第27話 心の痛み

 ……また、僕の心に謎の痛みが走る。でも今は、そんなことを気にしてる場合じゃない。

 

 三回目のトライが失敗したところで愛手波さんが部屋に入ってくる。愛手波さんのプログラム改造によって、ADS drive使用後のスキャンタイムとDSシステムの再計算時間は、半分に縮まった。これで、一回あたりのトライに掛かる時間は40分から25分になった。この短時間で、信じられない事だ。だが、それでも。


 それでも、タイムリミットは二時間。120分。多くても、五回の使用が限度。やるしかない。でも、既に失敗した三回の結果から言って、たったの五回では、まるで未来を変えられる気がしない。未来は、確かに変わっている。しかし、ほんの少しだ。僕が沙織に掛ける言葉が変化して、それによって自分の死を告げる沙織の台詞が若干変わっているとか、連絡のタイミングがズレているとか。その程度。せめて、あと一週間もあれば。僕と愛手波さんや、他の皆で、交代して休みなく試行して400回程度。最低でも、そのくらいは必要だと思う。つまり、始めから詰んでいる。


 そうだ。沙織が僕と結婚する未来を引き当てるのにも、二年の歳月が掛かっている。少なくとも、1000回以上ADS driveを使っているはずだ。とてもじゃないが、無理だ。中央院さん達からも未だ有用な連絡は来ていない。当たり前だ。この程度で、そこまで変わるわけがないし、沙織が本当に死ぬ気なら、それを止められるような情報を残すわけがない。


 ああ、仕方ない。そういう運命だ。最初から、決まっていたことだ。ADS driveだって、あくまで今のDSシステムのランダム性を越えているというだけの話で、今のDSシステムを誤魔化せているというだけの話で、本当の意味で未来を変えている訳ではないのだ。ADS driveという発明も含めて、沙織の死は、変えることのできない運命だ。仕方ない。僕には、どうしようもない。


 ああ、また、心をモヤが覆っていく。胸の痛みが、消えていく。多分、このまま間に合わなくて、沙織が死んでしまっても、僕はまたいつものように、ふーん、そうなんだ、と感じて終わるのだろう。起きることは、起きる。未来は変えられない。



「考一君、沙織を助けて……」


 愛手波さんが呟く。愛手波さんも、もう間に合わないことに気付いているのだろう。ああ、そんな目で見ないでくれ。泣いてもしょうがない。何も変わらない。僕に頼らないでくれ。僕は、誰を頼れば良い?




「はい。僕が、なんとかします。して、みせます」


 自分でも、意味が分からなかった。僕の口から出た言葉は、僕の心情と真逆だった。


 でも僕は僕の発言で、心のモヤが晴れていくのを感じた。心の痛みも戻ってくる。今までにないくらい、痛い。その一方で頭が冴え渡る。かつての自信が戻ってくる。愛手波さんが僕に頼っている。僕は超超超天才だ。僕ならできる。やってみせる。


 どちらにせよ、このままではジリ貧だ。当然、ADS driveによるトライは続けるが、別のアプローチを取る必要がある。それにはまず、後回しにしていた未来の僕らの行動の謎や、沙織の発言からヒントを見つけることが先決だと思う。


 未来の僕らは、なぜ沙織の死に関するシグナルを今の僕たちに送らなかったのか?今の現状から言えば、仮に二日前の調査開始直後に沙織の死が分かっていて、そこからADS driveを使い始めたとしても、沙織を救える確率は上がるだろうが確実ではない。ADS driveの試行回数を増やすことよりも優先すべき事が、この三日間であったはずなのだ。そしてその事に、沙織を失った後の未来の僕たちは気付いたのではないだろうか。

 

 沙織の思惑についても考えてみる。そもそも、沙織は本当に死ぬ気なのだろうか?沙織が行方不明になってから僕らが東雲家に来るまで二週間もあった。本当に死ぬ気なら、その間に死ねば良い話だ。死の間際に僕に連絡する必要もない。その連絡にしても、思い返すと変だ。


【もしかしたら、私は死ぬかも知れない。でも、怖くない。きっと考一君が助けてくれるって信じてる】

【でも、絶対大丈夫だから。諦めないで】


 僕に助けて欲しいのは分かるとして、何故だか沙織は、かなりの確率でもって僕が助けてくれることを確信している節がある。沙織は、僕の何かに期待している。

 そうだ、沙織は1000回以上ADS driveを使っている。そして、変更後の未来もその回数分だけ見ている。沙織が見た未来の中で、僕が沙織に教えているかも知れないことは。


 そこから導き出される答えは……。



「愛手波さん。今の僕なら、きっと沙織を救えます。ADS drive使用後のスキャンも、システムによる再計算もいらない。全部、僕の頭でやれば良い」



 沙織が見てきた未来の中で、恐らく僕は、僕の昔話を沙織にしている。多分、プロポーズを断るための言い訳だと思う。そこで沙織は、僕が未来を見れる事を知ったはずだ。だからこそ、沙織は僕が助けてくれると信じる事ができる。しかし、実際には。

 母が死んでから、僕は未来を見ていない。正確には、見れなくなった。理由は良く分からないけど、心のモヤが、そのまま未来予知を遮っていたように思う。とにかく僕は母の一件があってから、今の今まで、未来を見ることができなくなっていた。

 未来の僕たちが今の僕たちにシグナルを送らなかった理由はそこにある。この三日間で、特に中山敦との決闘や、先程の愛手波さんとのやり取りがなかったとしたら、僕の心を覆うモヤが晴れていなかった可能性がある。


 今なら、見える。久しぶりの感覚だ。あの頃の僕でさえ、一年先のことまで手に取るように分かった。成長した今の僕なら。高々、二時間後の未来なんて。


 試しに僕はADS driveを起動する。その後、頭の中で未来を見る。一瞬だった。まだ沙織の死は防げていないが、問題ない。これなら、何回だって試すことができる。沙織の死を回避するまで、ひたすら試行すれば良いだけだ。



 希望を抱いたのも束の間だった。20分程度試行してから、僕は違和感に気付く。いくらADS driveを回しても、僕の頭の中で見える未来に変化がない。寸分違わず、何も変わらない。沙織もそうだが、そこから少し遡った所で、僕が沙織に掛ける言葉も変わらない。僕は急いで、少し前に再計算が完了したDSシステムで未来を見る。システムで見える未来と、僕の見える未来が、違う。まさか……。


「愛手波さん!ADS driveのコードを見せてもらえませんか!?」


 固唾を呑んで見守っていた愛手波さんがすぐにこちらに来てパソコンを操作する。


「ちょっと待って、これよ!一体どうしたの!?」


「ADS driveを使っても、僕に見える未来が変わらない!沙織の死が回避できない!僕の頭の中で行われている無作為性の再現は、ADS driveを越えている可能性があります!この装置では、沙織を救えない!」


「そんな!どうすればいいの!?」


「ADS driveを改造して無作為性を向上すると計算時間が増える……。改造する時間も惜しい。だからそれも含めて、全て僕の頭の中で仮想的に実行します!」


 ADS driveを頭の中で組み上げて、頭の中で回す。僕ならやれるはずだ。やってみせる。ADS driveのロジックも理解した。前にDSシステムのロジックを見ていて良かった。そんなに変わらない。後はこれを、僕の未来予知を上回るレベルに複雑にすれば良い。それで沙織の死の直前に僕が掛ける言葉は毎回ランダムになる。後は、沙織が踏みとどまるワードを引き当てるだけだ。


 少しの間、僕はADS driveを参考にして頭の中で新しいロジックを組み上げる。徐々に作り上げていく。急げ。余裕はない。


 ……、………、…………、………できた!問題ないはず。未来の方も……、変わっている!今度こそ、これで行ける!時間は?大丈夫、まだ一時間ある。これなら余裕で2000回は試行できる!ただ、これは……。思っていたよりも大分キツい。ランダム生成の負荷が大きすぎる……。



 端から見たらただ椅子に座っているだけに見えるだろうが、僕は頭の中で絶えず演算を続けていて、汗が次から次へと垂れてきて気持ち悪い。頭がパンクしそうだ。それを見ていた愛手波さんが汗を拭いてくれるし、氷も持ってきて頭を冷やしてくれる。執事さんによって、いつものようにいつの間にか冷たいお茶が置かれていて、ありがたく頂戴する。でもそんなのは焼け石に水で、試行回数が200回を越えた辺りで僕はフラフラになっていた。確実に、未来がズレているのは分かる。分かるのだが、後、どれだけの回数をこなせば彼女を助けることができるのだろうか。


 ……ああ、まずい。駄目だ。集中しろ。まだ救えてない!もう少しだけ耐えろ!もう、そんなに掛からないはずだ……。耐えろ……。頑張れ…………。今度こそ絶対、たすけて、みせ……………………。

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