第3話 コミュニケーション


 まあ、確かに父は苦労したんだろう。

 それはわかった。

 わかったから、話も聞くから、身体の自由を返してくれないかな。


 そう目で訴えかけたら、起伏のない声でせなちゃんに、「あと10回も呼吸すれば自由になる」って言われた。

 なんか、ここまでのことをしてくる相手に「ちゃん」付けも腹立たしいけど、さすがに歳下の女の子を呼び捨てにするのはためらわれたし、ましてや「さん」なんか付けるのは負けた気がするからさらに嫌だ。


 中3が小3に、先輩呼びなんかできるかってんだ。

 それに僕は、魔法なんて横暴には負けないからな。



 とはいえ、父の話を誤解していたということは、無理矢理にもわからされた。

 鳴滝さんが、本当にこの世界が好きなのもわかった。だから、この世界に来るきっかけとなった父に感謝しているのも、それを最初から父が見通していたのもわかった。


 手足も失い、自力では呼吸すらままならない状態で、1年を耐え抜いた父がすごいのもわかった。

 さらに、他の大陸まで救おうとした鳴滝さんの留守を守り、円形施設キクラ・ネットワークをこの大陸全体でのシステムとして構築したのは父だということもわかった。

 空気から肥料を作ることさえも、父はやってのけたらしい。



 となると……。

 結局、残されたのは、僕がこの先どう生きるかという問題だった。

 特に、鳴滝さんが工事士としての能力があり、誠意に満ちた人だとしても、元の世界ではまともに生きていけなかったという事実が、僕の心に重くのしかかっていた。

 僕はこの先、どう生きるのがいいのだろう?


 「父さん。今ここで結論は出さなければダメかな?」

 初めて、僕はここで父を「父さん」と呼んだ。

 わだかまりが消えたわけじゃない。

 でも、正直言って、話を聞いて誤解が解けたうえで、魔法とかいうものの衝撃の前では、この程度のわだかまりは色褪せて見える。


 「聡太の結論が、1日で出るなんて思っていないよ。

 鳴滝だって1年近く悩んだし、俺だってそうだ。

 もっとも、俺は葬式まで済まされちゃったから、帰るに帰れないんだけどな。

 ただ、この世界の方が楽に生きられるというのは、言っておきたいと思う。

 少なくとも、善意は通じるからな」

 ……なるほど。



 まぁ、この歳になれば、僕だっていろいろ見えているものはあるよ。

 いや、逆説的な言い方だけど、見えていないもののほうが怖いってことが見えている。

 居眠りばかりしていても成績が常にトップの奴とか、善意に満ちた良い先生が生徒のいない職員室では必ずしも報われていないとか、だ。

 でもね、それでも……。

 いい先生には良い目に会っていて欲しいと思うのは、欲張りな考えじゃないと思うんだ。


 じゃあ、今以上に勉強とかも頑張って、この世界を良くして、それが素直に感謝されるって良いことじゃないだろうか?



 ……でも、1つだけ聞いておきたいこともあるな。

 「せなちゃんに聞きたいんだけど……。

 この世界を救った、鳴滝さんの娘って立場、大変じゃない?」

 この世界で1番の有名人の娘だもんね。

 綺麗ごとでない、本音が聞ければと思ったんだ。

 この世界のこともわかるし、父や鳴滝さんの立ち位置もわかる。

 さらには、この世界の人たちの気質だってわかるだろう。


 せなちゃんの視線が、物憂げなものから真剣なものに変わった。

 「大変だよ。

 だからなに?」

 「えっ?」

 「だからなに?」

 ……答えられない。

 みんなが自分を知っていることが辛い、そんなの、この娘はもう通り抜けているんだろうか。

 まさかの「だからなに?」攻撃に、僕は対応できない。


 おまけに、僕はなんてふわっとした質問をしてしまったんだろう。

 質問の意義はわかっていても、それを答えさせる意味をわかっていなかった。


 「父と母は、この世界を救った。

 そして、私はここにいる。

 それを嫌だと言って、なにかが始まったり、変わったりするの?

 そんなこともわからないの?」

 ……魔法がなくても、僕、この小3に敵わないんじゃないだろうか?


 でも……。

 僕は、父がいなくなって、それなりに他の子より苦労して育ったと思う。

 でも、この娘はレベルが違う。

 世界中で1番有名な娘。

 きっと、世界中で1番、1日も早く大人になることが求められた娘。

 それなのに、世界を救うという目的を疑うことなく信じている娘。

 母親も、その目的を疑うことなく信じているんだろう。


 たしかにね、疑うことじゃないよ。

 その目的が至高なのはわかる。

 でも、その目的は疑わなくても、自分の人生をそれにつぎ込むことについては、疑ってもいいんじゃないだろうか?

 それを疑うこともなく、必死で前を向いていたら疲れちゃわないんだろうか?

 いや、あの物憂げな雰囲気は……。



 「……違うから」

 は?

 「あのね、疑問があったらきちんと聞く。

 変な気を回さない。

 私は、君の考えていることがわかるから。

 誤解があったら、それはすべて君のせい」

 えええっ?


 「……ということだ」

 と、これは鳴滝さん。

 「俺、この世界に来たとき、言葉解らなかったからさ。

 魔素石って石を身体に埋め込まれて、それで意思の疎通ができるようになった。

 で、これは言語を翻訳するより、持っているイメージを伝えるという働きが強い。

 星波は、産まれたときから魔法の力が強くて、魔素を大量に身体に持っている。そして、魔素石的なイメージを掴む能力を生まれつき持っている」

 えっと、まるで超能力だな。


 悔しいから、実験してみる。

 2乗に比例する関数の問題のことを考える。この間苦労したところだ。

 ぶっきらぼうなせなちゃんの返事。

 「x=-2」


 ……わかったよ。正解だ。

 白旗を揚げるよ。

 どのジャンルでも、この女の子に僕は勝ち目がないということだ。


 「それは違う」

 「なにが?」

 「私は問題を解いていない。

 君が解いた答えが見えただけ。

 もしも、私がそこまでの問題を今の段階で解けるようならば、本郷さんが君にここに来て欲しいなんて言わない」


 お、おう。

 案外正直なんだな。

 わかっているふりだってできただろうに。

 じゃあ、この女の子はどこまでのことができて、どこからができないんだろう?


 「イメージが掴めたからと言って、その人の技ができるわけじゃない。

 その人の考えだって、わかるわけじゃないよ。

 君の思い浮かべた数学なんて、まだ全然わからない。

 君が解けない問題の答えは、私にもわからない」

 ……そうなんだ。


 「だから、きちんと話して。そしてきちんと聞いて。

 君が話したくないことはわかっても、なぜ話したくないのかまではわからないから。また、私がわかっている範囲も、君はわかってないから」

 なんてめんどくさいんだ、と思いかけて……。

 普通の人同士の会話は、実はもっとわかりあえていないことに気がついて、僕は愕然とした。


 むしろ、恐ろしくさえなってきた。

 善意を善意として捉えてもらうための、ハードルの高さを思い知った気がした。


 「これは善意です」なんて口に出したら、逆に信用されない。

 善意の証明はできようはずもない。

 でも、少なくともこの女の子に対しては、その誤解は生じない。

 本当は、めんどうくさくないんだ。


 でも、逆に感じてしまうあたり、僕の常識がおかしい。

 いや、僕だけじゃない。

 世の中の人は、みんなわかり合える前提で話をしていて、あまり追求しあわない。それ自体はいいことなんだろうけど、気がついてしまえば怖いよ。

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