第4話 恋と使命
「で、どうなったのですか」
そうハヤットさんに聞いてみる。
顔に笑いが浮いていまいそうになるのを必死に堪えて、だ。
「アイの家の中が、ところどころ焦げ、さらにネマラの死体が飛び散って……」
ああ、そう。
家の中のあちこちに、スプラッタ状態のネズミの死体が転がっているのを想像して、俺もげんなりした。それは災難だねぇ。ここまで聞くと、さすがにもう笑えない。
「しかも、相当の悪臭が……」
それはそうだろうな。
ああ、王宮とか俺の屋敷とか、高いところにあるからね。気が付かなかったけど、低いところの家は……。下水の臭いがきっと上ってくるんだ。
この世界、S字トラップ、絶対ないもんな。
ほら、洗面台とかの下に、排水管が上下に曲がりくねっている部分だ。あれがあるから、パイプに水が溜まって、臭いや虫なんかが下水から登って来るのが防がれているんだ。
ああ、そうなると、ネマラ除けは下水に金網を被せることぐらいしかない。
で、それ自体が吹き飛ばされちゃったら、このアイさんの部屋、ネズミならぬネマラ天国だ。
「アイは、これが私の、そしてギルドの失態になるからと、黙っていてくれました。
ただ、居場所がないと。
なので、いろいろな事情で、彼女を私の家に招待したのですが……」
「なにが問題になったんですか?」
口ごもるハヤットさんをそのままに、アイさんが話しだした。
「私、実は地区長が、その、好きになってしまっていて……。
なので、ここに来れて幸せで、帰りたくなくて……」
ああ、そう。
よ、よかったじゃないですかぁ。
「で、ずっと2人で閉じ籠もっていたのですか?」
と聞いたら、ハヤットさん、毛のない頭の天辺からさえ汗をかきだした。
「いえ、そんな……。
そんな不謹慎な。
いえ、これも言いにくいのですが、あの、下水の末路でネマラの死体があまりに流れ出していたので、それを集めて、タットリたちの堆肥置き場に運んで隠していました。冬なので、腐らなくてよかったですが、朝から晩まで下水でネマラ掃除をしていると、臭いが体についてしまって風呂にも行けず……。
昨日は王様達のお出迎えには行きましたが、それ以外は下水道でずっと掃除をしておりました。
アイと2人きりなのを良いことに、なんて考えておりません」
……俺、そんなこと聞いてないんだけれど。
自分以外の人の問題ってのは、よく見えるもんだねぇ。
なるほど、俺も、周りからこう見られているのかぁ。
ハヤットさんも、女性と付き合うことなんかなかったんだろうねぇ。このおどおど具合は、勉強になるよ。
そか、俺はこう見えているのか。
きっと、ダーカスの上層部がすっかりいなくなって、ハヤットさんは立場的にも開放された気分で、アイさんの接近を許しちゃったんだろうねぇ。
まぁ、「終わりよければ全てよし」って言うじゃん。
若いときからずっとストイックに依頼を受けて、ギルドの
偶然にも、アイさんの家の下水が火を噴いたってのは、豊穣の女神の思し召しだったのさ、きっと。
「ネマラの死体、もう片付け終わった?」
「まだまだありますね。地下なので荷車も使えず、カゴに入れて運ぶのがせいぜいなので……
あと4日は掛かるでしょう」
「そか……。
じゃあ、2人、高い額を言い値で払ってギルドで待機させているから、協力してもらってください。そうすれば、1日で終わるでしょう。
そのあとの他の雑用も5日もあれば終わるでしょうから、3人でパーティーを組んだ感じで全て片付けちゃってくださいね。
というのは、エモーリさんのとこで、臭いのしない、ネマラも上がってこない下水口を作ってもらうので、それを低いところの各家に取り付けてやる算段をお願いしたいからです」
「はい、分かりました。
その算段、させていただきます」
ハヤットさん、ものすごーく安心した顔になった。
そんなにアイさんとの話、ツッコまれたくないかね。
恥ずかしいのかねぇ。
って、恥ずかしいだろうさ。
昨夜、俺も風呂場ではひどい目にあったから、よく判るよ。
あとはなんやかんや話はあったけど、ほどよいところで切り上げて、俺とルーはエモーリさんのところに移動する。
ハヤットさんの赤く上気した顔、見るに耐えなかったからね、ふん。
アンタは、頬を赤らめるようなキャラじゃないんだよ。
ルーも、俺と同じ感想らしくって、複雑な顔している。
見えてきたエモーリさんの工房、30日前と何も変わらない。ま、この期間で変わっていたら怖いけど。
「ただいまー。
帰ってきましたよ」
「おかえりなさい」
なんかさ、エモーリさんの顔を見たら、いろいろと安心したよ。本当に帰ってきたって、実感が湧いたんだ。
ルーを除けば、1番一緒にいた時間が長い人だからね。
「聞きましたよ。
あちこちで、ご活躍だったらしいですね」
「いえいえ、そんな……」
「鏡磨きのパーラから聞きましたよ。
今朝早くに、王宮からトオーラの牙と爪が持ち込まれて、短剣仕立てとか徽章にしたいという依頼があったって。
で、そのトオーラを倒したのが、ヴューユとトプ、そして、あなた達だと」
「そう言われると恥ずかしいです。
で、エモーリさんも荷車の生産、お疲れさまです。
どの国も大喜びで受け取っていましたよ」
俺の返しに、エモーリさん、ちょっと難しい顔になった。
「『始元の大魔導師』様。
前々から小耳に挟んでいたのですが、きちんと確認させてください。
ダーカスを離れるおつもりとか?」
「ええ、そうしようかな、と」
「なんでまた……。
我々に至らないところがありましたか?」
「そ、そんなことはないですよっ。
ただ、この大陸とは別のところで、やはり魔素流に苦しめられている人達がいるはずなんです。その人達も助けてあげないと」
エモーリさん、腕組みをして、俺の顔を覗き込む。
「使命なのですね、『始元の大魔導師』様の?」
……考えたこと、なかったな。
使命、なんてさ。
「『始元の大魔導師』様。
1年の間に、随分と変わられましたな。
よく解りました。
お引き止めはしますまい」
……そか?
俺、そんなに変わったのかなぁ。
「2つだけ確認というか、お考えをお聞かせください」
「はい」
「『始元の大魔導師』様が去ったのち、ダーカスはどうなるのですか?」
「今リゴスにいる、もう1人の『始元の大魔導師』がこちらに来ますよ。
俺よりも、ずっと優秀な人なので、安心してくれていいです」
「『始元の大魔導師』様は、もう戻られないのですか?」
「とんでもない。
私の故郷はダーカスです。必ず戻ってきますよ」
エモーリさん、俺の返事を聞いて、なんか顔をくしゃくしゃにした。
「そうですか……。
安心して、腰が抜けそうです」
「やだなぁ、他の大陸をきちんとしておかないと、この先交易もできないじゃないですか。
夜逃げみたいに考えていたんですか?」
「いや、そんなことはないですけど……」
……なんで、そこで目を逸らすよぉ、エモーリさん。
「『始元の大魔導師』様。
我々は、まだまだです。
まだまだ、やらなければならないことも学ぶこともたくさんある。
前に一度、私にお聞きになられたことがありましたよね。
『本業のからくり人形作りができなくて、辛いとかはないですか?』と。
私は、『5年経ったら、今までとは別次元のものが作れるようになっているし、10年後には、歴史に残るからくり人形を作ってやりますよ』って答えました」
そんな会話、したなぁ。
まだケーブルシップも完成していない頃だった。
「『始元の大魔導師』様。
今は、違う答えを返しましょう。
たぶん、私はもう、からくり人形作りには戻れません。
学ぶものの多さ、実現しなければならないことの多さ、それに追い捲られて走るので精一杯です。そして、残念ながらこのコースは、私の一生では走りきれる距離ではないようだ。したがって、もう戻れない。
それでも、『始元の大魔導師』様。
私は辛くはないのです。むしろ、喜びに満ちている。
私も、使命感とやらを持てたのかも知れませんね」
そうか……。
エモーリさん、そう考えてくれているのか。
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