第2話 視線
翌日、オレは大学へ行く前にスマホケースを買うために最寄りの家電店へと足を運んだ。
しかし――
「え? 置いてないんですか?」
「はい」
オレのスマホに対応したケースは取り扱っていないとのことだった。さらに、メーカーに問い合わせてもらったところ、現在は生産をしておらず、市場にある分しかないそうなのだ。
――こういうのは中古あるあるだよな。
たしかにこのスマホは最新型ではないが、別にそこまで古いってわけでもない。ただ、あまり数が出なかった商品らしく、そうなると必然的にそれに対応したアクセサリ類も数は絞られるってわけだ。
文句を言っても仕方ない。よく調べなかったオレにも責任はあるし、仕方ないと諦めることにした。
――
店を出て、ふと誰かの視線を感じる。
周囲を見てもオレに視線をくれている奴を確認することは出来ない。
――またか……
誰かの視線を感じるのは今に始まったことじゃない。以前から度々こういう事はあった。
オレがそれに気づくようになったのは大学に入って一人暮らしを始めた頃からだ。
最初は一人暮らしを始めた不安から神経過敏になって、ある種の妄想に取り憑かれてそういうものを感じるようになっただけだと思っていた。
しかしながら、それは3年経った今でも続いている。
ただ、その正体を突き止めてみようとは思わなかった。理由は、視線を感じること自体が極稀であること、特に実害がないからだ。
実害がなければ警察に相談することも出来ない。それこそオレの勘違いで終わらせられそうな案件だ。
それに、人間、同じ様な状況が続けばいつの間にか慣れてしまうものだ――
「さて、と」
気を取り直して、オレは大学へと向かうことにした。
…………
本日最初の講義が終わり、次の講義まで一時間以上時間が空く事になった。その時間を利用して、出された課題を少しでも進めておくため、学内に併設された図書館へと移動する。
その途中、オレは熊田に声をかけられた。
「お!? モッチーじゃん!」
――まぁ、学部が違うので、大学に入ってからは顔を合わせる機会は少なくなったけど。
ちなみにモッチーってのはオレのこと。オレの本名は
「こんなとこで何してんの?」
「次の講義まで時間空くから図書館でレポート」
「へぇ、偉い偉い。――あ、そだ、モッチーってばスマホ変えたでしょ?」
「――え? なんでわかんだよ……」
熊田はふふーんと背を反らせ、「何でもお見通しなのです!」と、鼻を高くする。
熊田は昔からこういうとこがある。オレがどこで何してたとかってのをそのものズバリ言い当ててくることも少なくない。
そういうときは大抵人伝にオレの情報を仕入れてたり、実は同じ場所にいたりとかするんだが……今回のはいくらなんでもレベルが高すぎだ。
「ほんじゃ。あたし次あるから。今度新しいスマホ見せてね!」
そう言って、手を振りながら去っていく。
オレはその場で立ち尽くし、ポケットに入れていたスマホを取り出す。
――ピンク……
これを見せたときの熊田の反応は大体予想がつく。
きっと涙を浮かべてゲラゲラとバカにしたように笑うに違いない。
もっとよく考えて買うんだったと、後悔の念が再び湧き上がってきた。
…………
大学の帰り、友人の
「ピンク、ねぇ……」
テーブルを挟んで向かいに座る近江がオレのスマホを矯めつ眇めつしながら呆れたように言う。
「安物買いの銭失いって知ってるか?」
近江にはオレがこのスマホを手にした経緯をすでに説明済みだ。
「いやでも、マジで安かったからさ。それに、普通に使えてるぜ?」
「お前が納得してんならそれでいいんだけど。ま、苦学生の辛いとこだな」
オレは今一人暮らし中で、金銭的な事情はかなり深刻に考えないといけないレベルだったりする。
対して、近江や熊田は実家組。この2人には一人暮らしの苦労はきっとわからんだろう。
「つか、ガラケーって選択肢はなかったのか?」
「いや、あれって意外と値段するだろ?」
「本体はそうだが月額料金が破格だぜ? プランによっちゃ月額3桁で足りるぜ」
「どういう使い方したらそんなに安くなるんだよ」
「決まってんだろ? 使わなければいい」
近江は持っていたオレのスマホをこちらに差し出す。
「そっか」
近江は未だにガラケーを使っている。しかも、オレ以上に携帯の使用頻度が少ないからその安さを維持できているのだろう。
「つか思うんだけどよ。スマホとか持ち歩いてて怖くねぇの?」
「怖い?」
「だってよ。スマホって言っちまえば個人情報の塊だろ? 落としたりしたらシャレにならんぜ?」
近江の言いたいこともわからないでもない。例えばオレなんか、面倒臭がってロックとか掛けてないしな。
「しかもあれだろ? 変なバナーとか誤タップして知らん間にわけわからんアプリダウンロードしてたりとかあるって聞くぜ?」
「最近はそういうの少ないぞ」
「しかもだ!」
近江が一際声を大きくして人差し指を立てる。幸いにして、夕方のファミレスは混み合っており、近江の声はその喧騒の中に紛れ、注目を浴びるようなことはなかった。
「――俺は矛盾してると思うんだよな」
「矛盾? 何がだ?」
「ほら、やたらと個人情報がー、プライバシーがー、て騒いでる連中いるだろ? でも考えてみろって、そういう奴らも結局スマホで地図アプリとか使うわけだろ?」
「便利だからな」
すると近江はチッチッチと口の前で立てた人差し指を左右に振った。
「あまいぜお兄さん。地図アプリってのは、GPSと自分のスマホが直接繋がってるわけじゃなくて、間にアプリの運営会社を経由してるわけだろ? 要は自分の位置情報を逐一その会社に教えてるわけだ。それって自らその会社に個人情報を渡してるってことにならないか?」
「た……たしかに」
そんなこと考えたこともなかった。
「もちろんコンプライアンス的に社内で悪用はできないようになってんだろさ。でも人間だぜ? 中には魔が差す奴だっているだろうし、ハッキングでもされたらそれこそストーカーとかやり放題だぜ?」
プログラムとかハッキングとかは正直門外漢だ。ただ近江の言ってることは概ね正しいように思えた。
相手の端末のIDさえわかっていれば、サーバーにある情報を元に相手の居場所を特定できるというのはありそうだ。
「なのに平気で地図アプリとか使ってる奴の気が知れんね。だからガラケーで十分。自己防衛ってやつだ」
そう言って、注文していたアイスティーに口をつけた。
ストーカー……か。
近江の口から出たその言葉であのことを思い出す。
いい機会だと思ったオレは例の件を近江に話してみることにした。
――――
「――んなもん、あるわけねぇって」
「いやでも、殺されるって出てきたんだぜ? 切羽詰まってる感じがするんだよ」
「たかが文字だろ? そこに感情はないはずだぞ。それに、元の持ち主が漫画家とか小説家のパターンだってあるだろ?」
「はぁ? どういう意味だよ?」
「だから。思いついたネタとかをスマホにメモってたんじゃね? ――ってことだよ。ほら、ミステリーだったらストーカー殺人なんてド定番だろ?」
なるほど……
メモ代わりに使っていたというのは案外あり得るかもしれない。
だがそうなると、もっとたくさんそれっぽい単語が予測変換の候補に出てきてもいいはずじゃないか? ――とも思わなくはない。少なくともフィクションっぽい固有名詞は出てこなかったはずだ。
「それよりもだ!」
近江は、その話はこれまで――とぶった切る。
「熊田さんとはどうなってんだ?」
「なんでいきなり熊田が出てくんだよ」
すると、近江はオーバーなアクションで額に手をやる。
「かぁー。わかってねぇなお前は。少しは進展したかって言ってんの」
「進展も何も――」
熊田はあくまで幼馴染。決して恋人同士とかではない。さらに言えばオレ自身熊田のことをそういうふうに見たことはない。
「マジで言ってんのかよ……熊田さんは絶対お前に惚れてるぜ」
「まさか」
多分それはない。
ちょっと前までオレには彼女がいた。その時熊田はオレと彼女の仲を応援するような言動をとっていたし、あいつも「あたしもカレシ作ろっかなー」とか言ってたし。
「そりゃお前、そう言うしかないだろ? 彼女ができたんだって言われて「その女と別れて私と付き合え」なんて言えないだろ」
「まぁ、な……」
「それに今はフリーなんだろ? だったら考えとけって」
彼女か……
以前付き合っていた彼女との交際期間はたった半年。オレにとって初めての彼女だった。
それなりに上手くいってたのは最初の三ヶ月くらい。その後急に彼女の態度がおかしくなって、『オレと付き合うようになってから身の回りで変なことが起こるようになった』と言われた。
オレは彼女のその言葉を特に真剣に受け止めることもなく「そんなバカな」の一言で軽く流してしまった。多分これが駄目だったんだろう。その結果半年という短さで別れることになった。
最後に言われた言葉は「あなたといると私は不幸になる――」だった。
めちゃくちゃヘコんだ。
でも本当にオレが悪かったのか、とも思う。
――だってそうだろ?
オレといると変なことが起こるってことは、それを解決するためにはオレといないことを選ぶしかないんだから。その問題はどうやってもオレには解決できなかったってことだ。
それとも、遠回しにオレといるのが嫌だと言われていたのだろうか……
「ってなわけで、俺がキューピットになってやろう」
「は?」
「取り敢えず俺に任せておけ。少なくとも熊田さんの気持ちを知っておくのも大事だろ。な?」
何を企んでるのかはしらないが、近江のニヤけ面を見るに、何かよからんことを考えているのは間違いなかった。
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