第6話 結婚ラッシュ
食後は、スィナンさんの工房だ。
スィナンさんは出かけていたらしく、俺達が着くのとほぼ同じ時間に戻ってきた。
工房の前の道で、立ち話になる。
「お出かけでしたか……」
「いえいえ、おかえりなさい。
他国はどうでした?」
「それぞれに面白かったですよ。
地域によって、食い物とか、政治に対する考え方とか、みーんな違うんですねぇ。詳しくはまた話しますよ。
で、スィナンさんはどこへ?」
「学校です」
「子供たちに化学、教えてきてくれたんですね。
ありがとうございます」
ん?
なんか反応が想定と違うな。
「違いますよ。
私も子供に混じって、教わっているんですよ」
「えっ、なぜ……?」
「化学というものを、『始元の大魔導師』様の持ち込まれた本で学びだしたんですよ。
そうしたら、これがまあ、見事にほとんど解らない。
私に解らないのであれば、この世界で解るのはリゴスの魔法学院の誰かぐらいで、それも解る保証はないでしょう。
ともかく、数字の計算が解らないと、モルとかいうものも解らないし、自分の身近なところにある物質だけでは、総合的にこの世界を理解することにも繋がらない。
最初は、天然ではない合成のゴーチの樹液、つまり、『始元の大魔導師』様の世界の合成ゴムを作ろうと思っただけなのですけどね。
ところがなにを書いてあるのか、さっぱり理解できなくて……。
これでは話が始まらないので、子供たちに混じって勉強を始めました。
ようやく近頃、精製と洗浄、さらには周期表の意味が解り、この世界の秘密を覗けたような気がしています」
「すげぇなぁ」
思わず、感嘆の声が漏れたよ。
スィナンさんの「学ぶ姿勢に対して」と、「目的に向かう執念に対して」の両方にだ。
「じゃあ、俺達、これから旅に出ますけど、帰って来る頃には、タイヤとかもより頑丈なものになっているんですね」
「旅に出る話は聞きましたよ。
でも、お帰りまでの完成は約束できませんよ。
まだまだ学ぶことがあまりに多くて。
でも、なかなかに楽しいものですね、学校というものも」
「そうですね。
でも、私が一番覚えているのは、給食と部活ですけどねぇ……」
「給食ですか。
確かに、子供は一生忘れないでしょうね。
みんなで食事をしたなんて楽しい記憶は、ずっと残りますからねぇ」
こんな話をしていたら、なんか昔を思い出しちゃったよ。
「スィナン、それだけじゃないでしょう?」
ルーの一言。
ん? なんで?
どこの角度から、ツッコミ入れた?
「『始元の大魔導師』様、スィナンが子供に混じって勉強するのは素晴らしいことですが、いつものスィナンであれば『テキストの写しをよこせ』と言うでしょうね。
だって、基本的には出かけたくない人でしょう?
つまり、他の目的があるんですよ」
「はぁ」
間の抜けた返答をする俺。
で……。
「もしかして、ユーラ先生?」
だって、他にはないもんね。スィナンさんがロリコンだって話は聞かないし。
「違いますか?」
と、追い込みをかけるルー。
そそくさと俺たちに背を向けて、足早に工房に逃げ込むスィナンさん。
思わず、顔を見合わせるルーと俺。
なんなんだよ?
なにも、逃げなくったっていいじゃん。
半分閉じられた扉を見て、思わず口からこぼれたよ。
「ったく、どいつもこいつも……」
ま、俺も同類ではあるんだけど。
「ナルタキ殿、違いますよ」
ルーが耳元でささやく。
「なにが?」
「昨夜、ダーカスの娘達と話して知ったんですけど。
ダーカスは今、結婚ラッシュです」
「なんで?」
思わず聞いたら、ルー、なんで判らないのかって顔になった。
「当たり前じゃないですか。
結婚して家庭を持てるのは、喰えるようになったからですよ。
今までは、少なくとも30歳にならないと、喰えるまで稼げませんでした。
共働きでも、家庭を持つとなれば、35歳とかになりかねません。
それが今、20歳そこそこで奥さんを持てるくらい稼げるんです。
一気に結婚の制約がなくなりましたからね。もうこうなると、来年は赤ちゃんがたくさんですよ。ダーカス中、泣き声で賑やかになります。
しかも若いうちに結婚すると、2人目3人目が生まれますからね。さらに賑やかになるし、学校に通う子も大きく増えるでしょう。
『浮かれている』と言えばそうかも知れませんけど、1回目の収穫が終わって、ようやくそういう状態になれたってことです。
スィナンもそんな街の雰囲気に呑まれたのでしょう。
ユーラとなら、頭のいい人同士で良いことじゃないですか」
「……そか。これも必然ってことか」
「そうですよ」
考えてみれば、人も生き物だもんな。
条件が良ければ増えるわけだ。
工房の中まで追いかけて、スィナンさんをようやく掴まえる。
「合成ゴムとか、化学産業の発展は嬉しいですねぇ。
この世界がさらに豊かになります」
「ありがとうございます」
スィナンさん、目ぇ、逸らすなぁ。
「応援してますからね、2つの意味で」
「……2つ?」
めんどくせぇなぁっ、オイ。
聞き返さなくったって、判るだろう?
「ユーラ先生、帰れる故郷も身寄りもないんでしょうから、守ってあげてくださいね」
俺に代わって、ルーが言う。
ユーラ先生、元は解放奴隷だからね。今さら国に帰るつもりもないだろうし、先生という職を得て1人で生きていくつもりでいるだろう。
だから、ルーもこういう言い方になったんだ。
「いえ、でも、もう、いいんです」
「えっ、なにが?」
「『そういう話はやめてください』って言われました。
もうダメなんです。
『豊穣の現人の女神』の1人に声を掛けられただけで、もう満足です。
ただ、ユーラ先生、学ぶ気があるなら、学校に来てくれるのは構わないと……」
あちゃー、だめかぁ。
でも、ルーは腑に落ちない顔をしている。
「スィナン、一応確認なんですけど、それって、条件が付いていませんでしたか?」
「条件?」
「『そういう話はやめてください』の前に、『今』とか『ここで』とか……」
「『ここで』、とは言われましたよ」
……そういうことかよ。
この、元引きこもりの練銀術士がぁ! 俺以上のコミュ障じゃねーか。
てか、偏屈でとおっていたんだよな、この人。俺に協力してくれるときも、しぶしぶだったし。まったくもー。
「学校は子供たちもいるし、ユーラ先生にとっては大切な職場です。
だから、『そういう話は今は避けてください』ってことじゃないんですか?」
ルーが、そうダメ押しをする。
スィナンさんの顔、嬉しいのか悩んでるのか、目まぐるしく青くなったり赤くなったりした。
そして、なんとなく赤いままになって言う。
「……そうなのかもしれません。
そうだったら、すごくいいです」
「これから、俺達、王宮にも行く予定です。
ユーラ先生に、そっと確認をとってきてあげますよ。
スィナンさんが嫌いであれば、『学校に来てもいい』なんて言わないんじゃないかなって思います」
ま、乗りかかった船だからね。
この1年で、スィナンさんも変わった。
社交的にもなったし、結構自分から出歩いてくれるようにもなった。
元々の慧眼はそのままに、ダーカスの化学工業の元締めでもある。
幸せになって欲しいよ。
「『始元の大魔導師』様。
よろしく、よろしく、お願いいたします」
スィナンさん、いきなり俺の手を握った。
ぶんぶん。
握った手を振られる。
男に手を握られても俺、嬉しかねーよ。
「まぁ、期待しないで待っててくださいよ」
無理くり手を引き剥がしてから、俺、そう逃げた。
「分りました。
次は、合成ゴムの話ですが……」
……切り替え、早過ぎ。
安心したら、それでもう良いのかよ。
まぁ、テレ隠しだろうけど。
「化学産業は、生成する物質の元となる有機物が必要です。
『始元の大魔導師』様の世界であれば、原油と呼ばれるものがその材料になったようですが、この大陸にはありません。燃える水はないのです。
もしも、他の大陸に行き、油井を見つけられたら、是非、できる限りの量をお持ち帰りください。
それまで、植物由来の有機物で基礎実験をして、合成技術を固めておきます」
うん、お願いします。
そして……。
エモーリさんが俺と来てくれるなら、スィナンさんは本郷とダーカスをお願いします、だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます