第6話防衛準備
村を守ると決めた雪之介。しかし彼は戦闘の経験があっても防衛の経験がない。いっそのこと、村を捨てる覚悟で野武士の根城を突き止めて、村人全員に武器を持たせて殲滅したほうがマシではないかと考えた。
だがそれでは村人の何人かが犠牲になる。無論、守って戦うのも犠牲は出る。けれど村を守って死ねるのなら本望ではないだろうかと雪之介は考える。
何も守れずに何もかも失ってしまって、惨めに生きている自分を鑑みても、幸せなことだと雪之介は思っていた。
まず、村長の喜兵衛に村の武器の有無を聞いた。弓矢はあるが刀や槍はなく、領主に戦に借り出されることはあるものの、命を懸けた戦いなどほとんどの者がしていないという。
「武の心得があるのは、あの役立たずだけだ」
喜兵衛は吐き捨てるように、村人から一人離れている菜花を指差した。
村人は明らかに菜花を嫌っていた。嫌悪していると言ってもおかしくない態度だ。
「残りの者は弓矢を使える者の、精度や錬度は高くない」
「……分かった」
雪之介は喜兵衛に柵を二重三重に作るように言った。できるなら高所から攻撃できるようにしたいとも言う。
喜兵衛は前者はできるが後者は難しいと答えた。
「……仕方ない。家屋の屋根に昇るしかないな。はしごを用意するように」
ある程度の指示を出した後、今度は隣に居た鉄太に訊ねる雪之介。
「矢を作れるか?」
「できるけど、俺一人じゃ一日に五十が限度だよ」
野武士が来るまで四日。
早めに来ると考えても三日だ。とても足らない。
「村人と協力して作れ。狩猟をしているのだから、作れないことはないだろう」
「どのくらい必要なんだ?」
「なるべく多くだ。千か二千は欲しい」
「そんなに? 大変だなあ」
鉄太は最終的に「うん。頑張るよ」と言って、さっそく村人に協力を募った。
元々村にあった矢は二百。これより多く作る必要がある。
矢作りに心得のある者は少なからず居た。老人にそれが多く、鉄太と同じくらいの量を作れた。
不器用な者や、矢を作ったことのない者に鉄太は材料を集めるように言った。
村の存亡と自身の命がかかっているので、皆真面目に、不平を言わずに働く。
雪之介は指示を出し終えた後、絡繰を作ることにした。とは言っても、作れる物と数には限りがある。それに期限の四日後を考えると、さほどたいした物は作れない。
だが雪之介は黙々と作業を始める。木を加工して材木とし、弦となる紐を編む。動かす手に迷いは無かった。
「……何を作っているのよ?」
村人から無視されている菜花は、基本的に手伝いもできないので、雪之介に話しかける。
「絡繰だ。村を守るためのな」
「前から聞こうと思ってたけど、絡繰ってなに?」
雪之介は「教える必要はない」と手を止めずに言う。
「……本当に無愛想ね。鉄太が懐いているのが不思議だわ」
「俺もそう思う。あいつは何を考えているのか……」
菜花が鉄太を見るとすっかり村人と馴染んでいた。人懐っこくて素直な性格が吉と出たのだろう。
それを――本当に羨ましく眺める菜花。
「お前はどうして、嫌われているんだ?」
雪之介が手を止めた――いや、別の道具に持ち替えただけだった。
「……聞きにくいことをはっきり訊くのね」
「聞きにくいことではない。お前が言いにくいことだ」
雪之介は作業を続ける。菜花は黙って近くに座り込んだ。
それからかちゃかちゃと絡繰を組み立てる音と村人の話し声だけが場を支配した。
「ふう。疲れた……って兄貴たち、すっかり仲良くなったんだな」
もうすぐ夕暮れという時間になったとき、鉄太が雪之介たちの傍に近づく。
「……仲良くなっていないわよ」
「嫌いだったら近くの寄らないだろ。何の話をしてたんだ?」
鉄太は菜花の隣に座った。
雪之介も手を止める。どうやら絡繰が完成したようだった。
「……どうして、嫌われているのかを訊いていた」
「兄貴も凄いこと訊くなあ。でも俺も気になっていたんだ」
鉄太はくりくりした目で菜花に「言いたくなかったら言わなくていいよ」と言う。
「でも、言いたかったら言えばいい。死んだ親父が『言葉ってのは言いたいことを言うためにある』と言っていた」
「……長い話になっちゃうけど、いい?」
鉄太は「もちろんいいよ!」と頷いた。
雪之介は何を言うでも無く、黙って菜花のほうを見た。
菜花は深呼吸した。
「だいぶ古い話になる。昔、この村に武芸者が訪れた。強くて格好いい男だったらしい。その男と村長の娘が恋仲になって、やがて子どもを宿した。でもね、武芸者はそのことを知らずに、また旅に出てしまった。娘は子どもができたことを誰にも言わなかった――」
一息で言う菜花。
鉄太は黙って聞いていた。
雪之介は何となく話の結末を予想していた。
「妊娠なんて隠し通せるもんじゃない。娘は村長から怒られた。娘には許婚が居たし、血を絶やすわけにもいかなかった。子どもを産んだら捨てろと言われた。でも、娘は産んでも子どもを捨てられなかった。その子はすくすくと育った。村人に迫害されながらね。そして、その子も子どもを産んだ」
菜花の目から涙が流れた。
他人に自分の出生を明かせた喜びか、それとも自分の生まれの不幸を嘆いているのか。
雪之介はともかく、鉄太ははっきりとは分からなかった。
「武芸者と村長の娘の間に産まれた子どもの子が――あたしさ。まあ、迫害されたあたしの母は流行り病で死んじゃったけどね」
涙を拭いながら、菜花は自嘲するように笑った。
「そんな……菜花のねーちゃん、全然悪くないじゃんか!」
鉄太が大声で喚いた。
そんな彼に菜花は一瞬驚いて、それから優しげに微笑む。
まるでそんな風に言われたことなかったと言わんばかりに。
「ありがとう。そう言ってくれて、嬉しいわ」
「……なんで、村を守ろうとしてるの?」
誰もが思う当然の問いを鉄太は投げかけた。
「さあね。こんな生まれで育ったあたしでも、何か期待しているんじゃないかなって思うんだ。村を助けたら、皆に認めてもらえるって」
菜花の目を見ても、それが真実かどうか、鉄太は分からなかった。
「でもさ。改めて酷いよね。あたしの人生。村を守っても役立たずって言われるしさ。守れなかったら酷く叱られる。本当に……何のために生きているのか分からないくらい酷いね……」
「そんなこと――」
鉄太が何かを言いかけようとしていた。
「ああ。酷いし、虚しいな」
それを遮って、雪之介が言う。
容赦も遠慮も無く、あっさりと言う。
「とても酷い、半生だ」
「ちょっと、兄貴!」
「あはは。そうだよね……」
鉄太はなんでそんなことを言うんだという非難の目を雪之介に向ける。
雪之介は菜花に目を向けて、それから言う。
「でも、救いようがないってわけじゃない」
「……えっ?」
「人間、暗い過去を背負っている奴はいくらでも居る。今は戦国乱世だからな」
雪之介は菜花と目を逸らさず、表情を変えずに言う。
「暗いところにずっと居ると、自分の存在が正しいのか、よく分からなくなる」
「…………」
「でも、明けない夜なんてないように、必ず光が見えてくる」
雪之介は立ち上がって、座り込んでいる菜花に近づき、頭をそっと撫でた。
「か細い光でも、見えるのならその先に向かって歩け。お前なら――辿り着けるさ」
「…………」
「だから、負けるな」
雪之介は脇に置いていた大箱を背負ってどこかへ歩いていく。
鉄太は雪之介を追うか、菜花と一緒に残るか迷ったが――菜花の傍に居ることを選んだ。
「菜花のねーちゃん……」
「……案外、優しいこと言えるんだね、雪之介って」
菜花の頬に一筋の涙が零れた。
「鉄太が、ついて行くのが分かる気がしたわ」
「うん。兄貴の良さは意外と伝わりにくいんだよな」
そう言った鉄太も雪之介がああ言うことを言うとは思わなかった。
黄昏から次第に漆黒の幕が下りてくる。
野武士の来襲まで、残り僅かだった。
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