第36話大公爵アスタロート
鎖によって動きを封じられた金髪の女性はぐったりとうなだれたまま、動かない。
陛下、聞こえますか……。
弱々しい、どこか湿り気のある女性の声が春香の脳内にきこえる。
精神を集中させなければ、聞きのがしそうになるほど、その声は弱く、小さかった。
ああ、聞こえるよ。
このような惨めな姿でお目にかかりたくはなかったのですが、わたくしは風と知をつかさどる博士グシュナサフ。どうかわたくしをお救いいただけませんか。
もちろんだよ。
春香は断言した。
玉座に座る黒い翼を背に生やした男が立ち上がる。軽く右腕をふると、通信は途絶えてしまった。
秀麗な容貌をしており、黒く艶やかな髪をしていた。だが、その美しさはどこか作り物めいていた。
「余は地獄の大公爵アスタロート。地獄の四十の軍団を指揮し、水曜日を支配するもの」
低く、部屋中に響きわたる不気味な声だった。
「なんだ、おい、水曜日が定休日なのか」
霊刀カルラを肩にかつぎ、竜馬は減らず口を叩く。このような時に気圧されないのが竜馬という男だった。
「油断するなよ。やつはかなりやばいぞ」
白虎の剣を抜剣し、獅子雄はいう。彼の生存本能が奥にいる男が想像を絶する実力を持っているということを告げていた。
大公爵アスタロートは玉座を離れ、数歩こちらに近づいた。
ただそれだけの行動が、空気を冷やし、びりびりと肌をさすような恐怖を春香たちに与えた。絶対に敵わない者への恐怖といっていいだろう。春香たちにとってその黒い翼を生やした男は生ける災厄にちがいなかった。
これほどの存在を前にして、本当に囚われの博士を救えるのだろうか。
弱気と恐怖が春香の心を支配しようとしていた
春香の横に美穂が並ぶ。
彼女の手はわなわなと震えていた。
「亜矢、私に力をかして」
グッと拳をにぎると震えは止まった。
赤い鞘に納められた鬼切安綱の柄を握る。
「勇気をちょうだい、亜矢」
ふっとかるく息をはく。
「やつを倒して、あの女の人を助けなくてはいけないのね。私、女にあんなことするの、許せないんだから」
「気をつけて、美穂さん」
「ええ、春香さん」
腰を軽く落とし、美穂は
流星となって、駆け抜ける。
数秒でアスタロートの目前に辿り着くと、鬼切安綱の分厚い銀の刃を叩きつける。鬼切安綱の霊力が美穂に力を貸し、刃をさらに加速させる。
今までに幾多もの魔物を一刀両断してきた剣技であった。
ガツンという鉄と鉄がぶつかりあう音がした。
鬼切安綱の刃はアスタロートの体にまったく届かない。渾身の力をこめて鬼切安綱を動かそうとするが、ぴくりとも動かない。
透明な空間に分厚い鉄の壁でもあるような感覚だ。
「ヴァイシュラの化身か……。だが未熟」
軽くアスタロートが左手をふると、猛烈な勢いで美穂の体は後ろに吹き飛んだ。
そのまま壁にぶつかればぐちゃぐちゃに美穂の体はつぶれるだろう。
零子が飛び出し、美穂の体を受け止める。
しかし、勢いは収まらない。
二人一緒に飛んでいく。
次に獅子雄が飛び出す。
「ありがとう、獅子雄さん」
と美穂。
「たすかったわ」
零子がいう。
「強いな……」
頬の汗をぬぐいながら、獅子雄が言った。
「やっぱり、奴は空間を自在にあやつるみたいね。物理攻撃はほとんど通じないと思うの」
ラルヴァンダードが悔しげに言った。
さらに数歩、黒き翼の堕天使は歩みを進める。
「ソロモン王よ。かつて七十二柱を支配した貴君に問う。全知全能の神に選ばれた貴君はどのような世界を創造するつもりなのだ。二千年前は失敗に終わった世界再構築、どのような世界へと変えたいのだ」
大公爵アスタロートは春香に問いかける。
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