第16話正体

 雪之介の脇腹からどくどくと血が溢れ出す――そのまま倒れる彼をつまらなそうに見下す、少女あやめ。


「骨のある男だって聞いてたけどねえ。案外隙だらけだったわ」


 あやめは無造作に短刀を投げ捨てて、後ろで一部始終を見ていた、今はあまりのことに呆然としている菜花に声をかける。


「ここに来るまでに二十回は殺せた。そのくらい油断しきっていたしね。あの御館様が抹殺にご執心なさっていた、絡繰奇剣の雪之介にしては、初対面の子どもを信用しすぎじゃないかしら?」

「あ、え……? あやめ……?」

「あやめは偽名よ。本当の名は美月……あなたもすっかり騙されていたって顔をしているわね」


 饒舌に語るあやめ――美月は雪之介から離れて、菜花に近づく。

 正面に来て、子どもとは思えない残忍な笑みを見せる。


「あなたが信用してくれたおかげで、雪之介を殺せたわ。本当に――ありがとう」

「――っ!? 雪之介!」


 菜花は弾かれたように、美月を押しのけて、雪之介の元に駆け寄る。

 雪之介は苦痛で顔を歪ませている。息も荒い。


「そんな……! ねえ、嘘でしょ!? さっきみたいに騙しているんでしょ!?」


 菜花の喚き声に美月は「そんなわけはないでしょう」と冷たく言い放つ。


「ちゃんと急所を刺した。もう長くないわよ」

「な、なんで、なんでお前が、雪之介を!」


 雪之介を抱きかかえて、傷口を押さえながら、厳しい口調で問い詰める菜花。

 美月はやれやれと肩を竦めた。


「一から説明する義理はないけど、教えてあげる。私が小田原の豪商の娘だっていうのは大嘘。雪之介と接触させたごろつき――まあ私の部下なんだけど――がさりげなく嘘言ったわけ。まあ、その部下もその夜に雪之介に殺されちゃったけどね」


 そう。宿屋に泊まったときの襲撃者は昼間のごろつきだった。雪之介にとって不運なことに、顔が割れる前に死んでしまったので身元を確認できなかったのだ。


「人質交換所の檻に入ることも、役人が持っている台帳に細工することも、私たちにとって容易いことだったわ。後は信用するまで、あるいは油断するまで傍にいて、殺す機会と好機を窺うだけ……」


 このとき美月は「部下がたくさん死んじゃったのは誤算だったけどね」と顔をしかめた。


「本来ならもう少し信用させてから殺せば良かったけど、なかなか心を開かないのよね。面倒になったから殺しちゃった」

「……子どもの癖に、残忍なことを考えつくのね」


 菜花の怒りを込めた声に、一瞬きょとんとして、それから大笑いする美月。


「あっはっは。私、あなたたちに年齢の話したかしら?」

「……なんですって?」

「私、これでも三十を越えているのよ」


 美月は見た目に似合わない大人びいた声で返す。

 そして大きく柏手を打った。


「零次郎(れいじろう)! 来ているんでしょう?」

「……はっ。我が主」


 零次郎と呼ばれたのは、長身の男だった。近くで話を伺っていた――いや、最初から尾行していたのだろう。彼は木陰から出てくる。

 また、他の七人の忍びも茂みや木の上から姿を現す。


「雪之介を殺したわ。さあ、さっさと帰りましょ」

「……我が主。まだ首を取っておりません」


 零次郎が指し示すのは倒れている雪之介。

 菜花は彼の身体をぎゅっと抱きしめた。


「ああ。そうねえ……さっさと取りなさい」

「分かりました……おい、首を落とせ」


 忍びの一人が菜花たちに近づく。

 忍びは菜花を侮っているのか、何の警戒もしていない。


「……ちょっと待って。じゃあ、雪之介が罪人だってことも、嘘なの?」


 思わぬ菜花の問いに美月はあっさりと「それは本当よ」と答える。


「零次郎には本当のことを話すように言ったわ。冥土の土産って奴ね」

「……そう、なんだ」


 菜花は改めて事実だと知ってうな垂れる。


「さあ。帰りましょうか。御館様に褒められるわよ――」


 嬉しそうに微笑む姿は純真な少女そのものな美月。

 零次郎が跪いて同意した――肉を斬る音がする。

 美月と零次郎、六人の忍びが各々音のほうを見ると、そこには短刀を近づいた忍びの胸に突き刺した菜花の姿があった。


「でりゃああああ!」


 気合を入れて、短刀を引き抜く菜花。

 血飛沫が菜花にかかるがそんなことはどうでも良さそうに敵を見据える。

 持っている短刀は、さきほど美月が捨てたものであった。


「……はあ。殺すつもりだったけど、どうやら苦しんで死にたいようね」


 溜息を吐いて、美月は部下に命ずる。

 悲しいくらい、残酷な口調で、命じた。


「――殺しなさい」


 零次郎以外の六人の忍びが弧を描くように菜花に寄る。

 菜花は素早く殺した忍びから刀を奪って、二刀を構えた。

 彼女自身、二刀を用いたことはなかったが、今はこれが最適だと考えていた。

 事実として一対多数の戦闘においては有効な手段だ。

 両手ではなく、両腕を大きく広げることで、後方からの攻撃も、横からの挟撃も対処できる。

 菜花は右の敵に対して右手の大刀を振って牽制し、左の敵に対して左の短刀を突くように見せた。

 忍びたちは思うように仕掛けることができなかった。もし自分が先陣をきって菜花を攻撃すれば、確実に斬られる。無論、その後に斬りかかれば殺すことは容易だが、誰でも自分が犠牲になるのは厭うものだ。


「何しているのよ! たかが女一人じゃない!」


 美月は喚くものの、忍びたちは動けない。

 それもそのはず、菜花自身知らないことだけど、彼女に流れる血は、剣聖と謳われるほどの兵法家、塚原卜伝なのだから。

 さらに言えば、菜花は自棄になっていた。一人でも多くの敵を殺す。それしか考えていなかった。

 ただ一心に敵を倒すということだけが、菜花を突き動かしていた。


「お前。何故戦う? もはや勝ち目はないぞ」


 零次郎が菜花に声をかけた。少しでも集中力を削ごうとしているのだ。


「…………」

「雪之介を差し出せば、お前を助けてやる」


 零次郎は嘘を吐いた。差し出したところで仲間を殺めた菜花は許せない。殺すことは確定している。


「もう雪之介は助からない。ここでお前が差し出そうとも、いずれ死ぬ。ならばお前がしていることは、無意味ではないか?」


 淡々と言葉を紡ぐ零次郎。

 対して菜花は答えない。

 黙って忍びたちを見据えている。


「お前は何のために戦っているのだ? まったく理解できない――」


 零次郎が溜息を吐いたとき、菜花はこんな絶体絶命な状況なのに――笑った。


「何のため? 決まっているでしょう? ……雪之介のためよ」


 菜花は零次郎だけではなく、美月にも聞こえるように、大きな声で叫んだ。


「こんなあたしを助けてくれた! 雪之介を助けるために! あたしは戦っているのよ!」


 零次郎たちには分からないだろう。菜花の村の事情や彼女自身の思考など。

 それでも退かない覚悟は――伝わった。


「勝ち目がない? 雪之介が助からない? それはあたしが戦わない理由にはならない! あたしは最後まで戦う! 絶対に――諦めない!」


 強い決意。美しさすらあるその燃えるような心に零次郎は目を細めた。

 そして彼にして珍しい決断をすることになる。


「いいだろう。お前ら退け。俺が殺してやる」

「ちょっと零次郎。何言っているのさ」


 呆れたように美月は言うが「このままでは埒が明きません。我が主」と零次郎は言う。


「後でお叱りを受けますので」

「……手短にやりなさいよ」


 美月の許可が下りた。彼女は微塵も零次郎が負けるとは思わなかった。

 零次郎は刀を抜いた。そして上段に構える。

 菜花は短刀を捨て、両手で大刀を握り、八双の構えになる。

 周りの忍びたちは、何もしない。いや、できなかった。

 ――死闘が始まる。

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