第10話心

 怒りと悲しみの夜が明けて。

 どんよりと曇った空の下。

 雪之介たち三人は穴を掘っていた。

 亡くなった村人たちを埋葬するためである。

 菜花が確認したところ、全員が殺されていた――村長の喜兵衛も苦痛の表情のまま、亡骸として発見された。


 雪之介は、あの場に居た野武士を皆殺しした。彼の絡繰奇剣は応戦した者や命乞いをした者の区別無く、平等に切り刻んだ。鉄太はその光景を見て、やっぱり兄貴は只者じゃなかったんだと改めて認識した。

 菜花は雪之介に対して、どう思えばいいのか分からなかった。

 自分のために野武士を殺してくれた優しい人。

 自分の代わりにその手を汚してくれた大恩人。

 どんな風に言い換えても、決して償いきれない重荷を背負わせてしまった気分に変わりは無かった。


 しかし当の雪之介は菜花に対して恩着せがましいことは言わなかった。

 むしろ怒りのまま、野武士を殺したことを恥じているようだった。

 その証拠に、村人の墓穴を自ら進んで掘っている。

 彼の性格からして、面倒に思える作業なのに。

 黙って、掘っている――


 一人一人の墓に石を置き、花を供える。およそ四十人の墓を作った頃には、昼を越えていた。


「…………」


 静かに喜兵衛の墓に手を合わせる菜花。

 鉄太もそっと手を合わせた。

 雪之介は何も言わず、目を閉じた。


「……村長。村を守れなくて、ごめんなさい」


 菜花の言葉に、鉄太はそんなことないよと言いたかったが、涙を流す菜花に、そんな薄っぺらいことは言えなかった。

 だから鉄太は、別のことを訊ねた。


「菜花のねーちゃん。これからどうするつもりなんだ?」


 鉄太に笑顔で応じながら「さあ。あてはないわ」と返す菜花。


「一人で生きていくには、あたしは弱すぎる」

「……だったら!」


 俺たちと一緒に行こうと誘おうとして、鉄太は躊躇した。

 菜花の横顔があまりに淋しそうだったからだ。


「……気を使わなくていいわよ」


 菜花は鉄太の頭を撫でて、立ち上がってどこかへ行こうとする。

 鉄太はもしかして、彼女が死ぬんじゃないかと、そんな予感をしていた。

 雪之介の隣を通り過ぎようとして――


「待て。菜花」


 ずっと沈黙していた雪之介が――口を開いた。


「なあに? 別れの言葉でも言ってくれるの?」


 強がりでおどける菜花。

 しかし雪之介の言葉は意外なものだった。


「……俺たちと一緒に来い」


 表情が固まる菜花――それから無理矢理笑った。


「はあ? お前、何を言っているの? まさか、同情でもしているわけ?」

「…………」

「それとも珍しく気遣っているの? そんな人には見えないけど」


 菜花は肩を竦めながら「そういうのいらないわよ」と冷たく言う。


「まさか一生面倒でも見てくれるの? 冗談でしょ。それにお前の旅の目的も知らないのに、ついて行くわけ――」

「お前の言うとおりだよ」


 雪之介は菜花を遮って、誰とも目を合わさずに言う。


「同情しているし、気遣っている」

「――っ!?」


 菜花だけではなく、傍に居た鉄太も驚愕した。

 あの雪之介が、血も涙も無さそうな雪之介が、同情や気遣いをしていると公言したのだ。

 短い付き合いの彼らでも、驚くべきことだった。


「しかし一生面倒を見るつもりはない。好きにしろ。だがな――」


 雪之介は目線を空に向けて、いつになく淋しそうな声で、思いを告げた。


「俺はいつだって、誰かが死ぬのは、虚しいんだ」

「…………」

「ただ、それだけだ」


 菜花は雪之介の傍に何も言わずに立っていた。

 なんて返答すればいいのか、分からなかった。


「……兄貴の言うとおりだ」


 鉄太は菜花に傍に駆け寄って、手を握った。


「親父も言ってたけど『同じ釜の飯を食ったら仲間』だってさ。俺たち、もう仲間なんだよ!」

「鉄太……」

「だから一人でどこかへ行かないでよ! 淋しいじゃんか……」


 菜花は俯いて、母の言葉を思い出していた。


『絶対に、ひとりぼっちのままにならないから――』


 ああ、そうよね。お母さん。

 二人が居れば、ひとりぼっちじゃなくなるよね――


「……ありがとう。一緒について行くわ」


 菜花の言葉に鉄太は「本当か!」と飛び上がって喜んだ。

 雪之介は何も言わなかった。大箱を背負って一言だけ言う。


「行くぞ。鉄太、菜花」




 尾張国、小牧山城――

 誰も居ない評定の間――いや一人居る。

 上座で何をすることもなく、扇子を開いたり閉じたりしている、一人の男が座っていた。


「御館様。猿が戻りました」

「……通せ」


 典雅な声。美男子と言ってもいいその容貌から発せられるものとしては、至極当たり前に思える。

 襖が開き、猿――木下藤吉郎が入室する。


「大義である。あの男は……やはり殺せぬか」

「ええ。どうもわしの手には余ります」


 目を細める男。

 そして喉の奥でくくくと笑う。


「だろうな……まあいい。貴様は任から外す」

「……お咎めはないのですか?」


 藤吉郎が己の進退を冷静に問う。

 男は「分かりきったことを申すな」とあくまで笑う。


「貴様と俺は共犯者だ。ゆめ忘れるな」

「…………」

「それと代わりの者を用意した。その者に雪之介の情報を与えよ」


 藤吉郎は平伏し「かしこまりました」と言う。


「それから、書状で墨俣に城を建てる案を寄越したな。見事だ。さっそく取り掛かれ」

「ははっ。ありがたき幸せに存じます」


 藤吉郎が評定の間を去る。

 男は扇子を大きく広げた。

 その表面には織田家の家紋、木瓜紋と血飛沫らしき血痕が付着していた。


磯丸いそまる……貴様の忘れ形見、必ずや討ち取るぞ……」


 扇子を扇ぎながら高笑いする男。

 彼の名は、織田信長。

 尾張一国を手中に収める大名である。




 藤吉郎は小牧山城の廊下を歩き、とある一室に入った。

 そこで雪之介抹殺の引継ぎをするのだ。

 前任者として説明する義務があるものの、藤吉郎は誰にも雪之介を殺せないのではないかと考えていた。

 しかし、後任の者が部屋に入った瞬間、思わず藤吉郎は笑った。


「なんと。おぬしが……」

「…………」


 藤吉郎と正対するその者は藤吉郎にとっては想定外の者だった。


「御館様もえげつない真似をする。おぬしならばもしかして、討ち取れるかもしれん」


 世辞ではなく率直な本音を言う藤吉郎に、その者はこくりと頷いた。


「それで、雪之介の情報だが、紙に書いてある。読めるか?」


 その者はまたもこくりと頷いて、藤吉郎から紙を受け取る。

 そしてじっくりと読んだ後――紙を切り裂いて飲み込んだ。


「おぬしには釈迦に説法だが、雪之介は手強いぞ?」

「…………」


 それには応じず、その者は何も言わず、そのまま出て行ってしまった。


「……はあ。まったく、愛想のない奴だ。それに自信満々だ」


 やれやれと言わんばかりに藤吉郎は頭をかいた。


「織田家家中でひかえめなのは、わしぐらいなものだな。しかし実力に裏打ちされた自信は誰にも負けんだろうよ」


 藤吉郎は立ち上がり、部屋を出て、誰に言うまでも無く呟いた。


「絡繰という搦め手が得意な者には、忍術という搦め手が有効かもしれんなあ」




「おうい。こっちに茶屋が見えるよ! 早く行こう!」


 元気よく茶屋に向けて走る鉄太。


「そんなに急がないの! 子どもは元気ねえ」


 菜花は猟師の格好から、村娘の服に着替えていた。無論、雪之介が買い与えたものだ。

 腰には一振りの刀を差している。成りかたちは女武芸者に見えなくもなかった。


「雪之介。少し休憩しない?」

「……好きにしろ」


 無愛想な雪之介に「ありがとう」と笑いかける菜花。

 空は真っ青で雲一つない快晴。

 彼らは真っ直ぐ南を目指す。

 あても目的もないが、それでも彼らは歩き続ける。

 何故なら彼らは生きているからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る