第7話防衛開始

 雪之介たちが野武士襲来に備えていた頃、野武士の根城に単身乗り込む男が居た。

 いや、乗り込むという言い方は不適切だった。

 男は野武士と交渉しに来た――


「それで、木下藤吉郎と言ったな。あの村を襲う手助けをしたいらしいじゃねえか」

「かっかっか。まさしくそうだ」


 野武士の根城の一室。

 下人の格好ではなく、武士らしく礼服で野武士の頭領である、信州の熊五郎と呼ばれる男と相対する織田家家臣の藤吉郎。

 周りを野武士に囲まれて、護衛の人間も居ないのにも関わらず、余裕綽々で言う。


「根城の前に武具を置いた。槍や刀、もちろん弓矢もある。それに加えて百人の野武士ならば、あの村ぐらいすぐに落とせるであろう」

「まあな。志賀村は四十足らずの小さな村だ。落とせないわけがない」


 けれど熊五郎は用心深く「どうして俺たちに協力する?」と藤吉郎に訊ねる。


「あの村に何かあるのか? ていうか織田家の家臣がなんで佐久まで来たんだ?」

「あの村には何もない。しかし、あの男が居る。絡繰奇剣の雪之介がな」


 絡繰奇剣の雪之介――その言葉に周りの野武士はどよめく。


「へえ。あの人斬りが居るのか。風の噂じゃ、織田家は随分とご執心らしいな」

「否定はしない。あの男を抹殺することが御館様のご命令だ」


 そこで藤吉郎は空気を壊すように、わざとおどけて言った。


「だからこそ、信州の熊五郎殿に織田家の猿が頼みに来たのよ」

「ふん。体よく利用しようってんじゃねえだろうな?」


 藤吉郎は「もちろん、報酬は出す」と懐から袋を取り出す。

 手渡された熊五郎は袋を開けた――中には黄金が入っていた。

 色めく野武士たち。頭領である熊五郎は目を細めた。


「前金だ。そしてあの男を殺せたらさらに差し上げよう」

「織田家ってのはそんなに裕福なのか?」

「ああ。良ければ今後も支援してやろう。織田家の背後を突くかもしれない武田家をかく乱してほしい」


 藤吉郎は内心、まあすぐに武田に潰されるだろうけどなと思っていた。信州の熊五郎以外、さほどたいした人物は居ない。熊五郎自身も単純な男だと彼は断じていた。


「よし。交渉成立だ。部下を集めろ! 準備が整ったら志賀村に向かうぞ!」


 信州の熊五郎の号令に野武士たちは「応!」と従った。

 藤吉郎は密かに微笑んだ。

 さあ、雪之介。これでお前は終わってしまうのかな?




 野武士たちが襲来してくる前夜。

 雪之介は村長にあてがわれた家で寝ていたが、不意に目が覚めた。

 隣の布団では鉄太がのん気にいびきをかきながら眠っている。

 雪之介は静かに起き上がり、部屋を出て、玄関の近くに置いてある水瓶から柄杓(ひしゃく)で水を掬って飲む。


 ふと、窓から外の光景が見えた。今宵は満月らしく、月明かりが村を照らしていた。

 耳を澄ますと、コロコロと虫の鳴く声が聞こえた。

 同時に、シュ、シュ、と規則正しく鳴る音もする。

 雪之介は玄関から外に出た。


 月光が差す中、村の外れで木の棒を使って素振りをする女――菜花。

 一心不乱に上から下へ棒を振り下ろす。

 雪之介は多少戦闘の心得があったので、彼女の腕が尋常ではないことに気づく。

 まず乱れが無かった。姿勢も剣筋も真っ直ぐだった。一回一回同じような軌道を描いていた。

 もしも真剣を振るえば、どんな物でも一刀両断してしまうのではないだろうか。


「こんなものよね……きゃ! ……なんだ、雪之介じゃない」


 誰もいないと思っていたのか、佇んでいた雪之介に驚く菜花。

 雪之介は「凄まじい腕だな」と彼にしては珍しい賛辞を送った。


「弓矢もそうだが、剣術も扱えるのか」

「……亡くなった母から習ったのよ。母は自然とできたようだけど」


 確か、武芸者の血を引いているのだったなと雪之介は思い出した。


「その武芸者の名は分かるか?」

「……急になによ?」

「もしかしたら、高名な人物かもしれない」


 雪之介の言葉に少し迷いながら菜花は答えた。


「塚原新右衛門、と名乗っていたらしいわ」


 雪之介は「……そうか」とだけ言った。

 無論、知らない名前ではなかった。


「今日はもう寝ろ。昼には野武士がやってくる」

「どうして夜じゃなくて昼なの?」

「こちらを侮っているし、夜だと村の作物に火をつけてしまうかもしれない」


 雪之介はそう言い残して、その場を去った。

 菜花はその背中を見続けていた。

 何かを言おうと思ったが、言えなかった。

 なぜか、雪之介の背中が物悲しかったから。




 雪之介の言うとおりに、昼過ぎから野武士の襲撃が始まった。

 野武士は一部の者が騎乗してたが、ほとんどが徒歩だ。

 それらは百を越える人数が居たが、なかなか攻め入らなかった。

 村の周りを柵がぐるりと囲んでいたからだ。

 それも二重三重と、砦の如く――


「頭領。どうしますか?」


 野武士の一人が馬上の熊五郎に訊ねる。


「馬鹿野郎。たかが百姓共の浅知恵だ。柵を取り外して中に入れば勝ちだ」


 これは浅慮ではなかった。いくら砦のように柵を作ろうが、それは時間稼ぎに過ぎない。向こうは軍略も知らない百姓で戦える人間も少ない。矢を放ってもさほど被害が出るわけがない。こちらは数の利を生かして攻撃するだけで勝てる。


「号令をかけろ。あんなのはただの飾りだ! さっさと落とせ!」


 信州の熊五郎が強気なのは、織田家から支給された武具のせいもあるが、一番は今後大名家の支援が受けられるということもある。

 こんな小さな村を滅ぼすだけで、莫大な利益が出る。

 だから潰す。さっさと潰す。


 野武士たちが雄叫びを上げて、志賀村に迫る。その数六十だ。

 もう少しで柵に近づける。先頭がそんな距離まで来たとき――


「今だ。発射しろ」


 雪之介の合図で、彼の作った絡繰が動いた。


「お、おい。なんだありゃ?」


 野武士の一人が天を指差す。

 つられて他の者も見る。


 空を覆うように、大量の矢が降り注ぐ――




「これは、なんという絡繰なんだ?」

「連弩。もしくは諸葛弩という」


 喜兵衛は目の前の絡繰を不思議そうにしげしげと見る。

 大型の弩――くぼみが十個あり、そこに矢を入れることで一度に十本の矢を発射できる。

 それらを三日の内に十基作った雪之介。流石に疲れているようだ。


「矢の雨を降らせることができるだろうな」

「何とも珍妙な……」

「すげえ! 兄貴、流石だぜ!」


 傍で鉄太が騒いでいる。村人も珍しいものを見るような目をしている。


「これで勝てるのか?」


 喜兵衛の言葉に雪之介は「知らん」と冷たく答えた。


「だが効果がないわけはないだろう」




 その言葉どおり、柵に近づいた野武士は矢の雨を受けて次々と倒れる。


「おいおい、話が違うぜ!」

「向こう何百人と居るんじゃねえのか!?」


 野武士たちは恐慌を起こして、逃亡を始める。


「おいこら! 逃げるんじゃねえよ!」

「無理ですって! あんなの対処できません!」


 信州の熊五郎は唇を噛み締めた。

 ――くそ、どうなっている? 志賀村は四十人ぐらいしか居ないだろう!?

 そしてようやく気づく。

 ――そうか、絡繰奇剣の雪之介か!

 熊五郎は藤吉郎にもっと詳しく聞くべきだったと後悔した。


「一度退く! 根城まで引き上げだ!」


 六十人の部下が十五、六人となってしまった現実を受け入れられないまま、信州の熊五郎は退却を命じた。


「おお! 野武士たちが退却していくぞ!」


 家屋の屋根に昇っていた村人が大声で喚く。

 村人たちは手を取って喜んだ。


「やったぜ兄貴!」


 鉄太も喜んでいるが、雪之介の顔は浮かなかった。


「大将を逃したか……虚しいな……」


 退却の動きに乱れがあるものの、混乱は無かったのが見えていた雪之介。

 本当なら追撃がしたいのだが、戦闘に不慣れな村人では無理だろう。

 喜ぶ村人や鉄太を余所に、雪之介は逃げるなら今のうちかもしれないと考えていた。

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