文化祭のおまじない

無月兄

第1話 私の好きな人

 給食を食べ終わった後の昼休み、私は自分の席で、友達のみっちゃんから渡されたプロフ帳を書いていた。


 なまえ 藤崎藍ふじさきあい

 なんさい? 9才

 なにざ? 乙女ざ


 用意された質問はたくさんあったけど、色々考えながら書いていくのは楽しい。好きな食べ物やマンガは、どれにしようか迷って、なかなか一つに絞れなかった。


 それでも、一つ一つ書いていく度に、だんだん埋まっていくプロフ帳。残り少なくなってきたところに、その質問はあった。


『好きな人、いる? YES No』


 それを見て、書くのが止まる。

 どっちかに丸をつければいいだけの、簡単な質問。だけどいざ丸を書こうとしたら、なんだか恥ずかしくなって、ちっとも先に進めなくなってしまった。





 学校からの帰り道。ランドセルの中には、あのプロフ帳が入ってる。本当は今日中に全部書きたかったけど、結局終わらなくて、明日まで待ってもらうことにした。

 どうして書き終わらなかったのか。その理由はもちろん、あの質問にある。

『好きな人』。そこはまだ、何も書けてないままだった。


 だけど今は、プロフ帳のことも気になるけど、全然別のことで困ってる。


「どうしよう。雨、やまないよ」


 学校を出た時にはただの曇り空だったのに、いつの間にかポツポツと振りだした雨。そして今は、うるさいくらいにザーザー音をたてて降っている。

 今日はずっと晴れると思っていたから、傘なんて持っていなかった。


 降り始めてすぐ、近くのお店の屋根の下に避難したおかげで、ほとんど濡れずにすんでいる。だけどこのまま雨が止むのを待ってたら、いつ帰れるようになるかわからない。


 たくさん濡れちゃうけど、走って帰った方がいいかな。そう考えていた時だった。


「うわっ。急に降りだしたな」


 そんな声とともに、誰かが急いで屋根の下に駆け込んできた。


 服装は、紺色のブレザー。近くにある高校の制服を着た、男の人だ。傘もさしていないし、どうやら私と同じように、ここに雨宿りをしにきたみたい。

 そう思いながら、改めてその人を見た瞬間、思わず声をあげた。


「ユウくん?」

「あれ、藍か?」


 そこにいたのは、ユウくん。そう私は呼んでるけど、ちゃんとした名前は有馬ありま優斗ゆうとっていうの。

 うちの近所に住んでいる、高校一年生のお兄ちゃん。とっても優しくて、小さいころから、何度も何度も遊んでもらってた。


「なんだ、藍も傘を忘れたのか」

「うん。ユウくんも?」

「そうなんだよ、まいったな」


 ユウくんは困った顔で、相変わらず雨の降り続ける空を見上げていたけど、私はちょっぴり嬉しい気持ちになっていた。だってこのまま雨が降ってたら、もっとユウくんと一緒にいられるかもしれないから。

 だけどユウくんは、少しの間空を見て、言った。


「仕方がない。止みそうにないし、走って帰るか」

「えっ?」


 もう行っちゃうの? もっとお話したいのに。

 だけどユウくんは、そんな私の気持ちになんて気づかない。


「ここから家までなら、そこまで離れているわけじゃないからな。いつまでもここで待ってるより、急いで帰った方がいいだろ。藍も一緒に行くか?」

「う、うん……」


 本当は、もう少し一緒にいたい。だけどそんなこと言ったら、きっとユウくんは困るよね。


 残念な気持ちを隠しながら頷くと、ユウくんは何を思ったのか、急に着ていたブレザーを脱ぐ。そして、それを私の頭に被せてきた。


「ちょっと頼りないけど、傘の代わり。そんなに濡れてないから、頭からすっぽり被っておけば、少しの間なら雨をしのげると思うよ」

「えっ? でもそんなことしたら、ユウくんが余計濡れちゃうんじゃ?」


 確かにこれなら、家に着くまでの少しの時間、傘の代わりになってくれそう。だけどそれを渡したことで、ユウくんはワイシャツ一枚だけになっている。これじゃ、すぐにずぶ濡れになっちゃうよ。


「俺なら大丈夫。それより、藍が風邪でもひいたら大変だからな。家まで走れそうか?」


 走ることはできるけど、ホントに借りちゃっていいのかな。迷ったけど、多分いらないって言っても、ユウくんは受け取ってくれないだろう。


「うん! ユウくんと一緒に走る!」


 力強く頷いて、それから二人で、私のうちをめがけて走った。

 ユウくんはもちろん、私よりもずっと足が速い。本気で走れば、きっとすぐに置いていかれる。だけどそんな事にならないよう、何度もこっちを振り向いて、遅れてないか見てくれる。そんな優しさが嬉しかった。


「これ、ありがとね」


 家に着いた後、お礼を言ってブレザーを返す。

 走っている間もずっと雨は降っていたけど、これを頭から被っていたおかげで、私はほとんど濡れずにすんだ。

 反対にユウくんはすっかりずぶ濡れになっていて、白いシャツがピッタリと肌にくっついている。


「大丈夫? ごめんね。私のせいでこんなに濡れちゃって」


 ユウくん一人なら、こんなに濡れることもなかっただろうし、もっと早く自分のうちまで帰れていたに違いない。

 濡れたシャツの上からブレザーを羽織るけど、それももうすっかり水を吸っていて、ほとんど雨避けには使えなくなっていた。


 それでもユウくんは、文句なんてひとつ言わずにニッコリと笑うと、私の頭を優しく撫でる。


「平気だって。藍こそ、すぐに暖かくして、風邪をひかないようにするんだぞ」


 それだけ言うと、後は背を向けて帰っていく。私はそれを見送りながら、姿が見えなくなるまで手を振り続けた。


「ユウくんー、ありがとねーっ!」


 それから家の中に入ると、お母さんが出迎えて、雨に濡れなかったか聞いてきた。さっきあった事を話したら、すぐにユウくんの家にお礼の電話をかけていた。

 本当は私も、電話でユウくんとお話したかったけど、すぐにお風呂に暖まるよう言われたから、できなかった。残念。

 その後は自分の部屋に行き、書きかけになっていたプロフ帳をランドセルから取り出す。


『好きな人、いる? YES No』


 回答が白紙のままのその質問。学校では、結局恥ずかしくて書けなかった答え。

 だけど今は、『YES』に大きく丸をつける。


「いるよ、好きな人」


 恋愛に関する質問は、その後もいくつか続いてて、そのどれもが白紙のままだった。それを、一つ一つ答えていく。


『その人は、年上? 年下? 同い年?』


 年上。


『イニシャルはなに?』


 YA……有馬優斗だから、YAでいいよね?


 今でも、正直に書くのはちょっとだけ恥ずかしい。だけど、これが私のホントの気持ち。


「ユウくん、大好きだよ」


 そう呟くと、なんだか心臓が大きくトクンと鳴ったような気がした。

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