その心はパレットのように

翔翔太郎

絵の具の色は自由に決められない

 今日はクリスマス。僕は目が覚めると、弟を起こして足早にお父さんとお母さんの部屋へ急ぐ。


 生まれてから何度か経験したクリスマスイブの夜にサンタさんがプレゼントを置いていくイベントが、この部屋で発生することを知っているからだ。


 兄弟は窓の方を見ると、綺麗な装飾のプレゼントが置かれている。よく考えれば、煙突もない鍵の掛かった家の中に家族でもない第三者が入って、何もらずに物を置いていく奇行を、ただのファンタジーで片付けてしまっているのである。


 小学生の未発達な思考というのは、歳を重ねたときに思い返すとなんとも恐ろしいものであると実感する。


 そしてお店の人が丁寧に包んでくれたであろう包装紙を、その手間を無駄にするように夢中になって破った。中には欲しいと願っていたゲームソフトが入っていた。


「ヒロシはどっちにする?オレはこっちがいい!」


「オレもこっちがいい!お兄ちゃん、じゃんけんしよう。」


「「じゃん、けん、ぽん!!」」


 結果はヒロシの勝ち。しかしクリスマスプレゼントを貰えた高揚感とどちらも格好良いデザインに、負けた悔しさは殆どなかった。


 ゲームコーナーでガラスケースに飾られているパッケージを眺めているときとはまた違い実物を手にした瞬間に感じる衝撃で、しばらくソフトを取り出さずに箱を舐め回すように観察した。


 その日は一緒にゲームで遊び、気づいたら1日経っていた。冒険の始まりを止められないのが男心であるが、当然冬休みの宿題もちゃんとやらされた。でも今日はとても幸せだった。


 暖かいオレンジ色。




 小学3年生のある日。今日はヒロシと喧嘩した。きっかけは他愛ない、遊んでいて気に入らないことがきっかけだ。


「お兄ちゃん今ズルした!」


「してないよ〜。」


「……もう!」


 僕は泣き虫で喧嘩が弱かった。弟にも負けるくらい力がなかった。素手はもちろん、よく物を振り回して叩く癖があり、明らかに怒った表情に変わったのを見て必死になってその場から逃げた。


 そのとき両親や祖父母は家に居らず、田舎なのもあって外に逃げてもすぐに人は見つからなかった。必死に、ただ必死に、追いつかれて満足するまで叩かれるかもしれない恐怖感を抱きながら、田舎の道路を逃げ回った。


 所詮プラスチックのおもちゃ、そんなに痛くないと思うような攻撃さえ僕にとっては痛かった。


 弟による猛攻もとい暴行が落ち着いた後おばあちゃんに泣きついたが、「男の子なんだからこれくらいで泣くな。お兄ちゃんなら弟に喧嘩で勝つ気でいけ。」と励まされてるのか怒られてるのかよくわからなかった。


 確かに、喧嘩で弟や妹に泣かされる兄や姉を知らないので、僕が特別弱すぎるのだと思った。きっとそうなんだろうな。強くなりたいな…。


 今日は青色。




 給食を食べ終わった後の昼休み。小学5年生にもなると、休憩時間の遊びのパターンは増えているものだ。いつもは外で遊ぶところだが、今日は男子6人で定規を使った闘い、通称サシバトで遊んだ。


 誰が遊び始めたのか、誰がルールを考えたのか、よく考えてみるとその起源は全くわからない。しかし、気付いた時にはみんな夢中になっていたのだ。


 とはいえ、小学生の時分にそんなことを気にするような発想は自分にはなかった。


「よっしゃ、はみ出したから…2人のに乗っけてやる。」


「お前の本当デカすぎるんだよ。1、2、3。あーもう出られなかった。」


「1、2、3。俺の方あんまり被ってなかったから良かった。」


「んん…りゃあ。っしゃあ、ぶっとばしてやったぜ!」


「すげえ、タカシのデカいやつ、よく落としたな。」


「じゃあ俺も…あっ!下に潜っちゃった。ヤバいヤバい。1、2、はみ出したから持ち上げて…3。危ねぇ自滅するところだった。」


 この熱戦ぶりに時間も忘れ、気づけば休憩終了のチャイムが鳴った。授業が始まるまで後5分。誰が1番かを決めるまで終わらないのが小学生男子というもの。


 ギリギリまで続けたものの、結局テーブルには2人の定規を残して終了した。


 僕の定規はと言うと、あまりの滑りの良さに勢い余ってテーブルから落ち、自滅した。


 しかし、友達が見せたジャイアントキリングは確実に今日のMVP。負けた者たちにも燃えるような高揚感を与え、観戦していた男子達の記憶にもしっかりと刻みつけたことだろう。


 今日は赤色。




 おおよそ10歳を超えたあたりから塾に通い始めたり、習い事の種類や数が変化してくる人が多い。僕もその1人で、塾と地元のスポーツクラブである野球部に加入した。


 理由は単純で、クラスに1人はいる頭の良い子に憧れたというものである。


 野球部に関しては、自身の身体に運動神経と呼べるものが全く搭載されていないまま、父親と同じようにポッコリお腹を携えて大人になっていくことの恐怖によるものだ。


 お父さんに嫌悪感はさして抱いていなかったが、風呂上がりに見えるポッコリお腹を見たときだけは、自分はこうなるまいと思っていた。


 しかしながら僕は元々得意科目もなく運動も苦手で、はっきり言って学習要領が悪い。当然塾も野球も苦戦を強いられたなどというレベルではなかった。


 塾の講師が言っていることはまるで意味がわからないし、あと少しで小学生を卒業してしまうというタイミングで入ってきたにも拘らず、まるで成長しないチームメイトというものは、団体競技においてまさに足手纏いだった。


 結果としてはこうなることは必然であった。


「聞けよ。アイツさぁ、この前の野球の守備練習でまた泣いたんだぜ。だっせえよな。」


「ハハハハ、マジかよ!泣き虫にも程があるだろ。」


「もう全然上手くならないしさ。飛んできたボールにビビって、こんな捕り方してんの。こんな。」


 散々な言われようだが事実だ。悔しさでまた泣いてしまいそうだった。他を探そうにも、田舎故に違う学校の子供たちばかりのクラブに入るのは難しい。家から車で2、30分はかかる市内の都市部まで行かなければ存在しない。


 そうするとクラブも同じ学校の同級生と一緒になり、失敗段は休憩時間にからかわれる格好の餌となる。


 自分以外の他のクラスがなかったことはある意味良かったのかもしれない。自分の弱点がこれ以上広まることはないという点においてではあるが。


 辞めたいと思ったことは何度もあるが、辞めたら辞めたでまたからかわれそうだったので辞めることも出来なかった。


 広い世間で考えれば逃げるということは恥ずべきことではないのだが、人生経験の浅さと田舎という狭い世界で生きてきたことがそれを許さなかったのである。


 このとき僕はすでに周りが決めた価値観に完全に包囲されていた。後はこの価値観たちに、ゆっくりと「僕」という人間が殺されていくだけなのである。


 身も心も塗りつぶされていくだけなのである。


 とにかく泣いてしまいそうな想いを必死に堪え、この日は帰った後に自分の部屋でこっそりと泣いた。


 赤と青と黒が混ざったような感覚だった。




 昼休み、早々に給食を食べ終えて外に遊びに出たはいいものの、次の授業が体育であることを失念してしまい、急いで体操服に着替えに戻った。


 他のクラスメイトは皆着替えてすでに体育館に向かっており、教室には遅くまで一緒に遊んでいた友達だけだった。


 とにかく時間に余裕がなかったが、僕より早く着替え終えた友達がふざけて僕のズボンを脱がしにかかった。


 力一杯抵抗したが、男子小学生の平均以下のパワーしかない僕では上回ることが出来なかった。


 さらに不幸にもパンツまで少し脱げてしまい慌てて隠したが、偶然戻ってきた女子生徒に一番見えてはいけない部分が丸出しになった下半身を見られてしまった。


 ただでさえ大袈裟な反応をしてしまう性質、羞恥心はとてつもないものだった。そして、噂として広まらないことを祈るしかなかった。


 体育の後は国語の授業でテストが返ってきた。点数は58点といかにもらしい点数だった。


 放課後、テストをランドセルへしまおうとした瞬間、柔らかくも紙を吹き飛ばすには充分な強さの風が吹いた。


 辛いことが重なる日々の中で、この風は誰よりも優しく僕を撫でた。飛んでいったテストを拾おうとするも、悪ノリした友達に横取りされてしまった。


「返してよー。」


「ハハハハハ!こっちだぞ、こっち!」


 笑って逃げる友達を追いかけて階段まで来た。満足したのか飽きてしまったのか、階段を少し降りたところで待ち構えていた。


 そこでもやや悪ふざけをされたものの、手を掴むことが出来た。そのときだった。バランスを崩した僕は踏ん張り切れず、友達と一緒に階段を転げ落ちてしまった。


 幸いにも大した外傷はなかったが、捻挫や腫れの可能性があったので保健室へ向かった。


 先生に傷になっている部分を消毒してもらい、それ以外は大丈夫だということと危険な行為への注意を促されて下校した。




 学校から帰ると、僕の短い人生を振り返って考えた。学校で苦しみ、野球のことで嘲笑され、家でも休まることはない。


 こんなにも辛いことが続くのに生きている意味はあるのだろうかと。この先もずっと馬鹿にされて嘲笑われるのではないかと。


 唯一の味方は、どんなに詰まらない理由で泣いても何も言わずに抱きしめてくれる従姉妹のおばあちゃんだった。


 しかし、住んでいる場所は県内でもそれぞれ地図の真反対に位置する。車でさえ気軽に行ける距離ではないのだから、小学生には不可能である。


 今この瞬間において、僕の味方は1人もいない。限界だった。たくさんの色を知っているはずなのに、誰彼構わず僕のパレットを塗りたくった。


 黒。黒。黒。


 死のうという結論に至った。「生きていれば良いことがある」「嫌なら別の教室を用意するよ」きっと学校の先生や大人に相談すればこう言ってくることが多いだろうから。


 生きるエネルギーに満ち溢れている人間からすれば僕の判断は異常なのだろうが、こちら側の人間としては至って正常だった。縋り付いた末に欲しいのはそんな応えではない。

 

 高い場所から落ちれば死ぬかなと考えたが、足を踏み出す勇気がなかったので夜になってから台所へ向かった。


 親に気づかれないように、テレビに夢中になっていることを確認して、包丁を取り出した。


 痛みと死への恐怖から、それでも、声を殺しながら泣いた。


 こんなときでもすぐに泣いてしまうなとか、すごく痛いかもしれないけどその後は楽になれるかなとか、そんなことを考えながら心臓の位置にきっさきを向けていた。


「なぜお前が死ぬんだ?」


「なぜお前が死ななきゃならない?」


 突然赤っぽい黒が湧いてきた。血のような色で、真っ黒にされたときとは違うものだった。


「なんで僕が…?」


「なんで、俺が。」


 涙を拭ってから包丁を静かにしまい、自分の部屋へ戻った。全てにやり返してやりたいという憎しみと、死んで楽になれなかった苦しみから、また部屋の中1人きりで泣いた。

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