終わり

 次の日。彼女は公園にいた。

 まだ散らない満開の桜を夕焼けが紅に染めていた。

 どれくらい時間は経過しただろうか。やがて男が現れた。彼女は微笑み春川桜子の名を紡いだ。男がベンチに腰掛ける。今回は彼女と同じベンチに。

 桜の花が散ってしまうのではないかと思えるほどの沈黙を経て男は口を開いた。

 初恋の、ハルカ、と切れ切れの言葉が静かな公園を空気を揺らした。

 男の言葉に頷くと彼女はほほ笑み、この前と同じ仕草で宙を指でなぞった。それに面食らう男に彼女は『春川桜子』と告げた。

 困惑したまま彼女に促されて男は口を動かした。春川桜子、と。


 春川桜子と彼女。

 春川桜子と男。


 春川桜子春川桜子、春川桜子、春川、桜子……。


 繰り返す言の葉を舌で転がすうちに男は青ざめ間の抜けたか細い悲鳴をあげた。


 ハルカワサクラコ、ハルカワサクラコハルカワサクラコ、違う。


 ハルカ遥香サクラコ桜子だ。


 魔性が花開いた。

 彼女は嗤う。哀れな獲物を。

 優雅に指を躍らせ彼女は言の葉をまた紡ぐ。じんわりと相手をいたぶるように。

『どうして私を見ているの?』『どこまで私を見えているの?』と。

 男は彼女が指し示すものが何か気づいた。

 それは地面に張り付いた影だ。違う。もっと深いところにそれは在る。

 影がごぽりと瞬いた。男はついにそれに気づいてしまった。

 理解した、理解した、秋田葉太は理解したと彼女はけらけらと嗤い男の頬に触れる。もう逃げられない。今度は逃がさない。貴方は理解してしまった、そう彼女は告げる。

 言葉に出来ないだけでそれを理解した。知ってしまった、見てしまった、触れてしまった。だからもうお終い、と。

 男は腰砕けになりながら必死に駆けだした。しかし、すぐに倒れてしまう。男の足から伸びた影が彼を捕らえたのだ。男の影から這い出たそれは彼女の足元のそれと混じり合っていた。

 彼女が一歩傍へ近づくと、男の身体が影に沈んでいった。男は泣き叫び藻掻もがいて助けを求めた。甘美に酔いしれるような足取りで彼女は一歩を刻んでいく。

 最後の一歩。彼女はそっと男に手を差し出すが、触れ合うことはなく男は完全に影に沈んでしまった。しばし地面を見つめていた彼女だったが、うっとりと舌なめずりしてから自身も影に沈んでいった。

 人気のない夕暮れの公園に満開の桜だけが残された。

 桜の花が時を思い出したかのように散り始めた。

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