第5話志賀村事情

 野武士に狙われている山間の農村――志賀村。田畑はそこそこあるが、それだけではまかなえないのか、村人は狩猟もするらしい。弓矢を携える男が少なからず存在した。

 しかし先ほどの野武士の襲来で被害が出てしまっている。男たちは慣れた手つきで壊れた柵や建物を補修していく。女や老人たちはその補助だ。飯を炊いたり材料の運搬をしている。


 雪之介と鉄太は、老人――村長の喜兵衛と名乗っていた――の家に招かれた。無論、二人を連れてきた菜花も同席している。

 だが、菜花が村でどのような扱いをされているのか、雪之介と鉄太は喜兵衛と村人の対応で分かってしまった。

 まず、尻に敷く座布団代わりの藁の編み物が二つしか用意されていなかった。次に飲み物の白湯も二人分しか出されなかった。さらに言えば、白湯を持ってきた若い女――喜兵衛の娘か孫だろう――が菜花をまったく無視して、それらを置いたことで二人の疑惑は確信に変わった。

 鉄太はあまり賢くはないが、こうした人の態度の機微を読み取るくらいはできた。


「なあ兄貴。なんか感じ悪いな」

「…………」


 ひそひそ声で鉄太は雪之介に言う。


「……いつものことよ。気にしないで」

 

 しかしそれに答えたのは菜花だった。ま、狭い空間で内緒話をするのは無理がある。


「いつもなのか? どうして――」


 何のためらいも無く、鉄太が事情を聞こうとするが、間の悪いことに喜兵衛が部屋に入ってきた。


「お待たせして申し訳ない。村の補修の指示をしていたので」

「そうだろうな」


 冷たく返す雪之介。そして白湯を一口含んで飲む。


「改めて言うが、お二人には野武士から村を守っていただきたい」


 そんな雪之介の態度を意に返さず、喜兵衛は要望を述べた。

 鉄太は三人の顔を順々に眺めながら考える。

 兄貴は面倒そうな顔をしている。

 菜花のねーちゃんは無表情だ。

 喜兵衛のじっちゃんは真剣だった。

 俺はどんな顔をすればいいんだろう?


「まずは、詳細を教えろ」


 しばし黙った後、雪之介が口を開く。


「野武士の人数。奴らの武器。馬の有無。村に来る頻度。そしていつまで守らなければいけないのか。詳しいことが分からなければ、受けるかどうかも考えられない」


 鉄太は珍しく兄貴が長く喋ったなと驚いた。てっきり話を聞かずに断るとばかり思っていたこともあって、雪之介の顔をまじまじと見る。

 さっきと変わらず、面倒そうな顔をしていた。

 また菜花も心中で意外と慎重なのだなと感じていた。面には出さないが、感心もしていた。


「そうだな。当然な話だ。確かに仔細を知らねば、受けられないのは道理だ」


 喜兵衛は頷いた。それから困った顔で「だがわしたちも野武士がどの程度の勢力か分からぬ」と言う。


「奴らがどこを根城にしているのか。人数や武器なども不明だ。しかし野武士は月に二度やってくる。そこの役立たずがその都度追い払っているがな」


 顎をしゃくって喜兵衛は菜花を示した。

 対して菜花は黙して何も反論しなかった。

 鉄太は「そんな言い方――」と文句を言いかけたが、雪之介の言葉に制された。


「野武士は――三日もすれば来るぞ」


 単なる予想ではなく、確実に分かっているような口調だった。


「ど、どういうことだい、兄貴?」

「野武士を四人殺した。二人は逃げた。報復は必ず来る。あんたも分かっているから、俺たちに頼むんだろう?」


 雪之介は喜兵衛から目を逸らすことなく、思っていることを言った。

 喜兵衛は「……ご明察だ」と苦笑した。


「野武士が定期的に来るのは、そのほうが旨みがあるからだ。勝手に作物を作り、それを奪えばいいだけだからな」

「だったら、報復なんてしないんじゃないか?」


 鉄太の疑問に「それでは侮られる」と短く答えた雪之介。

 

「野武士が侮られたらおしまいだ。簡単に作物を奪えなくなる」

「そういうものなんだ……」

「報復は、村が滅ぶ寸前まで行なわれる」


 雪之介はまるで見てきたように話す。


「男は殺され、女は犯され、子どもは売られる。山に逃げても、田畑は焼かれるから、領主に納める年貢が無くなる。逃散ちょうさんするしかない。結局、この村は日の本から消え去る」


 語られた現実は悲惨だった――それを思い知った鉄太は「じゃあどうするんだよ!?」と喚いた。


「このまま、滅ぼされるしかないのか!?」

「うむ。だからおぬしたち二人に頼んでいるのだ」


 喜兵衛が熱のこもった声で話し始める。


「遠目から見ていたが、何やら珍妙な道具を使うじゃないか。それを用いて、村を守ってもらいたい」

「……お前、何を知っている?」


 雪之介は口調を変えずに、喜兵衛を問い詰める。


「知っている? 何のことだ?」

「とぼけるな。俺は絡繰を用いるが、見せたのは小型投石器だけだ。あれだけ見て村を守れると、どうして思える?」


 喜兵衛の顔色は変わらないが、雪之介は確信を得ていた。


「それに俺たちの名前を聞いていない……もしや俺の素性を知っているな?」


 鉄太と菜花は何のことかさっぱり分からなかった。

 鉄太は旅に同行しているものの、雪之介と身の上話はしていない。

 菜花は雪之介が常人ではないと思っているが、詳細は分からない。


「……ああ。知っている。絡繰奇剣の雪之介。有名な人斬りだ」


 言った喜兵衛がおもむろに手を叩く。すると部屋の戸が開き、ずらりと村の男たちが取り囲んだ。

 彼らの手には、鎌や農具などの武器があった。


「…………」

「そんな恨めしそうな顔をしないでくれ。無理矢理従わせるつもりはなかったが、村の存亡がかかっているんだ。手段は選ばんよ」


 あまりに汚い手段に鉄太が抗議しようとする――その前に菜花が喚いた。


「村長! これはあまりに――」

「黙れ! 穢れた娘が! お前は黙って従えばいいのだ!」


 喜兵衛の叱責に悔しそうに唇を血が滲むほど噛み締める菜花。


「さあどうする? 協力するのか、しないのか?」


 鉄太は心配そうに雪之介を見る。

 菜花も同情の目を向けた。


「……断る」


 雪之介は――短く拒絶した。

 眉を上げる喜兵衛。


「……この状況で、よくもまあ断れるものだ」

「お前こそ、勘違いしているな」


 あくまでも動じない雪之介に村の男たちは不気味なものを感じていた。


「俺がここで死ねば、野武士の襲撃を防ぐ術が無くなるぞ」

「…………」

「ならばこいつを人質にするか?」


 鉄太を指差す雪之介。

 すぐさま表情一つ変えずに言う。


「……動いた瞬間、そいつを殺す」


 牽制ではなく、本当にそうするという凄みを雪之介は放っていた。

 結果、数の上では有利なのに村人は動けなくなる。


「俺と交渉しようなどと考えること自体、虚しいぞ」

「……流石に他国まで名を轟かせるほどの人間だな」


 喜兵衛は平静を装っていたが、背筋の凍る思いをしていた。

 わしは人間と言ったが、本当にこれは人なのか?

 人の形をした何かではないか?


 雪之介は囲まれているのにも関わらず、平然と立ち上がった。

 そして鉄太に「行くぞ」と告げる。


「あ、兄貴……こ、腰が抜けて……」

「さっさと入れ直せ」


 冷たく言い放ち、雪之介は出口へと足を進める。

 村の男たちは思わず道を開けた。

 鉄太は何とか立ち上がり、雪之介の後に続く。

 二人が外に出ると、様子を窺っていた村人は一斉に散っていった。


「なあ兄貴。この村、本当に滅んでしまうのか?」

「……そうだな」


 あくまでも冷たい雪之介に鉄太は淋しそうに言う。


「じゃあ菜花のねーちゃんも、死んじゃうのかな……」

「…………」


 二人が村の出口まで来たとき、大声で呼ぶ者が居た。


「雪之介、鉄太! ちょっと待っておくれ!」


 息を切らしながら走るのは菜花だった。

 二人の前に回りこんで、そのまま土下座する。


「村を助けてやって。お願い」

「……解せないな。お前は村から疎外されているんじゃないのか?」


 雪之介は本当に理解できないという顔をしていた。

 菜花は「あたしにも事情があるんだ」と答える。


「お願いします。どうか、どうか。助けてください。あたしだけじゃ村を守れない」

「…………」

「お前たちには関係のないことだろうけど、なんとかして村を――」


 額を地面に擦り付けて懇願する菜花。


「……どんな事情があるのか分からないが、随分と虫の良い話だ」


 雪之介は菜花の肩を掴んで、上体を起こした。


「俺と一緒に戦う者がそんな情けない格好をするな」

「……えっ?」


 雪之介は村の中へと戻っていった。


「兄貴……! やっぱり見捨てられないよな!」


 鉄太は嬉しそうに雪之介の後をついて行き――そして菜花のほうを振り返る。


「何してるの? 早く行こうぜ!」


 菜花は呆然として、それから照れ隠しに喚いた。


「ええ、今すぐ行くわよ!」

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