第2話 問題の整理


 ピアノのお稽古も終わって、自宅に帰ったのは2時間後。

 頭の中、混乱の極みで、もうなにがどうとか筋道立てて考えること自体が無理。

 事故だけは起こさないように、でも、近所のお弁当屋さんで、夕食だけは買った。

 これから分厚い手紙を読んで、返事を書くとなったら時間が欲しい。

 私1人ならば夕食も抜いちゃっていいけど、子供はそういうわけにも行かない。


 けど、その目算は脆くも崩れた。

 「ママが食べないなら、僕も食べない」

 わかったよ、一緒に食べるよ。

 気は急くけど、こればかりはしかたない。

 旦那がいなくなってから、子供はこんな感じになってしまった。

 子供心に、私を守ろうとしているのが解る。

 それがつらい。


 「生きていた」って旦那、この子をおいて、なにをしているんだ?

 冗談じゃない。

 許せることと許せないことがある。

 ただ、まぁ、封筒がどこからともなく現れるなんて、常軌を逸している状況なのも判りはするんだけど。



 子供と風呂に入り寝かしつけて、ようやく手紙を読める時間がとれた。

 変にごつごつした藁半紙だ。

 こんな紙、どこで売っているんだろう。

 手紙の他に、包みが1つ。

 こちらは開けて、金のアクセサリー類がごろんごろんと出てきたのには驚かされた。

 これって、イミテーションじゃないよね。

 K24って刻印、妙にまちまちだけど本物かな。

 重さと眩さは本物っぽいけど、1kgじゃ利かない量だ。これだけで数百万円ってことになる。

 まぁ、あくまで本物であれば、だ。


 とりあえず、テーブルの脇に寄せて、二つ折りの紙を開く。

 読もうとして……。


 ああ、あの人の字だ。

 癖のある、縦線の長い、あの人の字。

 一気に涙がこみ上げてきた。

 泣いてはいけない。

 泣いたら、息子が起きてしまう。

 幾夜も、そうやって、2人で抱き合って泣いた。

 近頃、ようやくぐっすり寝られるようになった息子を、後戻りさせるわけにはいかない。

 下唇を噛み、涙を拭い、読み進める。



 「すまなかった。

 俺は今、別の世界にいる。

 並行宇宙と考えてくれればいい。

 もともと1年限りで、ここで仕事をするというスカウトを受けていた。

 あまりに異常な話で、本当にすまない。

 単身赴任の話をしていたのは、そのためだ。

 先方と1年契約の話が進んでいた。


 だが、こんなことになったのは、それとは別件だ。

 そのために、俺は手足を失って動きが取れなかった。

 今は鳴滝のおかげで、手足も元通りだ。

 鳴滝が500万振り込んだそうだな。

 その原資はこの世界の金だ。

 だから、俺も金を送っておく」


 まったく、他にまず伝えることはあるだろうに。

 男っていうのはどうしていつもこう、愚かな存在なのだろう?


 「俺が動けなくなったので、1年契約の保証人ということで、鳴滝が巻き込まれてしまった。

 鳴滝はいい仕事をした。

 こちらの水があっているんだろうな。

 もう帰らないと言っている。

 俺は、帰りたいが……。

 鳴滝からそちらの状況を聞いた。俺の葬式は済んでいるそうだな。

 手足も荼毘に付したと聞いた。

 戻っても、戸籍の問題だけでなく、警察まで含めて手に負えない問題に巻き込まれそうだ。

 いっそ、おまえたちもこちらに来ないか?

 日本とは大きく違う世界だけど、暮らしやすそうではあるんだ」


 ……ひょっとして、旦那、私が思っていたよりバカかもしれない。

 子供の人生はどうするのか?

 旦那自身の、私の、それぞれの両親はどうするのか?

 大怪我をして1年、淋しさなりで耐えられなくなっていて、考えが及ばないのかもしれない。

 まぁ、私も息子のことがなければ、行く決断をしていたかもしれないけれど。

 鳴滝さんは本籍地が市役所の人だから、こういう悩みは少なかったかもしれない。

 でも、両親が健在ならば、考えなければならない人間関係は多いものなんだよね。


 それに……。

 金が豊富ということは、経済概念も違うだろう。

 だから、行った先で上手くいかない可能性だってある。

 かといって、戻ってくるのはさらにハードルが高い。

 「どこへ行ってたの?」という、単純な質問に答えられないし、子供を小学校にも行かせていないことにもなってしまう。

 そんなことも考えていないのか、ウチの旦那は?


 少なくとも今は無理だ。

 子供が義務教育を終えるまでは、問題点が多すぎる。

 それに……。

 旦那が他のところで無事ならば、私にも考えなければならないことがある。

 子供に対しても、旦那の両親に対しても、だ。

 悲嘆にくれ、この1年で10年分も歳をとってしまった旦那の両親を、このまま放ってはおけない。

 かといって、ストレートにこのことを話せば、最悪、私が病院に閉じ込められてしまう。もちろん、頭の病院にだ。



 考えを整理するために、お茶を淹れる。

 熱いのをすすりながら、もう一度考えてみる。


 どう考えても、私と子供が向こうに行くのは無理がある。

 それこそ、残された両家の両親が死んじゃいかねない。

 では、行かないことに積極的な意味を見いだせないだろうか?

 家の設計をしていると、こういうことはよくある。

 一見してどうにもならない問題だけど、新たな視点で考えれば、すべてきれいに片付いたりするのだ。


 この際だけど、いっそ、旦那は単なる遠距離の単身赴任と考えて、お互いにフォローし合うことを考えたらどうだろう?

 例えば、こちらの世界の方が科学技術は進んでいるようだから、金を代償に向こうからのリクエストの物資を送ってもいい。どうせ、大規模な世界間貿易なんてできないのだ。私自身が怪しまれてしまうし。

 ちまちましたやりとりであっても、向こうの世界では絶大な効果があるはずだ。

 そして、その余剰額は貰ったって良いはずだよね。単身赴任手当だもんね。


 大抵の問題は、お金で解決できる。私が実家に引っ越しても、職場が変わるわけではない。自力で生きていくことはできる。それに加えて、その儲けがあれば、大抵の問題はクリアできるだろう。


 問題は3つ。

 お金では解決しきれない課題だ。

 1つ目は、少なくとも息子にだけは、どこかで真実を話したいこと。

 2つ目は、旦那の両親にどうにかして現状を告げたいこと。

 そして……、3つ目が一番の問題だ。私がいろいろな意味で耐えられるかということ。


 いよいよであれば、夏休みに子供を連れて旅行するとかの名目で、一週間行って来ても良いのかもしれない。それができるかどうかという問題はあるけどね。

 とりあえず、ここで考えていても判らないことは、全てエクセルで表にして封筒に入れよう。

 ついでに、コピー用紙とボールペンも入れてやれば、より小さい字で書いて情報の量を増やせるだろうね。


 あと、封筒はゴミ袋に入れておこう。

 炭の粉が出ても良いように。

 あまりうちの中を汚したくないからね。


 やっぱりだんだん慣れるよ、こんな事態にさえ。

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