第4話 這い寄る影
近江が言っていたキューピットってのはつまり遊びに行くことだった。
メンバーはオレと熊田、近江とその彼女である前橋さん。
この4人で遊びに行くことは別段初めてのことではない。
端から見ればダブルデートに見えなくもないこの構図。近江がオレを前橋さんが熊田をサポートして互いの仲を深めようって魂胆なんだろう。
――にしてもよく前橋さんもこんなのに付き合うよな……
だからこそ2人は彼氏彼女の関係が築けているとも言えるが。なにはともあれ2人の思惑はさておいて、せっかくだから当日は素直に楽しむとしよう。
「ほい!」
「うわっとと――」
後ろ頭を軽く小突かれ磨いていたグラスを危うく落しそうになる。
振り返ると、そこには呆れ顔の女性が立っていた。
「危ないですよ。
「ボーッとしてたでしょ? 仕事中だぞ?」
「あ……すいません」
郊外にあるファミレスチェーン店。そこがオレのバイト先だった。
今は昼のピークを過ぎていてお客さんの数はまばらだ。だからってボーッとしていい理由にはならないが、こういうなにもない時間帯ってのはついつい考え事をしてしまう。
「悩み多き年頃かい?」
オレの頭を小突いた剣崎さんはバイトの先輩で、オレより3つ上の女性だ。気立てが良くて誰にでも好意的な態度を取る。そのため、この店では彼女はムードメーカー的な役割を果たしていた。
「そんなんじゃないですよ」
そう言ってグラス磨きを再開すると、来客を告げるドアベルの音が聞こえる。
「オレ行きます。――いらっしゃい……ま、せ……」
扉に向かって声を上げると、アッシュブロンドに染めたソバージュの女性が立っていた。
「前橋……さん……」
――なんで?
それは、近江の彼女である
いろいろと不思議な状況に頭の中が疑問符で埋め尽くされていく。
「はいはい。言った傍からまたボーッとしてない!」
奥から出てきた剣崎さんがオレに変わって前橋さんを席に案内しようとすると、彼女は「あの! 日河さんに相談したいことがあるんです!」と告げたのだった。
その顔はとても深刻そうな表情で、今はバイト中だからと無碍にできるような状況ではなかった。
ちらりと剣崎さんへと視線を移す。すると彼女もことの深刻さを理解したのか。
「ま、お客さんも少ないみたいだし、ちょっとくらい休憩でもしたら。店長に何か言われたら私から事情を説明しとくから」
「ありがとうございます」
「ま、うまくやんなさいよ」
そう言って剣崎さんはオレにウインクして店の奥へ消えていった。
――絶対勘違いしてるぞ……あれ……
まあ、誤解は後でも解けるとして、目下重要なのは前橋さんの相談とやらだ。
さすがに制服のまま客席に座るのはまずいので、オレは一度更衣室へ引っ込んで、着替えてから前橋さんの相談にのることにした。
「話を聞く前に知りたいんだけど。何でオレがここでバイトしてるって知ってたの?」
「それは、以前大介さんが話していたのを覚えていて」
「あ、そうなんだ」
個人情報に関してうるさく言ってた割に他人の個人情報は簡単にバラすんだな……
しかしなんでまた近江ではなくオレに相談なのかと甚だ疑問ではあったが、その理由はすぐに判明することとなった。
「それで相談っていうのは……?」
「実は最近大介さんの様子がおかしくて」
「近江がおかしい?」
「はい。その……」
彼女は言いにくそうに少しずつ少しずつ言葉にしていった。
最近の近江は何かに付けて熊田さんとオレの話ばかりするらしい。2人でいる時も近江が話の主導権を握ると大抵話題はオレと熊田の話。
ああ、なるほど――
その理由に思い当たるフシがあった。それは例のキューピットがなんちゃらってやつだ。
きっと近江の頭の中はオレと熊田をくっつけることでいっぱいなんだろう。
――っつーか、前橋さんにちゃんと説明してなかったのかよ……
「はぁ……近江のやつ……」
悪いと思いつつも前橋さんの前で盛大なため息を付いた。
他人の色恋沙汰にかまけてて自分の方を疎かにするってのは本末転倒じゃないか。
「前橋さんそれはさ――」
――
オレが事の経緯を説明すると彼女の表情から不安の色が消えていた。
「そうだったんですね!」
「うん。オレが言うのも何だけど近江は前橋さんのことちゃんと好きだから」
それに、あいつは浮気できるような器用なやつじゃない。
前橋さんは頬を染め恥ずかしそうにしながらグラスを両手で包み込む。
――女の人のこういう仕草っていいよな……
「――はっ!?」
――いかんいかん。オレは何を考えてんだ!?
邪な考えを振り払うようにして頭を左右に振るオレを、前橋さんが不思議な顔で眺めてくるのだった。
――
その後オレは近江に連絡を入れ事情を説明し彼女を迎えに来るように言った。しかし、近江は近江で忙しいらしく、迎えに来れるとしてもかなり遅い時間になってしまうのことだった。
すると、前橋さんは「一人で帰えれますから」と店を出ていこうとする。
外はまだ明るく、女の人が一人で出歩いてもさして問題ない。そもそもここまで一人で来たんだから一人で帰るのくらいわけないだろう。
「ダメに決まってるでしょ! 彼女を一人で帰らせるなんて!」
話がまとまりかけていたところに勘違いしたままの剣崎さんが横槍を入れてくる。
「ちゃんと送ってあげなさい!」
「いや、でも、バイトが。それに前橋さんは――」
「そっちは私がなんとかしてあげるから。ほら、行った行った!」
結局オレは前橋さんを家まで送る羽目になった。
…………
店を出ると、
「――ん?」
誰かに見られているような感覚。
――またかよ……
「あの? どうかしたんですか?」
「あ、いや、なんでもない」
そう言って、オレは誤魔化すように歩き出した。
「なんだか、すいません。私の早とちりのせいで」
「いや、いいよいいよ」
悪いのは近江だ。
――今度あったら埋め合わせしてもらわないとな。
駅に向かって2人並んで歩く。
――にしてもだ、友達の彼女と2人で歩くってのは不思議な気分だ?
見る人が見たら勘違いするんじゃないだろうか。
「あっ!!」
「え!? どうしたんですか!?」
「いや、大したことじゃなくて……」
この状況。近江の知り合いとかに目撃されて間違った情報が近江に伝わる可能性がある事に気がついた。
先手を打つべく、オレはスマホを取り出し再度近江に連絡する。
『おう。どうした? さっきも言ったけど今忙しくて――』
「うん。それはわかってる。だからオレが前橋さんを家まで送るってことになったから。それを伝えておこうと思って」
『お? そうか。悪いね』
「そう思うんなら今度――」
突然、直ぐ傍で、ガシャン――
という音が聞こえてきたかと思うと、
「きゃあっ!?」
前橋さんが悲鳴を上げてオレの腕にしがみついてきた。
音の出本を確かめると、そこには割れて中身が散乱した植木鉢があった。
――なんだ……? 落ちてきたのか……?
上を見上げてみる。道沿いにあるのはテナントビルで、ところどころベランダが突き出している。
誰かが誤って落としたならこちらを覗き込んで謝罪の言葉を叫ぶなりしてもいいはずだが……そんな様子はない。
『おい!! どうした!? 今美帆の声が』
電話の向こうで前橋さんを心配する近江の声が聞こえてくる。
「う……上から、落ちてきた……植木鉢」
呆然としたままそれだけを口にした。
周囲にいた人も何事かと集まってきている。
『植木鉢? おい、大丈夫かよ!』
「あ、ああ。オレも前橋さんも大丈夫だ。問題ない。――ちょっと切るな」
『あ、おい――』
オレは通話をを切った。
植木鉢の残骸の中に明らかにおかしな物があるのが目についたからだ。
今だしがみついている前橋さんをやんわりと引き離し、“それ”が何なのかを調べてみる。
「紙だ……」
四つ折りにされた紙。それを拾い上げて開いてみた。
そこには、
――ウワキモノ!――
と書かれていた。
ウワキモノ……浮気者のことだろうか……
赤いボールペンで何度も何度も重ねて濃くした文字。マジックとボールペンの違いはあれど、以前目にした『彼女を返せ!!!』と似たような印象を受ける。
――じゃあ何か? あのメッセージは本当にオレ宛だったってのか? そして、この植木鉢はオレを狙ったものだったと……?
だがわからない。
浮気と言われても、オレには付き合っている彼女はいない。何をもって浮気していると判断されたのか皆目検討もつかない。
それに、今回に関して言えば、一歩間違えればオレじゃなくて前橋さんに植木鉢が直撃していた可能性だって十分に考えられる。
犯人は一体何を考えてるんだ?
「……あの? なにがあったんですか?」
しゃがんでいたオレに尋ねてきたのはスーツの男性だった。
「いえ。何も」
咄嗟に紙を丸めてズボンのポケットにねじ込む。立ち上がり、前橋さんの手を引いて逃げるようにその場を後にした。
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