後編

「え? 私はここの孫娘の――」


「いや、もうその誤魔化しは良いよ。俺はね、この前ここの魔物について調べに行った郷土資料館で前の女将だった君のおばあさんを知ってる人に会ったんだよ。その人が言うにはこの旅館「みよしや」には確かに恵子という孫娘がいて、彼女は両親と一緒に都会に住んでいたが今から一年前に交通事故で親子三人とも亡くなっているらしいじゃないか。そしてここの女将はそれが元で体を壊して入院することになったと。なあ、それじゃあ今俺の目の前にいる恵子さん、あんたは一体何者なんだい?」 


 恵子は笑顔のまま片倉の話を聞いていた。だが、なんと言えば良いのだろうか? 笑顔でいるのは同じなのだが、その本質が変わったとでも言うような笑顔に片倉は思わず後ずさりをする。


「……へぇ。そんなところから情報が漏れるとはね。ねぇ先生、あなたには一体私は誰だと思います?」

「そうだな。ここの宿屋を乗っ取ろうとしている犯罪一味といったところかな? 辺鄙な宿屋を選んだのは悪くない着眼点だと思うよ? ここの村の人間はあんたのことを良く見知ってなかったからすっかりあんたを孫娘だと思っていたみたいだし、ここなら宿泊客と称して胡乱な人間が居着いてもばれにくいだろうからな」


 してやったり! と言う顔をしている片倉の顔を見て恵子は逆に心底がっかりという顔をになり、まるで諭すように易しい口調で彼に語った。


「やれやれ……これだから三流探偵なんですよ、先生は。どうせ調べるならもう少しその郷土資料館の人にここに出る『魔物』について聞くなりすれば良かったのに。その人ならきっと答えられたでしょうから、ここに出る『魔物』が実は若い人間の女性の姿をしてると言うことを」


『魔物』――かつてこの村で非業の死を遂げた女性がいた。それが恨みを晴らすためこの村に災いをもたらそうと百年毎に蘇るようになった者。そして一度災いを起こせば再び災いを起こす力を蓄えるために向こう百年は現れることが出来ない者。


「……え? おい、ちょっとまてよ。それじゃまさかお前、が?」

 盛夏だというのに片倉の背中に冷たい汗が流れた。

「そう。だからね? 実際私が起こした災いじゃなくともここの人間があれを私が起こしたものだと信じてしまえばそれ以上のことは私には出来なくなっていたの。全く、あんなチンケな人殺しを私のせいされて私の起こす災いを潰されちゃ我慢ならなかったのよ。今年は前回よりももっと大きな厄災を起こすつもりだったんだから」

「それで俺を雇って真犯人をあぶり出したって言うわけか」

「ご明察! って、流石にそれくらいはわかるか」

ケラケラと笑う恵子に負けじと片倉も言い返す。

「そうか……だがそれを俺に言ってしまって良かったのかな? 俺はこの後、街の警察にここのことを言いに行くことになってるんだぞ? そして俺が行かなければここに警察が来る手はずになってるんだ」

「あぁ、なーんだ、そんなこと。ねぇ先生、『魔物』の名前、私が先生にこの宿について最初に食事をお出ししたときに言いましたよね? その名前、言ってみてくれます?」

「ああ、覚えてるさ! 『魔物』の名前は――な、まえ、は……」


 これは一体どうしたことだ? 片倉は暑さのせいではない目眩を起こしながらあの時聞いた『魔物』の名前を思い出そうとした。だが思い出せるのはあの日食べた夕食の美味さだけで『魔物』名前がどうしても思い出すことが出来なかった。ああ、頭がクラクラする……名前……一体何の名前だ? 俺は何を思い出そうとしている? ああ、そうだ。あの山菜料理美味かったなぁ……川魚も美味かったなぁ……


「あのね? 先生。この村で生まれ育った者には効かないんだけれど、私の作った料理を食べたら私の名前はわからなくなっちゃうの。それはね、私に逆らうことが出来なくなるのと同じなの」


 ぼうっと突っ立っている片倉の頬を優しく撫でながら語りかける。


「さぁ、これから街に行って警察にはなにも無かったと言ってきなさい。そしてこれからここの宿の宣伝をしてくるのよ。美味しい食事があなたを待っています、ってね」


 ――ああ、楽しみだ、楽しみだ。今回はここの村民だけではなく街から来る人間も巻き込んでどんな災いを引き起こしてやろうか?


 恵子だった者は夢から覚めたように張り切って街へと帰って行く片倉の背中を見ながら一人ほくそ笑むのだった。


   <了>

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魔物 @emyuu

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