第13話離散

 襲撃者二人は雪之介を簡単に殺せるとは思っていない。

 それは彼らの主によく言い含められていた。そもそも、楽に殺せるのなら、彼らが事前に頂戴した金額に合わない――命の代金に見合わないのだ。

 だからこそ、有無を言わさず、言葉も交わさずに、何をするでもなく、何をされるまでもなく、殺す必要があった。


 しかし、そんな彼らにも誤算があった。

 その覚悟があるのなら――直接殺すのは避けたほうが良かった。

 数ある方法の一つだが、宿屋に泊まっていることを知っているのなら、宿屋を焼けば良いのだ。

 もちろん、火が燃え移れば甲府の町に甚大な損害を与えることになるが、彼らの腕を考えれば、手段など選ぶ余裕などなかった。


 それに、二人が布団に刀を突き刺したとき、確かな手ごたえを感じたことも、彼らの敗因であった。そこであろうことか、油断をしてしまった。達成感という名の油断。それは数々の暗殺を避け、数々の刺客を退けた絡繰奇剣の雪之介に対して、大きな過ちと言っても仕方のないことだった。


「……虚しいな」


 その声は窓際から聞こえた。

 そう認識して布団から目を切った――布団が跳ね上がり、襲撃者二人は後方へ跳ね飛ばされた。


「――っ!?」


 襲撃者の内の一人は布団から少し距離が離れていたので、雪之介が作った絡繰人形の餌食にならなかった。

 もう一人の襲撃者は近すぎたせいで、絡繰人形に抱きしめられた。

 そう。身体の正面に刃物の棘が付いた、絡繰人形に強く激しく抱きつかれたのだ。


「――、…………」


 犠牲となった襲撃者は断末魔の悲鳴すら上げられなかった。顔面と喉笛にも棘が絡みついたからである。おそらく激しい痛みによって死んでしまった相方から目を逸らして、襲撃者は懐からクナイを取り出して雪之介に投げつけた。


 雪之介は素早く手袋を付けた右手を挙げた――指先を複雑に動かして、絡繰人形と繋がっている糸で操作する。

 絡繰人形は死体から離れて、クナイから雪之介を守った。

 その際、絡繰人形の全貌が露わになる。

 女性を模した人形。表情は菩薩のような柔和な笑顔で、それがおそろしくておどろおどろしい。笑顔であればあるほど、身体に身につけた刃の棘が残酷に思える。


 襲撃者は絡繰人形の吐き気を催す造りを見て、心底怯えて臆してしまった。はっきり言って彼は忍びである。忍びは長年の鍛錬によって、どんなものでも恐れを抱かない。痛みや苦しみ、死すらなんてことなく受け入れられる。

 だが、現実にないものや想像のできないものを受け入れる度量はなかった。今、目の前にある『おぞましい創造物』は遥かに彼の許容を超えた。


「ひ、ひいい――」

「……お前、怯えているのか」


 思わず漏れた嗚咽とずばりと言い当てられた心中。

 彼の身体は――硬直した。

 雪之介は絡繰人形を操作した――人形の口が開いて、槍が飛び出した。

 槍は忍びに肩を貫き、離さなかった。

 そしてゆっくりと、とてもゆっくりと、槍を引き戻す。


 忍びの精神は恐慌状態になっていた。

 槍は先が釣り針のように引っかかるようになっている。どうやっても抜けない。

 槍を斬りおとす? 刀は人形に突き刺さっている。クナイでは斬れない。

 早くしないと。早くしなければ。

 相方と同じ目に遭ってしまう――


「う、うわああああああああああああ!」


 忍びは絶叫して、腰に付けた火薬袋に連なる火縄に火を点けた――




 今まで聞いたことのない大きな音で鉄太と菜花、そしてあやめは起きた。


「な、なんだあ!?」


 鉄太の間の抜けた声。菜花は咄嗟にあやめを抱きしめた。

 襖の隙間からもくもくと煙が入り込んでいる。

 鉄太はくんくんと嗅ぐと、それが火災の臭いだと気づく。


「火事だ! 菜花のねーちゃん、荷物を持って、窓から逃げよう!」

「わ、分かった――雪之介は!?」


 菜花は震えているあやめを背負いつつ、雪之介の安否を訊ねる。

 鉄太は大急ぎで荷物をまとめながら「……分からない」と言う。


「とりあえずねーちゃんたちは逃げて。俺は残って兄貴を――」

「その必要はない」


 鉄太が襖を開けようとしたとき、窓の傍から声がした。

 振り返ると、そこには長身の男が立っていた。全身黒ずくめで頭巾と覆面で顔を隠している。でも声から男だと分かった。


「二人は失敗した。だが手間は省けそうだ」

「お、お前――」


 菜花が枕元に置いた刀を取ろうとするが、あやめをおぶっていたので、動きが遅い。

 その隙に長身の男は菜花の頭を思いっきり殴りつけた。


「菜花のねーちゃん!」


 鉄太の絶叫。菜花は倒れてしまう。そして軽々と長身の男は菜花とあやめを抱える。


「いや! 放して!」

「暴れないほうがいい。そこの坊主。お前は逃がしてやる」


 その男は鉄太に言う。


「雪之介に伝えろ。明日のこの時間、甲府の町の南、一本杉と呼ばれる大きな大樹の前で待つと」

「そんな……兄貴の無事も分からないのに……」


 鉄太の弱音に長身の男は喉の奥で笑った。


「あの男がこれで死ぬわけなかろう。ああそうだ。生きているはずだ……」


 それだけを言い残して、男は窓から飛び降りた。慌てて鉄太は窓に近づく。

 既に男は闇に吸い込まれるように姿を消していた……




 鉄太はなんとか荷物と菜花の刀を持って、外へと脱出できた。宿屋は火に包まれて、隣の家屋にも燃え移りそうだった。

 野次馬が集まる中、鉄太は雪之介を探していた。


「兄貴……兄貴……!」


 大声で呼ぶが返事がない。

 まさか、まだ宿屋の中に――

 そう思った鉄太が人ごみの中に入ろうとする――


「待て。俺はここだ」


 聞き慣れた声。振り返ると、雪之介が立っていた。

 着物がところどころ焦げているもの、いつもの姿で大箱も背負っている。


「兄貴! ああ、良かった!」

「菜花とあやめはどこだ?」


 駆け寄った鉄太に素早く訊ねる雪之介。

 鉄太は俯いて「二人とも、攫われた……」と呟く。


「……そうか」

「そうかじゃない! 一体何が起こっているんだよ!」


 鉄太は混乱しているのだろう。思わず雪之介を睨んでしまう。


「攫ったのは、背の高い男だった! 顔は覆面で隠れてた! 菜花のねーちゃんを気絶させて、あやめも抱えて、そのままどこかへ行った! でも、そいつ――兄貴のことを知っているようだった!」


 鉄太は知らず知らず、涙を流していた。


「もう訳が分からないよ! 兄貴は誰に狙われているんだ!? こんなおおごとになってのも、兄貴のせいなのか!?」


 鉄太はそう言うものの、全部八つ当たりだと分かっていた。

 雪之介に勝手について来たのは、他ならぬ鉄太自身である。

 でも雪之介は無表情のまま、鉄太に向けて言う。


「そうだ。全部、俺のせいだ」


 何の誤魔化しもない正直な告白に、鉄太は少しだけ冷静になる。

 そして自分が雪之介を責めたことを恥じた。


「あ、兄貴……」

「そいつは、何か言い残していなかったか?」


 鉄太は雪之介に長身の男が言ったことを教えた。

 雪之介はしばし考えて「とりあえず、この場から離れるぞ」と言う。

 鉄太は――黙って従った。




「兄貴。菜花のねーちゃん、助けに行くよな?」


 夜道を歩きながら鉄太が前を歩く雪之介に訊ねた。

 振り返らずに雪之介は答える。


「当然だ」


 短くて端的な言葉だったけど、鉄太はとても安堵した。

 雪之介は嘘はつかない。それは今までの旅の中で分かっていた。


「だが、そろそろ潮時かもしれないな」


 雪之介が振り返って、鉄太に小袋を投げ渡した。

 鉄太は受け取った瞬間、ちゃりんという音で中身がなんなのか分かった。


「あ、あはは。まさか、兄貴……」

「…………」


 何も答えない雪之介に、鉄太は早足で近づいて「嘘だよな!」と問い詰める。


「これで逃げろなんて、言うつもりないよな!?」

「…………」

「なんとか言ってよ! 兄貴!」


 雪之介の袖を鉄太が握る――それを振り払う雪之介。


「俺と一緒に居ても、ろくなことにならない」


 雪之介は、初めて鉄太の頭を撫でた。


「……ここで別れる」


 雪之介が足を止めた。そして指差すのは諏訪への道。


「う、うう、うううう……」

「……必ず、菜花を助ける」


 雪之介はそう言い残して、元来た道を戻る。

 暗くて暗い、闇夜の道を、一人きりで。


「うわああああああああああああああ!」


 鉄太の目から大粒の涙が零れる。

 弱くて幼い自分が許せなかった。

 役に立たない自分が悲しかった。

 それよりも雪之介の不器用な優しさが――つらかった。


 再び一人きりになった雪之介。

 その上で星が流れた――

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