第15話権謀術数

「雪之介! 雪之介! 雪之介――」


 何度も名を叫ぶ菜花。しかし彼は倒れ臥したまま、ぴくりとも動かない。

 長身の男は三人の部下のうち、二人に様子を見るように促した。自分が菜花を、もう一人があやめを逃がさぬようにする。

 このとき、長身の男は油断など無かった。


「まだ息があるかもしれん。それに死んでも生き返るかもしれん。念のため、首を刎(は)ねよ」


 部下は長身の男に向けて頷いた。もっとも、彼らはそこまでする必要があるのかと疑問に思ったが、そんなことはおくびにも出さない。

 彼らは忍び。どこまでも命令に忠実であった。


「あ、ああ、ああああ……雪之介……」


 菜花が崩れ落ちそうになるのを、長身の男は無理矢理立たせた。

 もはや人質には何の価値もない。

 雪之介の死亡が確認できたら、殺すつもりだった。

 いや、元々雪之介を殺すのだから、どの道生かすつもりはなかった。


 部下が慎重に雪之介に近づく。その距離、数歩――


 このとき、長身の男は違和感を覚えた。

 いくらこちらが不意討ちしたとはいえ、御館様が抹殺に執心していた、あの雪之介がこうもあっさりと死ぬだろうか?

 それに弾は遠目から見ても頭部ではなく、胴体に当たっていたと分かる。

 何故なら、頭部から出血は確認されていない。それに遠くから狙うとしたら胴体だ。そちらのほうが当たりやすいし、もし当たらなくても動きを止められるからだ。


 しかし――二発当たったからといって、あの雪之介が何もせずに死ぬのか?

 自分たちがとんでもない思い違いをしている予感――否、悪寒がしてならない。

 もしかして、外れたのではないか? いや、それはない。ちゃんと金属音が――


 金属音?


「五平、三吉! 雪之介は――」


 長身の男が生きていると叫ぶ前、二人の忍びが大声に思わず雪之介から目を切った、まさにそのとき、雪之介は立ち上がった。

 そして腰の絡繰奇剣を抜いた――まるで蛇の如く二人の忍びに襲いかかる!


「ぐはあ!?」


 三吉と呼ばれた忍びは喉を掻っ切られた。しかしもう一人の忍び、五平は両腕を喉元の前に置くことで何とか防御する。

 五平は距離を取った――仲間にまた雪之介を狙撃してもらうためだった。

 はっきり言えば判断は間違っていないものの、後の展開を考えると悪手だったと言わざるを得ない。

 距離を取ったせいで――雪之介が懐から取り出した玉、つまり煙玉を使わせてしまい、なおかつ雪之介の位置を把握できなくなってしまった。もし、大怪我を覚悟で距離を詰めていたら、五平は雪之介に文字通り接戦できただろう。しかし煙幕により視界を阻められたことで、迂闊に動くことができなくなり――結果的に位置を覚えていた雪之介の操る絡繰奇剣の餌食となってしまった。


 煙幕は長身の男のところまで届いていた。

 もう一人の忍びを背中合わせになり、死角を固める。想定外の事態だが、それに対応するのも忍びの技だった。

 

 長身の男は考える――動くべきか動かざるべきか。

 無論、動くべきだろう。目測でだいたいの位置は捉えているはずだ。ここは逃げの一手しかない。煙幕を張られてしまったら味方に当たるかもしれない火縄銃も使えない。

 だが少し待つべきだと長身の男は考えた。何故なら――


「雪之介、あたしはここよ!」


 菜花が叫び終えたとき、長身の男は菜花を殴りつけて気絶させた。

 これでいい。雪之介は声のしたほうに向かうはずだ。

 残り一人となった部下に手で触って、一緒にその場を離れるように命じた。部下はあやめを連れて、長身の男の後方を歩く。煙幕が張られていても、移動ぐらい忍びにとっては容易かった。

 煙幕が徐々に晴れてくる。さきほど菜花に声を出させたところに、人影らしきものが見えた――雪之介だ!


 長身の男と部下が一斉にクナイと棒手裏剣を投げる。

 人影が倒れる。まだ油断できない。雪之介は銃弾を受け止めたのだから――


「……そこに居たのか」


 雪之介の声。


「ぎゃあああああああああ!」


 部下の断末魔。そして血飛沫。

 不味い! 殺される!

 そう感じた長身の男は菜花を突き飛ばして、煙幕が薄まった後方へと下がる。

 完全に煙幕が晴れたとき――長身の男が愕然とした。


 菜花とあやめが居ない? しかも雪之介も居ない!?

 さっき雪之介が倒れた場所に目をやる。

 そこには人型の絡繰人形が倒れていた――


 雪之介は――怪我を負っていた。

 具体的には肋骨が二本折れていた。当然、銃弾によって、砕かれていた。

 雪之介は銃弾を防いでもいないし、避けてもいなかった。

 ただ受け止めただけだった。身体に着込んだ鎖帷子(くさりかたびら)と仕込んだ鉄板の二重防御でなんとか耐えただけだった。

 しかし銃弾の威力までは殺せない。倒れたのもそれが原因だ。

 本来なら火縄銃の次の発射前に動く予定だったが、あまりの痛みに動けなかったのだ。


 けれど、怪我を負ってなお、忍びを三人殺し、菜花とあやめを奪い返したのは見事としか言いようがない。絡繰をいろいろ使ったものの、基本的には一人で行なったのだから。

 雪之介は気絶した菜花を背負い、あやめと走らせて、道無き道を走った。しかしその速度は遅い。あやめに合わせてあるし、前述したとおり怪我を負っていることもある。


「はあ、はあ……ちょっと、待って……」


 あやめが息を切らしながら、限界を告げる。

 雪之介は足を止めて、その場に座り込んだ。


「……菜花を起こせば、良かったな」


 そう。菜花を起こして、彼女にあやめを背負わせて走ればいい。ようやく気づいた雪之介は菜花の顔を叩いた。


「大丈夫か、菜花」

「うーん……」


 手加減無く殴られていたので、しばらくは目を覚まさない……雪之介はとりあえず、彼女が目を覚ますまで待つことにした。次第に怪我した部位に熱が出てきたが、薬の類を持っていない彼には、どうすることもできない。

 かといって、菜花のように寝ることもできない。

 彼は鎖帷子と鉄板を脱いで、近くの木に立ったまま寄りかかった……




 菜花が目を覚ましたのは、朝日が昇ってきた頃だった。


「……っ!? 雪之介は!?」


 目を覚ますや否や、開口一番に叫んだのは、雪之介の安否だった。


「……俺はここだ」


 菜花から離れたところで、雪之介は立っていた。


「雪之介……! 銃で撃たれたけど、大丈夫なの!?」

「ああ。平気だ」


 菜花は真っ青な顔色を見て、それが嘘だとすぐに分かった。


「……ごめん」

「謝るな。それより急ぐぞ」


 雪之介は何でもないことを表すように平然と歩き出す。


「そこの娘を担いでくれ」


 雪之介は疲れて寝ているあやめを指差す。


「う、うん。分かったわ……」


 あやめを背負う菜花。

 それから黙って歩く雪之介に近づいて「ありがとう」と呟いた。

 もちろん、返事はなかった。


「そういえば、いつも背負っている大箱はどこにあるの?」


 菜花が雪之介の隣を歩きながら訊ねる。


「……隠してある。邪魔になるからな」

「そうなんだ」


 短い会話だった。

 菜花は「鉄太はどうしているの?」と気まずい雰囲気を無くそうと訊ねた。


「あいつとは別れた。これ以上、危ない目に遭わせたくない」

「……あたしとも別れるの?」


 菜花は内心、嫌だなあたしは。このままあたしを見捨てるはずがないと分かっているのに。と思っていた。


「今しばらく傍にいてやる。お前はあいつらに顔を覚えられた。安全な場所まで同行する」


 案の定、不器用な気遣いを見せる雪之介。

 菜花はふうっと溜息を吐いた。


「……お姉ちゃん。起きたんだ」


 あやめが目を覚ました。すると菜花は「起こしちゃったかな?」と優しく言う。


「お姉ちゃんも疲れてるから、私、歩く」

「無理しなくていいよ」

「無理しているのは、お互い様」


 それもそうだと思い、菜花はあやめを下ろして、一緒に手をつないで歩く。


「村が見えたな」


 雪之介が指差したのは、甲府の町に近い、のどかな村だった。

 これでやっと安心できる。菜花の気が緩んだ。


「わあ。村だ! 早く行こう!」


 無邪気にはしゃぐあやめ。疲れていたとは思えない早さで菜花の手を離れ、雪之介の隣を通り過ぎようとした――





「油断大敵だよ、雪之介ちゃん」


 さくりと腹に突き刺さった短刀。

 雪之介の身体が揺れる――


「いくらなんでも、少女の刺客が居ないなんて、思わないことだね」


 そう言って短刀を引き抜く少女――あやめ。


「えっ……?」

「やれやれ。猿から聞いてたのと話が違うじゃないか。ま、所詮は絡繰技師なわけよ」


 あやめは少女らしからぬ、とても残忍な笑みを浮かべた。


「化かしあいなら、忍びのほうが上手(うわて)だわん」

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