第12話少女売買
雪之介が闘技場に参戦した理由は至極単純で、最も手早く多くの金を稼げると踏んだからだった。
さらに闘技場では賞金だけではなく、自身の勝利に賭けることもできる。雪之介は自分の持っている銭を全て賭けた。
結果として、彼は五連勝を決めた。倍々となる銭を見てこれならしばらくは大丈夫だろうと安堵した。
「いやあ。兄ちゃん強いなあ。まさかの五人抜きなんてよ!」
闘技場の控え室らしき小屋。
雪之介に闘技場を紹介したごろつきの一人が機嫌よく言う。彼もまた、雪之介に賭けていた。紹介料も含めてさぞかし懐が豊かになったことだろう。
「……偶然だ」
「何言ってるんだよ! 偶然で全員殺さずに降参勝ちする奴が居るかよ!」
そっけなく返す雪之介にごろつきはあくまで愉快そうだった。
「それよりもよ、兄ちゃん。俺らと組んで一儲けしねえか?」
「十分稼いだだろう。それに俺は一刻も早く甲斐国から出たいんだ」
少々目立ちすぎてしまったと雪之介は自省した。織田家の追っ手が噂を聞きつけてくるかもしれないからだ。
ごろつきは「何か急ぐ理由でもあるのか?」と余計なことを聞く。
「…………」
「ま、まあ、無理に聞こうとは思わねえ……だからそんな怖い顔するなよ……」
雪之介の鋭い目に圧されたのか、ごろつきは強張った笑みで誤魔化す。
そろそろ、鉄太と菜花に合流しないといけないと考えた雪之介は大箱を背負って、小屋を後にしようとした。
「お、まだ居たな。なああんた、小田原に行くらしいじゃねえか」
雪之介に闘技場を紹介した、もう一人のごろつきがちょうど戻ってきた。そして出ようとした雪之介に話しかける。
「……そうだが」
「ついでに、大儲けできる話を教えてやるよ。かなり儲けさせてくれたからな。特別だぜ?」
ごろつきはにやにやしながら儲け話を打ち明けた。
「人質交換所って知ってるか? そこに少女が居るんだ。あれは――」
鉄太と菜花が闘技場に駆けて向かうと、既に試合は終わっていた。
「いやあ。あいつ凄かったな」
「奇妙な剣を使うが、素でも強いんじゃないか?」
「また出ないかな。あいつには持ち金全部賭けてもいいぜ!」
興奮と熱気が冷めない観客。鉄太はその人のことを訊こうとして――
「あ、雪之介!」
菜花が闘技場を後にしようとする雪之介を見つけた。方向は二人が今来た道だった。
「兄貴! 何しているんだよ!」
鉄太が怒ったように雪之介に近づく。
菜花はすっかりおかんむりになっていた。
「……なんだ。お前たちも見てたのか?」
「いや、見てないけど……どうして闘技場に参加したんだ?」
さっきまで戦っていた人間とは思えない冷静さと怪我一つ負っていない身体を見て、少しだけ怒りを収めた鉄太の問いに雪之介は悪びれることなく端的に答えた。
「路銀を稼ぐためだ」
「……そりゃ、あたしたちのためだって分かるけど、危険なことしないでよ」
心底心配したように言う菜花を半ば無視して、雪之介は早足で歩く。
「兄貴。今度はどこにいくんだ?」
「……人質交換所だ」
「はあ!? 何考えているのよ!」
菜花が喚くと雪之介は「これ以上、銭に困らないようにするためだ」と静かに返した。
二人は顔を見合わせて、雪之介の言った意味を考えたが、結局は分からなかった。
三人が人質交換所に行くと、既に人はあまり居らず、檻に居た兵士もすっかり居なくなっていた。
ただ檻の隅で膝を抱える少女だけ残っていた。
「もしかして、知り合いでも居たの?」
菜花の問いに雪之介は首を横に振った。
そして退屈そうにしている見張りの武士に話しかける。
「そこの娘。引き取りに来た」
鉄太と菜花は思わぬ展開に息を飲んだ。
「うん? なんだ、縁者か……娘は百貫だ」
「ああ。これでいいか?」
百貫をそのまま支払う雪之介。武士は慎重に数えた後「よしいいぞ」と檻を開けた。
「おい娘。迎えが来たから出ろ」
少女は身体中を震わせながら、なんとか立ち上がると、ゆっくりと檻から出た。
そして雪之介を見て、黙ってお辞儀をした。
「……行くぞ」
「……はい」
身体に似合わず、とても大人びいた声だった。
素直に雪之介の後について行く。
「あ、兄貴? その子、どうするつもりだ?」
「…………」
鉄太の不安げな声に沈黙で返す雪之介。
そのまま、菜花にも説明せずに、黙って歩き続ける。
宿屋で部屋を借りると、雪之介はようやく事情を説明し出した。
それまで非難めいた目で見つける鉄太と菜花。
少女も何をされるのかという表情をしていた。
「その娘は、小田原の豪商、宇野藤右衛門の親戚だ」
「はあ。商人の娘……」
菜花はピンと来ていない。鉄太も雪之介の言っていることが図りかねた。
「先の戦で、連れ去られてしまったらしい。宇野はこの子を見つけて小田原に連れてきたら、多額の報奨金を渡すと言っている」
「じゃ、じゃあ、この子を宇野って人に渡すために、引き取ったのか!?」
鉄太は安心して笑った。菜花もホッと一息ついた。
一方の少女も、それを聞いて、恐る恐る雪之介に訊ねた。
「……あなた様は、私に酷いこと、しないんですか?」
「ああ。しない」
少女の目から、涙が溢れる。
「だ、大丈夫? えっと……名はなんて言うの?」
菜花が肩を抱いて、戸惑いながらもできる限り優しく名を聞いた。
「わ、私は……あやめといいます……」
「そう。あやめ……良い名ね」
髪を撫でる菜花――だいぶ汚れていることに気づく。
「お風呂屋に行ってくるわ。二人はこの子の着物を買ってきて」
「う、うん。分かった……」
鉄太は案外、菜花が面倒見が良いことに驚いていた。
菜花はあやめを連れて部屋を出て行く。
「……お前と菜花は、俺があんな子どもを抱くと思っていたのか?」
雪之介は非難するわけでもなく、純粋に不思議に思っている口調で呟いた。
鉄太は思わず吹き出した。
「……なぜ笑う?」
「い、いや。兄貴もそういうこと、気にするんだなあって」
その言葉に雪之介は何も言わず、窓の外を見た。
鉄太はそんな彼の人間らしい部分に触れられて、ほんの少し嬉しかった。
日が暮れる直前、菜花とあやめが風呂屋から帰ってきた。菜花は雪之介と鉄太が買ってきた着物を少女に着せる。まるで一国のお姫様のように見えた。
「ありがとう、ございます」
あやめが雪之介に礼を言う。
「気にするな」
「もしかして、選んだのは雪之介なの?」
「ああ、そうだ」
「……私が買ってもらったものより、高価なんだけど」
頬を膨らませる菜花に鉄太は「甲府と田舎じゃ品質が違うから」と言い訳をした。
「あたしも、こういう着物が――」
「菜花。お前にやる」
雪之介は菜花に大小の刀を寄越した。
赤鞘の装飾の美しい刀で菜花は「えっ? これは……?」と今度は頬を赤くした。
「野武士の刀より、こっちのほうがマシだろう」
「……ありがとう。物凄く嬉しい」
刀を胸に抱く菜花に溜息を吐く鉄太。朴念仁な雪之介に助言をしておいて良かったと心底思った。
まあそんな鉄太も水あめを買ってもらった礼で言っただけなのだった。
晩ご飯を食べ終わると、旅の予定を話し合う。
「甲斐国の南を下り、駿河国から伊豆国の小田原を目指す。途中の箱根が難所だが、銭に余裕がある。無理はしなくていい」
雪之介の説明に三人は頷いた。雪之介以外、旅慣れていないから意見も何もなかった。
「早朝、出立する」
雪之介はそう言って一人さっさと別室に向かい寝てしまった。いつもだが、彼は仲間と同じ部屋で寝ない。
残りの三人もやることがないので、彼に倣って早めに就寝することにした。
そして――人々が寝静まった丑三つ時。
雪之介たちが泊まっている宿屋に、二つの影が忍び込んだ。
物音を立てることなく、二人は雪之介の部屋の襖を開けて突入し、布団に向けて刀を突き刺した――
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