第4話 やり遂げてしまった男

例4 軽ラック一台の行商から、定食屋チェーンの帝王へ昇りつめた男の話だ。


結局、どうなっているのか、俺にはよくわからない。

ただ、ただ、辛い。


俺は今、夢の中にいる。

大理石の床はつるつると光り、足の裏に冷たくなめらかだ。

俺の椅子は、ダイヤモンドが埋め込まれたガラス製の椅子だ。

これもまた、つるつると俺の両手を和ませる。


両方の人差し指で、埋め込まれたダイヤを撫でる。


顔を上げると真っ青な空の向こうに、富士山が見える。

高層ビルの45階、ここは、俺が夢にまで見た会長室だ。


社員3000人。

定食屋を全国1000店舗達成。


俺は『成功者』となって、崇めまつられている。


今、俺の見ている風景を、言おうか?


ただ、ただ、空しい、面白くない世界だ。


二十歳のころ、上京した。

親せきのおじさんからもらった軽トラックに、

市場の関係者にもらった野菜や果物を積んで、売っていた。

それが俺の商売の原点だ。


東京の街を高層ビルのてっぺんから見下ろす。

内臓がめくれるくらい願った。


貧乏は嫌だ。

家族にいい暮らしをさせたい。

お客さんに喜んでほしい。


軽トラックは、一坪の店舗へと発展した。

そして、次はビルのテナントに定食屋を出した。

それがヒットした。


店の野菜や果物を使って、家庭の定食を作った。

普通に家で母親が作っているような料理ほど、

人気があった。

たとえば、肉野菜炒め定食や、カレーライス。

焼き魚定食に、天津丼。


みるみる店は繁盛した。


日本中走り回って、怒鳴って、泣いて、血と汗にまみれた。


若いやつらも歯を食いしばってついてきた。

みんないい奴らだ。

いい仲間だ。


みんな俺に休めという。


俺は今、何もやることがない。


もちろん、店舗回りは続けているし、

銀行や行政との折衝は時々行く。


そういうことではないのだ。


夢がない。


夢をかなえてしまったら、

それも、命がけのそれを極めてしまった男には、

とてつもない寂しさがやってくるのだ。


贅沢な悩みだと人は言うだろう。


慈善事業でもやれ、と言うだろう。


しかし、そうじゃない。


食えなくて、走り回り、チャンスを捕まえに飛んだり、

飛び込んだり、傷だらけ、火だるま、非難ごうごう、

はったり、度胸、勝負勘、きらきらとした汗だったり、

涙だったり、怒号や叱咤激励・・・。


楽しかったなぁ

俺は生きたなぁ

俺はやり遂げたなぁ


今、金がまったくなくて、夢しかないという男がいて、

全財産と引き換えにその男と代われるというならば、

俺はそうするだろう。


俺には今、何もやることが、ない。

やることはあるにはあるが、それじゃないんだ。









 





   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る