必ずその通りの事が起きた。でも、それによって僕が不利益を被るような事は、ただの一度もなかったのだ。何時だって、未来の僕は成功していて、現実の僕もその通りに成功した。だから未来を変えようと思った事がなかったし、変えようと思えば簡単にできると思っていた。


 一年後に母は病死する。僕はまず、未来を見た事で知った母の病気について調べることにした。どうやらその病気は遺伝的なモノではないし、生活習慣の改善や、早期に治療を開始することで十分に回復が望める類いのものであった。一年後に病死することを考えると、現時点で母は既にその病気に冒されている可能性が高かったが、まだ時間はあるし特に問題はないように感じた。


 僕が始めた具体的なアクションは極めて単純だ。僕は母に「最近調子が悪そうに見える。病院に行った方が良い」と伝えた。母にはその自覚はないようだったので、すぐに病院に行ったわけではなかった。でも頻繁に僕が言うものだから、プラシーボ効果なのか、本当に体調が悪く感じられるようになったみたいで、僕の思惑通り病院に行くようになった。また、母の病気に効くらしい食べ物やサプリメントを、元気が出る食べ物だとそれとなく伝えて食べるように誘導した。「最近、太っているように見える」と嘘をついて、運動も促した。


 医者からはまだ具体的な診断が出ていなかったし、僕の見える未来にも今のところ変化はなかった。医者だって、ある程度具体的な病状が見えてないと診断も難しいだろうし、生活習慣の改善結果がすぐに表れるとも思えなかったので、様子見することにした。


 半年経った。母の生活習慣は改善していた。実際、僕のアドバイスに従うと調子が良いようで、習慣化したようで一安心した。一方で医者にはあまり行かなくなったが、明らかに調子が良さそうだし、この状態で行ったところで具体的な診断や治療がされるとも思えなかったので、気にしなかった。なんなら、僕は自分の全能感に浸ってすらいた。やっぱり僕は何でもできる、と。この時点でも僕の見える未来に変化はなかったが、母の調子は良さそうだし、段々、気にすることも少なくなっていた。


 僕に見えていた母の死から二ヶ月前。急に母が倒れた。あんなに調子が良さそうだったのに。母は病院に運ばれた。ただ、医者の話によれば見たところ特に問題はないらしく、過労ではないか、とのことだった。母は検査入院だけして家に帰ってきた。実際、その検査でも特に問題は見つからず、良く休めたのが良かったのか、帰ってきた母は元気だったので安心した。ただの過労なのだろう。


 その一ヶ月後、また母が倒れた。今度はすぐに帰ってこなかった。病院から連絡があって、父と僕に主治医が告げる。最善を尽くすが、助からないかもしれない、と。

 

 僕は焦った。僕に見える未来で、母の死は変わっていなかった。


 こんなはずじゃなかった。こんなのは、おかしい。僕の対処のどこにも、問題はなかった。まだ、できることがあるんじゃないか?まだ……。


 僕は狂ったように、母の病気に関する情報を集めた。国内外含めて、学術書や論文を読み漁った。でも、それらを全て理解しても、母を助ける術を見つけることは出来なかった。


 僕が行動している間も母の病状は悪化していた。僕は解決策を模索する傍ら、毎日母に会いに行った。


 結局僕は何も出来ないまま、母の死の当日を迎えることになった。予知で見た通り、母は僕に、僕の出生に関することを告げた。未来予知ではそこまで見ていて、少し飛んで母が死ぬ事実だけ分かっていたが、今目の前の、死の間際の母の顔は安らかで、どこか誇らしげだった。なんでそんなに落ち着いていられるのか、と僕は聞いた。母はどうやら、僕を生む前に見た僕の未来の中で、自分の死期を知ったようだ。父が思いの外動揺していないのも、それが原因らしかった。


 ……ちょっと待て。何を言っている。未来を見て、自分が死ぬことが分かってしまった。母は若くはないが、死ぬには早すぎる。そんな未来を知って、なんで、その未来を選択する!?


 なんで。意味がわからない。お前らは馬鹿だ。と暴言を吐く僕に、申し訳なさそうに、母が言う。


「ごめんね……。でも、悔いはないの。私は、あなたの行く末を既に見てるから。あなたは、特別だから……。あなたは将来、歴史に残る学者になる。大きな病気もしないし……、子宝にも恵まれる。私には無理だったけど、孫の顔も見れる。いえ、システム越しにだけど、私もあなたの子供や孫の顔を見たわ。皆、幸せそうだった。大丈夫、あなたは絶対に幸せになれる……」


 母は衰弱していて、話すのも大変そうで、そこまで言って一息入れた。


「システムを見て……、それが分かった。私みたいな凡人から、奇跡みたいに頭が良いあなたが生まれる。そしてなにより……、幸せに生きる事が確定してる。そこまで分かってて……、自分が少し早く死んじゃうくらいのことで、あなた以外の誰かを生むなんて、あり得ないわ……。あなたは、私の自慢の子。あなた以上に価値のある人間なんて存在しない。私は未来を見てしまったから……、上手く褒めることができなくて、それだけは、ごめんなさい……。それでも、今を全く後悔してないの」


 勝手だ。残された僕の事を何も考えていない。今さら、そんな事を言われたってどうしようもない!


「最後に言いたい事が言えて、良かった……。今まで、ありがとう……。私を助ける為に……、色々頑張ってくれてたのも知ってる……。私の、自慢の子。ずっと……、愛してるから……」


 母はそう言って、疲れたのか、目を閉じた。そしてそのまま、目覚めることはなかった。




 母が死んでから、僕はなんと言うか、頑張るようになった。元々頭が良かったから、特に意識しなくても何でもできた。でも今は、母の言う所の歴史に残る学者になるべく邁進していた。僕は母の自慢の子なのだから、とにかく頑張らないと行けないし、未来予知でズルをするのも良くない。まぁ、そんなことしなくても、僕が失敗する事なんて無いけど。


 今まで両親に褒められなかった事で膨れ上がっていた僕の承認欲求は、母の死に際の言葉によって見事に満たされていて、それも、僕が積極的に頑張る理由になっていた。別にもう、誰かに褒めて貰う必要なんてないのだ。僕は特別なのだから。


 母が死んでから一年近く、僕は絶好調だった。今まで以上に、何もかもが上手く行っていた。唯一、母にそれを見せられない事だけは残念だったけど。でも、母はシステムを通じて僕の頑張りを見てくれていた筈なのだ。きっとその度に、笑顔になっていたに違いない。僕は死ぬまで、ずっと母に見守られている。



 そんな折、久しく意識的に見ていなかったが、不意に新たな未来が見えた。今から一年後。僕と父、母の主治医が話している。主治医は僕らに謝っている。その未来の中で、医師は母の死に関して完全に自分の非を認めていた。要するに、診断間違え。死の二ヶ月前の検査入院の時点で正しい判断が出来ていれば。その時点から適切な治療を行っていれば、助かっていた可能性が高かったとのこと。母が死んだときに語った病名は、保身の為の嘘、だったようだ。母を救えなかったこと、嘘を付いた事をずっと気に病んでいて、二年掛かって、こうして僕らに謝罪する決心が付いたらしい。僕らに許してもらえなければ、医者を辞める覚悟もあると。



 ……ふざけんなよ。ふざけんなふざけんなふざけんな、ふざけんな!ふざけんな!ふざけんなぁあああ!


 何を言ってやがる!?てめぇが医者を辞めるかどうかなんて、知ったことかよ!


 怒りのあまり一瞬頭に血が昇るが、すぐに血の気が引く。頭が、真っ白になる。


 何で、今なんだ。何で、もっと早く言ってくれなかった。そうすれば母は……。


 どうして?何が悪かった?医者か?第一にはそれだ。病気の見落としもそうだが、もし母の死の直後に、正しい病名を伝えてくれていたら、未来予知から得たその情報を元にして僕が母の死を防げたかも知れない。直後でないにしろ、せめて後一年早く、本当の事を教えてくれていたら……!


 ……いや。違う。そうじゃない。医者のミスは、あり得る範囲のヒューマンエラーだ。


 医者よりも、ずっと無能で、ずっと悪質な人間がいる。恵まれた能力を、何も活かせていない、何の役にも立たない……。例えば。



 例えば、母の死後、未来を見ることを止めていなければ。母の本当の死因を知った今の僕を通じて、母の死後直後の僕は真実を知れたかもしれない。さらにその僕を通じて、母の死の一年前の僕は、最初から母の本当の病名を知れたかもしれない。


 例えば、母の死から半年前の僕が、母の未来が変わっていないことに真剣に向き合っていれば。詳しく未来を見ていれば、母の病状を正確に把握していれば。この時点で病気に関する知識を身に付けていれば。医者が告げる病名が嘘だと気づけたかもしれない。


 例えば、僕が中途半端に生活習慣の改善を勧めなければ。一年前に医者に掛かる事を勧めなければ。死の二ヶ月前の検査で母の病気が見逃されることもなかったかもしれない。


 例えば、僕が自分の頭の良さを過信しないで、素直に周りの大人に相談していれば、違った解決策が出たのかもしれない。


 例えば、母が僕を生む選択を放棄していれば、母が死ぬ未来その物が、そもそもなかったかもしれない。

 


 例えば、例えば、例えば、例えば、例えば、例えば、例えば………。



 考えれば考えるほど、僕の犯したミスはいくらでも思い付いた。


 僕は少し頭が良いだけの、世間知らずの、ただの子供だった。


 考えれば考えるほど、どんどん心が痛くなって、僕は立っていられなくなった。


 母を殺したのは、僕だ。


 心の痛みが限界を迎えたとき、ある考えが浮かんだ。


 起きることは、起きる。未来は変えられない。だから。


 だから、僕が悪い訳じゃない。


 

 心の痛みは徐々に引いていき、それと引き換えに、心にモヤが掛かっていく。


 もう、未来は見えなかった。見たくなかった。そうじゃないと、いつかまた……。





 愛手波さんに僕の過去を話したとき、僕は母の死に何も感じなかったと言った。でもそれはどうやら、まだ子供だった僕が、自分の心を守るために自分に付いた嘘みたいだ。


 だってほら、目を開けてくれない母を見て僕は、あんなに大泣きしている。


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