第8話根城突入

 野武士を追い払った雪之介は、喜びに浮かれる村人たちを無視して、村長の喜兵衛の元に向かう。喜兵衛は勝利を見届けると、自分の屋敷に帰っていた。

 これで村を守ったことにして、さっさとどこか遠くに行きたい雪之介だったが、流石に村長を務めるだけはあって、喜兵衛は簡単に雪之介の要求を飲み込むことは無かった。


「まだ野武士は大勢居るだろう。遠目からも分かるほどだった。だから今離れてもらっては困る」


 雪之介も、また野武士たちが襲ってくるだろうと考えていた。今度は油断などせず、手段を選ばずに志賀村を襲うだろうと。しかし雪之介は軍略に明るくない。さらに言えば一度追い返せたのも偶然だと考えている。


「……もう一度戦えば、俺たちは負ける」


 あっさりと自分の負けを認めるような発言に喜兵衛は顔を歪ませた。

 彼自身も薄々感じていたことだった。


「ではどうするつもりなんだ?」

「……野武士の頭領と交渉する」


 つまり、和睦(わぼく)をすることに決めたのだ。


「確かに、今なら良い条件でいけるが……誰が交渉する?」

「俺が行く。あまり得意とは言えないが、あんたと村人では殺されてしまう」


 喜兵衛は疑うことなく「よろしく頼む」と頭を下げた。


「条件は俺に任せてくれ。悪いようにはしない」

「……一応、村の者も付けさせてくれ」


 喜兵衛が警戒するのも無理はない。それに当然の措置でもあった。

 これには雪之介も逆らえない。問題は誰がついて行くかだが――


「あの役立たずを連れて行け」

「…………」

「そんな目をするな。あれは村の恥だ」


 雪之介は詳しく訊こうと思わなかった。既に菜花から大体のことを聞いているからだ。

 しかし、分からなかったことも少なからずあった。


「あんた――どうしてそこまで毛嫌いする?」


 喜兵衛の眉がぴくりと痙攣した。


「あの女から聞いた話で、一つだけ分からないことがあった」


 雪之介は心を抉るような問いをした。


「武芸者と恋に落ちた娘の――許婚は誰なんだ?」


 分かっているくせに、改まって雪之介は訊ねた。

 喜兵衛は「さっさと行け……!」と唸った。

 雪之介は村長の家を出て行く。その際、家に居た、初日に白湯を出してくれた女に村長の縁者かと訊ねる。


「いえ。私は手伝いの者です」


 雪之介はそれ以上訊ねることはしなかった。

 聡い彼にはなんとなく、喜兵衛の性格が分かってきたからだ。


「おい、お前たち……行くぞ」


 村人を離れて食事をしている鉄太と菜花に声をかける雪之介。


「うん、いいけど。兄貴、飯食わないのか?」

「先ほど食べた」

「行くってどこに?」


 菜花の問いに雪之介は「野武士の根城だ」と短く答えた。


「はあ!? なんで!?」

「このまま戦っても勝てない。だから野武士と交渉する」


 端的な言葉に、菜花は納得しなかったが、鉄太はなんとなく理解していた。雪之介が常に現実を見据えていることを。


「兄貴。野武士の根城とか分かるのか?」

「退却した跡を追えばな」


 雪之介は大箱を背負い直して、さっさと出て行く。

 鉄太は慌てて雑穀が混ざった握り飯を食べて後を追う。

 菜花は少し違和感を覚えつつ、二人の後ろを歩いた。

 村の外には野武士の死体があり、既にカラスが死肉を漁っていた。


「おい。これをやる」


 雪之介は、矢がたくさん刺さった野武士の死体から、刀を奪って菜花に見せる。


「…………」

「菜花のねーちゃんって刀を使えるのか?」

「使えなければ渡さない」


 菜花はしばらく差し出された刀を見つめて――それから受け取った。


「刀なんて、初めて」

「ふうん。でもなんか似合っているよ。いつか俺が刀を打ってあげるね」


 どこか憂うような菜花と気楽な鉄太だった。

 それから三人は野武士の死体を後にして、野武士たちが移動した跡を追って歩く。


「……一つ確認しておく」


 雪之介は先頭を進みながら、振り向くことなく菜花に言う。


「このまま俺は、村を見捨てる選択肢がある」

「……ええ!? それ、本気で言ってるのかよ、兄貴!」


 大きく反応したのは、関係のないはずの鉄太だった。

 いや、この三日で村人と親しくなった彼にとっては無関係ではないのかもしれない。


「……まあ、お前ならそう考えるだろうと思っていたよ」

「その場合、お前はどうする?」


 今度の問いは振り返って訊ねた。

 雪之介の凍えるような冷たい目が、菜花を射抜く。


「ここで俺を斬るか? それとも一緒に逃げるか?」

「あはは。どっちも嫌よ」


 菜花は愉快そうに笑って答えた。


「あたしは雪之介を斬りたくないし、逃げたくもないわ」

「……そうか」


 雪之介は前方に向き直って、歩みを再開した。

 鉄太はどうしてそんなことを言って、そんな風に返せるのか、聞いていて不思議だった。


 夕暮れ近くになって、三人は野武士の根城を見つけた。

 村と砦の中間のような建物だった。しかし奇妙なことに表門に見張りの者がいなかった。


「妙ね……まるで誰も居ないみたい……」


 近くの茂みに隠れながら、菜花は呟く。

 鉄太もおかしいと考えていた。

 雪之介は考えても仕方ないと思ったようで、速やかに茂みから出た。


「ちょっと、雪之介!」

「このまま居ても、仕方ない」


 鉄太は「待ってよ兄貴!」と言って雪之介について行く。

 菜花は辺りを警戒しつつ、二人の後ろについた。

 しかし菜花の慎重さを嘲笑うように、表門をくぐっても、野武士は居なかった。


「……どういうこと?」

「知らん。とりあえず、一番立派そうな建物に行くぞ」


 雪之介は一直線に奥の屋敷へ足を運んだ。

 鉄太は怖いらしく、菜花の着物の端を掴んでいる。

 菜花は鉄太の背中を優しく叩いた。


 奥にあった屋敷は、頭領の屋敷だ。

 いや、だったと言うべきだろう。

 雪之介が無造作に戸を開けると――野武士らしき死体が転がっていた。


「ひっ! な、なによこれ……」

「同士討ち……ではなさそうだな。背中から斬られている」


 あくまでも冷静な雪之介。鉄太はがたがたと震えている。

 菜花は刀の柄に手をかけた。

 雪之介は、奥の間らしき部屋の戸口に手をかけて、一気に開けた――


「うん? あちゃあ、これは面倒なところを見られたな……」


 そこには、猿顔の男――木下藤吉郎が居た。

 十数人の野武士の死体が転がっている広間の中心で――頭領である信州の熊五郎の首元に刃先を向けていた。

 あまりの凄惨な光景に、三人は何も言えない。


「そ、そんな……たった一人で……」

「かっかっか。一人でそのようなこと、できるわけなかろう」


 血塗れな藤吉郎はにこやかに笑った。

 死体が転がっている中、面白い冗談を聞かされたように笑った。


「ちょっと野武士同士で殺し合ってもらったのだ。まあ一人逃げたが、背中から斬ったゆえ、長くは生きられんだろうな」


 三人は知らない。藤吉郎が舌先三寸で野武士たちの心を操り、殺し合いをさせるまでに憎み合わせたとか、そのために四日間ほど野武士たちと行動を共にしたとか、何一つ知らない。

 それでも目の前の笑う猿顔の男がこの上なく邪悪であることは理解できた。少年である鉄太も、女である菜花も、そして感情を露わにしない雪之介も――理解させられた。


「そうだ。信州の熊五郎。おぬし、こいつらと戦え」


 藤吉郎は熊五郎の背後に回った。


「だ、誰が、お前の言うことなど……」

「ならここで死ぬか?」


 明るい口調で恐ろしいことを言う藤吉郎。


「雪之介……ついでにそこの二人も殺したら、命だけは助けてやる。村一つも落とせない無能でもな」

「……くそったれ!」


 自棄になった熊五郎は呆然としている三人に向かって走り出し、途中で落ちていた刀を拾って、斬りかかった――

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