第8話 繰り返される悲劇

 熊田はオレのストーカーだったのではないか――


 近江はまず結論から入った。


 オレはそんなまさかと一笑に付してやろうと思ったが、近江の真剣な様子を見るとそれができなかった。


 近江はその結論に至った理由を2つ語った。


 理由その1――


 オレの家のカギの問題。


 昨晩、オレはパトカーに乗せられ自分の住んでいるアパートに運ばれた。近江と熊田も一緒だった。


 それから近江がオレを抱えて、熊田とともに部屋までオレを運んだ。その時、熊田は普通にオレの部屋のカギを開けたのだという。


「近江が見てなかっただけでオレの服のポケットから抜き取っただけだろう」


 そう反論すると近江は、


「たしかにその可能性はある。けど、さっきお前の部屋を訪ねた時鍵が閉まってたのはどう説明する?」


 その言葉を聞いてオレは近江が何を言いたいのか瞬時に理解した。


 部屋のカギはオレが持っているものが唯一のカギでスペアはない。つまり、ってことだ。


 オレはさっき自分の部屋にカギを締めたばかりだ。だから他の誰かがカギを持っているということはあり得ないからな。


「つまり、熊田さんはお前の部屋のスペアキーを勝手に作った可能性が極めて高い」


 理由その2――


 熊田はなぜオレが男に襲われている場所がわかったのか。


「お前の話を聞いた限りの情報だと、おそらく位置の特定ができたのはスマホが原因だろう」


「スマホで位置特定……」


 どっかで聞いたような話だ……ってそれもそのはず。その話をしていたのは他でもない近江だ。


 だが、あの熊田にハッキングスキルがあるとは思えないが……


「でも、あくまで可能性だろ?」


「ま、そうだけどな。だから調べてみようぜ」


「はぁ? さっき熊田に確認しようとしたら止めたじゃないかよ!」


「ったり前だろ? ストーカーに『あなたストーカーですか?』って聞いて『はい』って返ってくると思うか? 思わないだろ? だから他の方法で調べるんだよ」


「他の方法って?」


 近江は少しだけ黙った。


「……それは今から考える」


 やっぱこういうとこは近江なんだよな……


 …………


 警察の事情聴取はスムーズに行くと思われたが、結構な時間を要した。別の部屋であの男からも事情を聞いているらしく、並行して互いの話をすり合わせながら進行していった。


 いくつか食い違う点があったが、相手の心証が悪いためか、概ねこっちの言い分が通った。そもそもオレは嘘はついてないから通って当たり前なんだが。


 それでも男が頑なに譲らなかった点がひとつあった。


 それは、だ。


 警告ってのはあの赤い字で書かれた紙のこと。


 オレ自身、警告を受けたのは3回だと認識しているのだが、相手は2回だと言って頑なに譲らなかった。残念なことに、あの警告が書かれた紙はすべて処分してしまったのでそれを証明するすべはない。


 襲われているときも男は2度警告したと言っていたのを覚えている。


 なぜ2回にこだわるのか……


 2回でも3回でもあいつの罪は変わらないはずなのに――ってなことを事情聴取を受けている間ずっと待ててくれた近江に話した。


「なぁ、もし日河を襲った男が本当のこと言ってるとしたらどうなる?」


「え? いや、あり得ないだろ。朝も話したがオレは実際にやつからの警告を3回受け取ってるんだぜ?」


「いやだから、そのうちのひとつはまったく別の人間がやったことになるだろって話だよ!」


 まったく別の人間……?


 なんとなく近江の言いたいことがわかった


「……まさか、それを熊田がやった……とか言わないよな……」


 近江はゆっくりとうなずく。


「マジで言ってんのか!?」


「なぁ、日河。その3つの警告っての、もう一回詳しく教えてくれないか」


 最初の警告はポストに投函されていた『彼女を返せ!』というメッセージだ。次のメッセージは前橋さんを家に送っている時の植木鉢で、内容は『ウワキモノ』だった。最後は近江も実際にそこにいたから知っているはずの、ペットボトルに巻きつけられた紙で『この浮気ヤロウ』と書いてあった。


「――これで満足か?」


「なんで浮気に関するメッセージが2回続けてなのか、日河は気にならなかったのか?」


「そりゃあ、気になったさ。でもあの時はまさかこんなことになるなんて思ってなかったしな。こうなるってわかってたらもっと警戒もしたさ」


 要するにいつも感じていた視線の延長……ぐらいにしか思ってなかったってわけだ。


「熊田さんがやった可能性があるとすれば2番目の警告だな」


「なんでそういい切れる?」


「簡単な推理さ。その男が2回しか警告してないって言ったなら、その2つが同じ内容だとは考えにくい。だとしたら2回の内1回は最初の『彼女を返せ』で決まりだ。んで、残りは2番目か3番目ってことになる。――で、3番目の警告が飛んできた時、熊田さんは美帆と一緒にいた。だから犯行は不可能。それにあの時お前の持ってたペットボトルに対する反応もごく自然だったしな」


「なるほど……」


 だから2番目が熊田の犯行ってわけか。


 2番目というとあの植木鉢だ。一歩間違えればケガでは済まされなかったあの出来事。だが、熊田が本気でオレに危害を加えようとするならばそれはいつでも可能だったはず、それともあわや大惨事になりかねなかった状況は熊田にとっても計算外だったとか。


 仮にそうだったとしても解せないのは、『ウワキモノ』の意味だ。


 熊田はオレに彼女がいないことを知ってるんだから浮気もなにもない。


「……ある」


 近江が青ざめた表情でつぶやいた。


「なんだ? どうした急に?」


「熊田さんが植木鉢を落とした理由ならある」


「ほんとか!?」


「たぶん、狙われたのは日河じゃない。美帆だ!」


 それはオレの想像だにしなかった答えだった。


 熊田は前橋さんと近江が付き合っていることを知っている。その前橋さんがオレと浮気をしていると思った。だからこその『ウワキモノ』。たしかにこれだと辻褄が合う。


「なぁ、もしかしてさ。日河が前に付き合ってた彼女も同じような目にあったんじゃないか?」


「あ……」


 近江の言葉は、そんなまさかと疑う気持ちはなくすんなりと受け入れることができていた。


 ――あなたといると私が不幸になる――


 それはつまり――


「熊田が不幸な目に合わせてた……」


 そういうことなんだろう。


 この段になって、オレはようやく近江の言う『熊田=ストーカー説』を受け入れるようになっていた。


 …………


 熊田がストーカーだった――まだ確定ではないがほぼ間違いない――とわかったはいいものの、だったらどうすればいいのかってのが問題だった。


 それを考えるため、オレはバイト終わりにバイト先のファミレスに近江を呼び出していた。


「まずは引っ越せ」


「はぁ!?」


 近江の初っ端の発言はあまりにも唐突だった。


「なんでだよ?」


「当たり前だろ。熊田さんがお前の部屋のカギ持ってるかもしれないんだぞ。特に理由もないのに部屋のカギ変えたら怪しまれるだろ?」


「たしかに……」


「それに、自由に部屋に出入りできるってことは盗聴器とかカメラとか仕掛けられてるかもしれないだろ?」


「マジかよ……」


 盗撮盗聴って聞くと男がやる犯罪ってイメージで、「まさか――」と思いたくなるが、なまじ自分がストーカーに遭っているだけに、これは真摯に受け止めざるを得ない。


「でも、引っ越したってまた同じことの繰り返しにならないか?」


「だな、だからなんか策を練らないといけないわけだ」


 うーん……と腕を組んで考え事を始める近江。オレが直面している問題は知恵を絞ってどうにかなるようなもんではない気がするが……


「難しい顔してるけど、どうかしたの?」


 たまたま通りかかった剣崎さんが近江の顔を見て声を掛けた。


 今は店内もそれなりに落ち着いている時間帯でお客さんが少ないとは言え、剣崎さんが仕事中に雑談に混ざろうとするのは珍しい。


「あ、剣崎さん。実はですね――」


「お、おい――!」


 無関係の人間を巻き込むのはマズいだろうと思い近江を止めようとする。しかし近江は「いいからいいから」とオレの制止を聞かずに話を続けた。


「最近日河が何者かにつけられてるらしいんですよ」


「あれ? それってこの間のストーカー事件のことよね。あれってもう解決済みでしょう?」


 剣崎さんがオレに視線を向ける。


 オレがあの男に襲われた件に関しては剣崎さんはすでに知っている。オレが傷だらけの顔でバイトに来たとき、何があったのか、どうしたのか、と詰め寄られ洗いざらい話すことになった。


「それとは別なんスよ。――で、どうもそのストーカーが日河の持ってるスマホで位置を特定してるみたいなんですよ」


「GPSアプリってやつね」


「GPSアプリ?」


 近江が首を傾げると、あら知らないのと剣崎さんが説明してくれる。オレもその名前だけは聞いたことあるが詳しい内容までは知らないので耳を傾ける。


 なんでも、そのGPSアプリというのをスマホにダウンロードするとそのアプリを入れたスマホは電源が入っている限りその位置がわかるようになるらしい。


 本来は、スマホをなくしたときに別の端末からその場所を探すためのものらしいのだが、中には悪用する奴がいるのだとか。


「つまりそのアプリを消しちまえば全部解決ってわけか」


 近江はそう言うが、ひとつ気になることがあった。それは、オレはそんなアプリをスマホに入れた覚えがないということだ。


「そのスマホ熊田さんに貸した覚えとかないか?」


 貸した覚え……ならある。


 スマホを新調した際熊田に見せてくれと頼まれ見せた食堂でのやり取りを思いだす。


「あのとき勝手にアプリ入れたってのか……」


「決まりだな。――とにかく、引っ越してアプリを消すってことでいいんじゃないか?」


 オレたちが結論づけようとすると、未だ隣で話を聞いていた剣崎さんが待ったをかける。


「それは危険かもね。アプリを消したら当然相手にもそれがバレるでしょ」


 たしかにそのとおりだ。


 こっちがそれに気づいたことに気づかれたら相手がどういう行動に出るかわからない。


 ――熊田は絶対にオレを傷つけないという保証はどこにもないのだから。


「だったらどっかやっちまえばいいんじゃないか?」


「また無茶なことを……」


「違う違う。よく考えてみろって! お前がそのスマホを手に入れた時の状況を」


 そう言われて、オレは手にしていたスマホに視線を落とす。


 ――オレがこれを手に入れた時の状況?


 こいつがオレの手元に届いた時、このスマホには相手のSIMが挿しっぱなしになっていた。それから電源が点かなくて故障かと思って……


「まさか!?」


「なあ? 気づいたろ?」


「あれってそういうことだったのか?」


「おそらくな」


 つまりオレは、をすればいいってことだ――

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