第11話金策

 甲斐国の甲府の町。

 雪之介たち三人は厳しい山道を越えて、ようやく辿り着くことができた。

 あの悲しい出来事から数日も経っていない。しかし、鉄太と菜花の表情は明るかった。

 特に菜花は旅自体初めてであったため、不慣れなところは多少あるものの、満喫していると言っても過言ではなかった。

 彼女の場合は苦しいことがあっての反動ではあるが……

 

 甲斐国で雪之介は旅の路銀をなんとかしようと考えた。既に藤吉郎から奪った銭は尽きていたので、これ以上旅を続けるには、まず先立つものが必要だった。

 以前は町の酒場でわりの良い仕事を斡旋してもらい、それで生計を立てていた。もしくは交易品を購入して、別の町で売りさばくこともしていた。だが元手となる銭がない以上、仕事を請けるしかないだろうなと雪之介は考えていた。


「……お前たち。自由に市を見ていいぞ」

「ええ!? 本当にいいのか、兄貴?」


 鉄太が喜ぶのも無理はない。甲府は彼が元々居た諏訪よりもさらに盛況な市が並んでいる。それを眺めるだけでも楽しいだろう。


「雪之介はどうするのよ?」

「……少し用事がある」


 菜花の怪訝そうな顔を余所に、それだけを言い残して、雪之介は足早に酒場に向かった。


「何よ。せっかく一緒に見て回ろうと思ったのに……」

「兄貴は兄貴でやることがあるんだよ」


 口を尖らせる菜花に対して、少し大人なことを言う鉄太。

 それがちょっぴり気に入らないので、菜花は軽く鉄太の頬をつねった。


「いてて! 何すんだよ!」

「なんとなくよ」

「あー、分かった! 俺が兄貴のこと菜花のねーちゃんより分かっているから……いてて!」


 図星を突かれた菜花はさっきよりも少しだけ強くつねった。


 さて。二人と別れた雪之介は酒場へと足を踏み入れた。


「らっしゃい! お客さん、お一人かい?」


 威勢のいい酒場の女がすぐさま声をかける。酒場は活気に満ちていて、客層もさまざまだった。

 ごろつきや商人の装いをしている者。しかし暴れる者や悪酔いしている者は居らず、全員節度を保って飲んでいた。

 雪之介は多少の違和感を覚えた。誰か一人くらい、ガラの悪い客が居てもおかしくないのだが。


「それで注文は?」


 適当な席に座るやいなや、女が早口で訊ねる。


「いや、食事に来たわけではない」

「あん? じゃあなにかい? 賭け事しに来たのか? 生憎だけど賭場はやってないんだ。他をあたってくれ」


 男勝りな口調になる女に対して、雪之介は静かに「仕事を斡旋してほしいんだ」と言う。


「短い期間で金になる仕事がいいのだが」

「そんなもん、みんながみんな、望んでるよ!」


 鼻を鳴らす女。確かにそのとおりだなと雪之介は思い直した。


「分かった。では小田原までいける程度の銭でいい。それだけ稼ぎたい」

「小田原? なんでそこに行きたいのさ?」


 なるべく尾張国の織田家から離れたいとは言えないので「用事があるんだ」と雪之介は濁した。

 すると今までの話を聞いていたのか、ごろつきの風貌をしている男二人組が雪之介に話しかける。


「なあ兄ちゃん。そんぐらいの銭を一晩で稼ぐ方法、あるぜ?」

「ああ。一攫千金も夢じゃねえ!」


 すると女は「またあれかい?」と嫌そうな顔をした。


「あんな野蛮な見世物、よく人に薦められるね」

「そんな風に言うなって。俺たちもそこの兄ちゃんも潤う、いい話なんだからさ」


 雪之介はその男たちを胡散臭いと思ったが、同時に銭を稼げるような匂いを感じた。

 彼は男たちに向き合って、無表情のまま、端的に言う。


「……話を聞こうか」




 一方その頃。鉄太と菜花は甲府の町の目抜き通りを歩いていた。

 二人とも、銭があまりないので積極的に買ったりできない。菜花は雪之介が用事があると言って姿を消したのはそのためだったのねと内心憤っていた。


「いろんなもんが売っているなあ。流石に信玄公のお膝元だな」


 鉄太はのん気に店の商品を眺めている。子どもは単純ねと菜花は思った。


「ねえねえ。あっちの路地行こうぜ。なんか大勢居るし」


 鉄太の指差す方向には、確かに大勢の人間が集まっていた。


「へえ。なんだろう……面白そうね」


 人は人が集まるところに興味を持つ。鉄太と菜花は火に誘われた蛾のように、大勢の人ごみの中に吸い込まれていく。

 はぐれないように二人は手を結び、何の催しかが見られる位置まで来た。

 そこで行なわれていたのは――


「はい。そこのご婦人。旦那は銭百貫だよ!」

「はいはい! 人質の身元照会はこちらで行なっていますよ」


 人の――売買だった。

 多くの男が檻の中に入れられている。そこで見張りと思われる武士の役人が群がる人々と何らかの交渉をしていた。


「えっ……なにこれ。人を売り買いしているの?」

「ううん。違うよ。確か……人質の身柄交換だ」


 呆然とする菜花に対して、鉄太が説明をする。


「親父が言ってたけど、甲斐国の領主の武田信玄は周辺と戦ばかりしている。そのとき捕まえた兵士を家族が身代金を払って解放するんだ。つまり領主公認の『健全』な施設なんだって」


 鉄太は皮肉を込めて健全を強調した。

 今まで村育ちで世間のことをまるで知らない菜花には衝撃的だった。


「で、でも。家族が身代金払えなかったり、そもそも来なかったらどうするのよ? まさか殺されちゃうの……?」

「それこそまさかだよ。払いに来なかったら鉱山で働かされるんだよ。運が良ければ自由になれる」


 鉄太は敢えて運が悪かった場合を言わなかった。

 菜花は「かなり気分が悪いわ……」と嫌悪感を丸出しにした。


「人を家畜みたいに売り買いするなんて……」

「でも、親父から聞いていたのと、想像が違うなあ。見てよ、あれ」


 鉄太が指差す先には、売買を担当する役人と身なりのいい女性が言い合いしていた。


「ちょっと! うちの旦那が三百貫ってどういうことよ! これでもねえ、先祖代々からの名門なのよ! そんなはした金じゃ嫌! 倍にしなさいよ!」

「奥方。それは困りますよ。値段を付けているのは俺じゃないんですから……」

「だったら責任者出しなさいよ!」


 どうやら旦那に安値を付けられたことが不愉快らしい。

 一方の旦那は何でもいいから出してくれとうんざりした顔をしている。


「……意外と安くて運が良かったわ、なんてならないのね」

「あっちは値引き交渉しているぜ。居心地悪いだろうなあ」


 人の売買と聞いて、剣呑な雰囲気を感じていた二人だったが、なんてことのない場の空気に、すっかり毒気を抜かれてしまった。

 しかし、菜花は値上げや値引きの喧騒の中、とある少女が檻の片隅で膝を抱えているのを見つけた。


「ねえ。あの子……どう見ても、兵士に見えないんだけど」


 菜花が指差した少女は鉄太よりも下、おそらく八才か九才。十才ということはないだろう。農民の薄汚れた着物にぼさぼさの髪。頬がこけていて、虚ろな目で地面を見つめている。


「……時々あるんだよ」


 鉄太は悲しそうな顔で、あまり言いたくないことを言う。


「戦のどさくさで口減らしのために売られる農民の子がね」

「えっ……」

「あの子は助からない。家族はもちろん来ないし、買ってくれる人も居ない……」

「それってどうなるの……? まさか、鉱山で働かされるの?」


 鉄太は「それだったらいいんだけどね」と溜息を吐いた。


「大人になったら、男たちの慰み者にされる」

「――っ!?」


 菜花は目の前が真っ暗になるのを感じた。

 自然と少女のところへ行こうとする――鉄太は止めた。


「……駄目だよ。菜花のねーちゃん。あの子を買うお金も、育てるお金もないんだから」

「でも、あの子が――」


 駄々をこねそうになるが、鉄太のとても悲しくて淋しそうな目を見て、菜花は抵抗をやめた。


「ごめん。我が侭言って」

「ううん。仕方ないよ」


 菜花は自分が無力だと思い知らされた。誰も救えないことに、とても悔しい思いをした。

 唇を噛み締めて、指が白くなるまで、手を握り締めた。


「おい! 闘技場で凄い奴が出たってよ!」

「へえ。何でも五人抜きしたらしいな」


 不意に後ろに通りかかった二人の町人の話が聞こえた。


「闘技場?」

「うーん、俺もよく知らない」


 鉄太も初耳らしい。気になった菜花は町人を追いかけて「すみません」と声をかけた。


「うん? お、べっぴんさんだな」

「闘技場ってなんですか?」


 町人の二人は顔を見合わせて「あんた、ここの人間じゃないようだね」と説明する。


「人同士が何でもありの戦いをするんだ。殺すか降参したら勝ちのな。今、凄いやつが五人抜きしやがった」

「凄いやつ……?」


 鉄太はそれを聞いて突拍子もない想像をした。

 しかし町人の言葉で現実へと変わる。


「ああ。うねうねと伸びて長くなる、不思議な剣を使う男が現れて――」


 それを聞いた瞬間、二人は同時に思った。

 なんで雪之介が闘技場に参加しているんだ――と。

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