第5話 束の間の……

 ダブルデート当日。デートコースは遊園地に始まり最寄りの大公園へと移る。


 あの日のファミレスの一件で近江と前橋さんはちゃんと仲直りできたようで何よりだ。


 ただ、近江の作戦とやらはまったくと言っていいほど機能しておらず、遊園地では熊田と前橋さんがあれもこれもと大はしゃぎしていた。


 2人が楽しそうに遊ぶもんだから、オレと熊田が2人っきりになるシチュエーションは皆無だった。


 そんなだから、オレと熊田の仲を縮めるためのプランとやらは、完全に失敗と言えた。


 こっちとしては特に熊田とどうこうなりたいとは思っていないのでそれでもよかったが、始終苦笑いを浮かべる近江がちょっとだけ可愛そうだった。


 結論 ―― 近江は仲人には向いてない。


 遊園地を出たのは昼を結構過ぎた頃で、公園に着く頃にはすっかり夕方になっていた。


 池に面した石造りの階段に座って黄昏れるように夕日を眺める。


「はぁ……」


 隣に座る近江がこっちの気が滅入るような盛大なため息を付いた。


 ちなみに熊田と前橋さんは席を外している。2人が席を外した目的は言わなかったが、大体の予想がつくのであえて聞かなかった。それがマナーってもんだ。


「あいつを連れてきたのは失敗だったか……」


 あいつというのは前橋さんのことだ。


「いやでも、オレと日河と熊田さんの3人じゃメンツがおかしいもんな」


 近江は先程からブツブツと一人反省会を開いているようだった。


 ――にしても、どうして近江はオレと熊田をくっつけようとするのか謎だった。


 仮にオレたちが恋人同士になったとしても近江が得するわけじゃない。それとも、オレの考えが及んでいないだけで得するなにかがあるのだろうか?


 違うな……


 近江はそんな打算で動く人間じゃない。きっと純粋にオレたちをくっつけようとしているだけだ。


 でもオレの気持ちはどうなる。熊田に対して好意を持ってはいるが、これはあくまで好き嫌いの話。恋愛のそれじゃない。


 一方で熊田はオレのことが好きなのかも知れない。でも告白してこないのはきっとオレの気持ちに気づいているからだろう。


 告白されたら多分オレは首を縦に振らない。


 それがわかってるんだ。きっと……今の関係を壊したくないって思いが最後の一線を超えないようにしているのだろう。


 ――っ!?


「――いってぇぇぇぇっ!!!」


 考え事をしているといきなり硬いもので頭を殴られた。


 後頭部を押さえながら振り返る。――が、そこには誰もいない。


「どうしたんだよ急に!?」


 近江も近江で、オレがいきなり大声を上げたもんだからかなり驚いていた。


「いや、なんか、頭殴られた」


「はぁ? ……誰もいないぜ?」


 オレがしたように、近江も周囲を確認する。


「――あ、あれか?」


 周囲を見回していた近江が立ち上がって何かを拾い上げた。そしてそれをオレに向かって放る。


 キャッチしたのは500ミリのペットボトル。未開封で、中身の黒い炭酸飲料は泡立っていた。


「誰かがオレに向かってこれを投げたのか?」


 冗談じゃない!!


 ペットボトルで殴られて人が死んだって話は聞いたことないが、最悪の場合だってありえない訳じゃない。


「くそっ!!」


 後頭部にできた巨大なコブをおさえながら悪態つく。


 どこの誰かは知らんが――マジでふざけんなって!!


 怒りに任せ手にしたボトルを叩きつけようとしたのを近江が止める。


「ちょいタンマ! それ、なんか付いてないか?」


「はぁあ?」


 怒りの冷めないオレの言葉はつい辛辣なものになってしまう。


 言われて、ペットボトルに視線を移す。するとたしかに円形のボトルに巻きつけるようにして紙が張り付いていた。


「なんだよこれ……」


 ご丁寧にセロハンで止めてあるそれを剥がし、広げてみた。


 そこには、赤いマジックで、


 ――この浮気ヤロウ!!!――


 と書いてあった。


「なんだよこれ……」


 もう一度同じ言葉を口にしていた。


 ――浮気?


 思い出すのはあの時の光景。


 前橋さんを家に送ったときに上から降ってきた植木鉢とその中にあった『浮気者!』と書かれた紙。


 ――また? どういうことだ?


「いや……もしかしてこの場合は……。これってまさか近江のことか!?」


 つまりあれだ、本当は近江にボトルを当てるつもりだったのに、コントールが悪すぎてオレに当たったってことか?


「いや、待て待て! オレは浮気なんかしてねぇぞ!」


 慌てて否定するところがちょっと怪しく見えるが、近江がそんなことするようなやつじゃないってのはオレも十分理解している。


 だったらオレたちではない誰かを狙ったとか? でもこの近辺にはオレたち2人以外に人はいない。公園内にはほかにも人はいるが、コントロールを誤ったとかいうレベルじゃないくらい離れてる。


 そうなるとやっぱりターゲットはオレだったってことだ。だがやはり浮気という言葉に心当たりはない。


 なぜ2度も浮気に関する注意を受けねばならないのか……


「なあ、もしかしてあれじゃね? ほら、結構前に話してくれたことあっただろ? 誰かに見られてる気がするって」


 オレが時々感じる誰かの視線。以前その話を近江にしたことがあった。


 もし仮にそうだとしても解せないことがある。


 そいつはってことだ。


「最近なんかしでかしたんじゃないか? 相手の気に触るようなこととかさ」


「その相手が誰なのかわからない以上しでかしたも何もなくね?」


「まぁ、そうだよな……。でも、こう……状況がおかしくなる前と後でなにか変わったこととかないのか?」


 ――変わったこと?


 そう言われてもパッと思いつくようなことはない。


 オレが最初にメッセージを受け取った前後のことを思い返してみる。


 一番最初に受け取ったメッセージは『彼女を返せ!!!』というものだった。これもこれで意味不明だが、そのころのオレの環境で変化したものと言えば……


 ズボンに置いた手。布越しに触れるのはスマートフォン。


 スマホ……


 スマホを買い替えた……


 ――まさか……な?


「ごめーん。ちょっと時間かかちゃって」


 事情を知らない熊田が明るい声を発しながら帰ってきた。前橋さんも一緒だ。


 立ち上がって熊田に向き直りながら手にしていた紙を丸めてズボンのポケットに仕舞う。


 近江と目配せし頷きあう。


 この話はこれで終わり――


「あ! ジュース! あたしも喉乾いてたんだよねぇ」


 なんて言いながら、目ざとくオレの持っていたペットボトルに手を伸ばしてくる。オレは慌てて手を引っ込め、彼女の手をかわす。


「ちょっ! 一口くらいいいじゃん。ケチぃ!」


「もしかして飲み回しが嫌なんじゃないですか?」


 と前橋さん。その言い方だとオレが熊田を嫌ってるみたいなニュアンスだ。


「ないない。昔から普通にやってるし」


 熊田の言う通り。別に今さら間接的にどうのこうの言うつもりはない。そもそもこのボトルは未開封なんだからそんなことはまったく考慮しなくてもいいわけだし。


 ただ問題なのは。こいつにはあの紙が巻き付いていたということ。


 最大級の悪意は殺意だ。一見して未開封に見えるこいつの中に実はヤバ気なもんが入ってるってこともないわけじゃない。


 だからこれを飲ませるわけにはいかない。


「まぁまぁ。そんなに喉乾いてんなら俺がおごるからさ」


 近江が助け舟を出してくれる。


「ホント!? 近江くんはどっかの誰かさんと違って優しいねぇ」


 熊田の言葉がぐさりと胸に刺さる。


 だが今はそれも甘んじて受けよう。最悪を回避するためには仕方のないことだ。 


 それからオレたちは公園の自販機で飲み物を買って、そのまま家に帰る流れになった。


 オレは3人に気づかれぬように、タイミングを見て手にしていたボトルを屑籠に捨てた。


 …………


 電車に乗って、アパートの最寄り駅で降りようとして近江に袖を引かれる。


「待てって。せめて熊田さん送ってけよ」


「あ、そうか」


 本来ここで降りるはずなのはオレだけ。近江は当然前橋さんを送っていくんだから、ここでオレが降りてしまえば熊田はひとりで家に帰ることになる。


 いくら恋愛感情のない相手とはいえ、さすがに女の子をひとりで返すのは男としてダメだ。


 公園でのあのメッセージのせいで頭が回っていなかったとは言えちょっと反省。


 さらに電車に揺られること数分。近江と前橋さんが電車を降りる。


 オレと熊田は2人になった。もちろんほかにも乗客はいるが、この日はいつもより乗客が少なく思えた。


 イスに座って目的地に着くのを待つ。


 はしゃぎ疲れた熊田はオレの方により掛かるようにして夢の世界へと旅立っていた。


 それを見て安心している自分がいた。ずっと起きていられたら、きっと会話をもたせることが出来なかっただろうから。


 昔はそんなでもなかったんだがここ最近は近江のせいで、なんか意識してる自分がいるの気づく。


「……ん?」


 視線を感じる――


 オレはそれとなく車両内に視線を巡らせる。


 だがこちらに目を向けている奴はオレのわかる範囲ではいない。


 僻みの視線か……?


「浮気ヤロウ……か……」


 小さく呟いた。


 実は勝手にオレのことを恋人だと思ってる勘違い女がいて、そいつはオレと熊田が浮気してると思ってるってか?


 そう考えると以前の『浮気者!』って言葉もしっくり来る。


 あのときオレは前橋さんと2人で歩いていた。つまり誰かさんはオレが前橋さんと浮気してると思ったてことだ。


 ――どこのフィクションだよ……


「痛ぇ……」


 後頭部を撫でると、そこにできたコブが、あれはフィクションなどではなく現実だったのだと痛みを伝えてくる。


「――ったく!」


 悪態ついたところで何も変わらない。変わらないけどそうせずにはいられなかった。


 …………


 電車が目的地に着く頃には辺りはすっかり暗くなっていた。


 高校まではオレも実家住まいだったから、この地域周辺の地図は頭に入っている。本当は大学も実家から通うはずだったんだが、「大学生にもなって一人暮らしもせんとは何事だ」と、大学入学を機に親父に家を追い出された。


 熊田の家の前に到着。


「別に駅まででよかったのにさ」


 そういう熊田の表情は満更でもない様子。


 近江が言うように、やっぱり熊田はオレのことが……


「別にいいだろ。それにちょっと懐かしいしな」


 どう返していいかわからず、無理やり話題を変えようとした。


「ありがとね。ほんじゃ、また来週大学で」


「おう」


 熊田が家の中に入っていくのを確認する。


「帰るか」


 近くにあるオレの実家に顔を出そうかとも思ったが、なんの用もないのに帰ったらどやされるのは目に見えていたのでやめた。


 明日は日曜。久しぶりに家でゴロゴロしてるか。


 なんてことを考えながら帰途につくのだが……

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