第3話絡繰人形

「なあ、兄貴。本当にさっきの道で合っているのか?」


 諏訪を出て二日後のことだった。

 黄昏から夜中へと変わりつつあるが、鬱蒼とした山道を抜けられないことに不安を覚える鉄太。通る予定の佐久への道を、途中の村の人間に聞いたものの、半刻経っても着かないところを見ると、どうやら道に迷ったようだ。


「……おそらく合っている」

「おそらくって……地図ぐらい買えば良かったな」

「……その地図を買う銭は俺が出すことになるが?」


 思わぬ反撃に鉄太は何も言えなかった。それもそのはず、鉄太は雪之介に救ってもらって、そのまま旅に同行したのだった。そうでもしない限り、雪之介はさっさと先に行ってしまうのは確実だったので仕方ないが。

 というわけで旅の費用は雪之介が出していた。しかし彼の銭も元々は織田家の刺客から頂戴したので、綺麗なものとは言えない。


「お腹空いたー! さっきの村で一晩休めば良かったんじゃないか?」

「文句があるなら、お前一人だけで引き返せ」


 あくまでも冷たく返す雪之介。助けたことを少しばかり後悔している様子だった。


「そんなこと言わないでくれよ……それより暗いと危ないから、火を焚いて休もうぜ。今は見えるけど、すぐに顔も見えなくなっちまう」


 雪之介は少し歩いて「あそこで休もう」と指差す。少し開けた場所がそこにはあった。


「よっしゃ。やっぱり兄貴は話が分かるなあ」


 先ほどとはうって変わった態度の鉄太。早足で開けた場所に向かおうと、雪之介の横を通る――


「――っ!?」


 鉄太が前に行こうとしたとき、後ろの着物を引っ張り、尻餅を突かせた雪之介。


「な、何を――」


 鉄太は文句を言おうとして、言葉を止めた。

 見上げるとさっきまで自分が居た位置の後方の木に、矢が刺さっていたからだった。


「あ、兄貴。これは……」

「下がっていろ。確実に狙われている……」


 慎重に後ずさりする雪之介。腰が抜けた鉄太は這って後ろに逃げる。

 しばらくしても二射目が来ない。妙だと思った雪之介は背負った大箱から、人形の部品を取り出す。それを素早く組み立てると、ちょうど鉄太と同じくらいの背丈となる。


「あ、兄貴。そりゃなんですかい?」

「絡繰人形だ。試作品だか、歩くことはできる」


 ふらつきながら絡繰人形は歩く。そして鉄太が矢を受けた場所に差し掛かると、一寸の狂いなく、矢は絡繰人形の頭部に当たった。


「よし。隠れるぞ」

「人形は回収しないのか? ていうか隠れるって……」

「人間と勘違いして様子を見に来るかもしれない」


 鉄太はああそうかと納得し、近くの茂みに隠れる。雪之介は鉄太と反対側の茂みに隠れた。


 すると雪之介が言ったとおり、人形に近づく者が居た。暗くて詳細は不明だが、人間であることは間違いない。

 その者は人形の近くまで来て屈んだ――しかし驚いて立ち上がる。人形だと気づいたようだった。虚を突かれた形となったので、雪之介が背後に回ってその者を容易に押し倒せた。


「お、お前――」

「やったぜ兄貴!」


 鉄太が近づいて、襲ってきた者の顔を見る。

 すぐに彼は驚いて大声をあげてしまった。


「こ、こいつは……女だ!」


 そう。雪之介が組み伏せた者の正体は――年若い女だったのだ。

 おそらく、雪之介より下だが鉄太より二、三才は年上だろう。女には珍しく短い髪。勝気な表情。目と口が大きい。

 悔しそうにこちらを睨む女。

 しかし雪之介は沈着冷静に「何者だ」と訊ねた。


「あ、あたしは……」

「猟師か。女にしては珍しいな」


 雪之介は素早く素性を見破った。百姓の服の上に、自分で作ったであろう毛皮の上着を着ている。弓矢も矢籠も手作りなところを見ると、猟を生業(なりわい)とすることも推測できた。


「お、女だからって、何が悪いのよ!」


 じたばた暴れるが、雪之介は放さなかった。というより、どんなに力があっても拘束できる体勢になっていたのだ。


「それにしても、お姉ちゃん危ないことするなあ。もし人間だったら死んでたぜ?」

「うるさい! どうせお前たちも野武士の一員なんでしょう! そうじゃなきゃ、村の裏手に回る道に来ないわ!」


 鉄太は「野武士? 何のことだ?」と首を傾げた。


「俺と兄貴は旅人だよ。志賀村ってところを目指してたんだ」

「はあ? 志賀村に何の用よ!」


 喚く女に雪之介は静かに答える。


「用はない。旅の途中で立ち寄るだけだ」

「……じゃあ、お前たちは、野武士じゃないの?」


 女が愕然とした顔になる。

 鉄太は「野武士が出るのか?」と訊ねる。


「ああ。最近になって活動的になっているわ」

「そうなんだ。なあ兄貴。もう暴れたりしないみたいだから、放してあげれば?」


 鉄太の言うとおりだと思ったのか、雪之介は女から離れた。

 女は素早く立ち上がって、二人と距離を取る。


「お前たち、普通の旅人じゃないわね……変な人形といい……怪しいわ」

「うん。俺も兄貴がどういう人間か分からないんだ」


 鉄太は肩を竦めた。

 ますます怪訝な表情となる女。


「本当に何者なの?」

「俺は鍛冶職人になりたい男の鉄太だ。兄貴は雪之介って言って、不思議な物を作る……職人かな」


 雪之介は自分のことを言われても気にすること無く、人形から矢を抜いて分解し始めた。


「全然、意味が分からないんだけど」

「それより、あんたの名前は?」


 鉄太は真っ直ぐ女に質問した。


「こっちも名乗ったんだから、教えてよ」

「……菜花なばな。それがあたしの名だよ」


 鉄太は「そっか。菜花か」と口に出す。


「菜花のねーちゃん。村まで案内してよ」

「……なんであたしが?」

「だって、俺たち殺されかけたし」

「…………」


 少し悩んで菜花は「村まで時間がかかる」と言う。


「代わりにあたしが使っている小屋まで連れて行くから、今日はそこで休みな」

「本当か!? やったぜ兄貴。野宿せずに済んだ!」


 はしゃぐ鉄太に対し、雪之介は「世話になる」と一言だけ礼らしきことを述べた。


「よく喋る子どもと無口な大人ねえ。一体どういう組み合わせなんだか」

「……口数多くても、虚しいだけだ」


 雪之介は大箱を背負い、そのまま黙り込んでしまった。

 さっさと行けと言外に言われているような気分になる菜花。


「……着いてきな」


 声音が低くなってしまうのは無理もないなと鉄太は黙って思った。


 小屋と呼ぶには大きく、家と呼ぶには小さい建物に雪之介と鉄太は案内された。

 三人は中に入る。中心には囲炉裏があり、菜花はそこに鍋を吊り下げて、水瓶から水を注いだ。


「猪汁作るけど、二人とも食べる?」

「俺は食べる!」


 元気よく鉄太が言うと、雪之介は「それでいい」と壁に寄りかかって座った。

 そして大箱から人形の頭部と絡繰を施すための小道具を取り出すと、誰に言うでもなく修理を始めた。


「……何か手伝うよ。俺、こう見えても器用なんだ」

「ありがと。じゃあ野菜を適当に切って」


 鉄太は無造作に置いてある包丁を手に取って「うん、分かった」と言った。

 貯蔵してあった干した猪肉を軽く炙った後、適当な大きさに切って、野菜と一緒に煮込む。その際、味噌を入れていた。


「さあ。お食べ」


 木の椀によそった猪汁は、食欲をかき立てる出来となっていた。


「いっただきまーす!」


 元気よく食べ始める鉄太。

 しかし雪之介は手を付けない。


「……毒なんて入っていないよ」

「そのようだな」


 鉄太の様子を見て、ゆっくりと食べ始める雪之介。


「なんだよう。兄貴は冷たいなあ。名前のように冷たいなあ」

「……それだけで済ませられるんだね」


 改めて菜花はこの二人組は何者かと疑った。

 兄弟ではないらしい。互いの素性も理解していないようだ。


「ごちそう様! はあ、美味しかった!」


 おかわりを三杯もした鉄太に菜花は「お粗末様でした」と思わず笑った。


「あ、笑った」

「…………」

「いや、そんな悔しそうな顔をしなくても」


 一瞬だけ気が緩んでしまった自分に喝を入れるために頬を叩いた菜花。


「今日はもう遅い。明日、村まで案内するよ」

「ありがとう。ほら、兄貴も……」


 水を向けられた雪之介だったが、すぐに絡繰人形の手入れをし始めた。


「こういう人なの?」

「こういう人みたい。なんか親父を思い出すなあ」


 そう言って横になる鉄太。


「ふわああ。今日も疲れたなあ。菜花のねーちゃん、兄貴に代わってありがとうだ」

「あ、ああ。おやすみ」


 寝息を立て始める鉄太と作業に没頭する雪之介。

 内心、なんなんだこいつらと思いつつ、菜花は警戒を怠ることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る