第8話 リゴスへの道 2


 右回りに、トプさん、ヴューユさん、ルー、そして俺。

 見張りの受け持ち角度は90度。

 暗い中、必死で目を凝らす。


 今夜は、スノートのみが地を照らしている状態だけど、おかげで闇夜にはならない。

 そして、そのスノートに向けて魔素流の細い糸が伸びている。あの状態ならば、地に魔素流が降ることはない。怖いのは、セフィロト大の月のみが天空にあるときだ。


 暗い中で目を凝らしても、月がなかったら無駄なあがきだっただろうな。

 それでも、うすらぼんやりとしか物の輪郭が見えない中、目を凝らし続ける。

 明かりの魔法は使えない。こちらはトオーラから見えるのに、こちらからはトオーラが見えなくなるからだ。

 遠くできらっと、なにかが光るのが見えた。

 もう一度。

 2つの輝き。

 「光った」

 そう呟く。

 「トオーラの眼でしょう。

 来ましたね。

 油断しませぬよう」

 トプさんが背中越しにささやき返す。

 ヴューユさんとルーは、詠唱中断状態で、魔法に影響するから基本的に喋らない。

 ただ、トプさんのささやきに頷いている。


 4人で、態勢を変えずに家の少ない方に移動する。

 相手が見えている場所で戦いたいのと、屋根の上とかからの予想外の位置からの攻撃を避けるためだ。


 ……今更だけど。

 怖い。

 正直に言えば、安全な家の中から出てきてしまったことを後悔している。

 俺、どうもこの世界に来てから、後先考えずに飛び出すようになった気がする。きっと、元いた世界でのように、誰かの背中に隠れるわけにいかないからだ。

 出てきてしまったものは仕方ない。

 無事に戻る。

 ここでトオーラに喰われて死んだら、後悔もできないからね。


 じりじりと時間が過ぎていく。

 闇が重い。

 リバータのときとは違う。

 あのときは、恐怖を感じる間もないってくらい、とても短かい時間のできごとだった。しかも、こんな言い方したら申し訳ないけど、リバータは所詮、魚。頭が良いわけない。

 でも、今向き合っているトオーラは、強い上に賢いだろう。

 こちらを騙してフェイントも掛けるだろうし、視界の外から奇襲してくることもあるだろう。



 トプさんが囁く。

 「この状態は不利です。

 書記官が来てしまえば、そちらを襲って、咥えて逃げられてしまう。

 そうなれば、我々が出てきた意味がなくなる。

 また、ただでさえ守るのは、攻めるのに比べて不利です。気が張り詰めたこの状態で、長くは耐えられない。注意力が落ちたらそこを狙われます。

 私がみなさんから離れ、誘いを掛けます。単独になったところを襲いに来るでしょうから、すかさず動きを止めてください。

 そこを仕留めます」


 ……それって、自分を餌にするってことだよね。

 ヴューユさんとルーは、魔法の詠唱の途中だから、長々と議論をできる状態じゃない。

 止めようと右を見たら、トプさん、もう5mくらいは歩き出しちまっている。

 武官さんってのは、行動に迷いがない。

 トオーラが、怖くないのかよ?


 仕方ない。

 ヴューユさんとルーとで3人で、120度ずつの見張りだ。ヴューユさんがトプさんを視界から外さないようにしているので、俺とルーがその背中を分担して守る形になる。

 俺も心配だけど、トプさんに視線が行きがちになるのを必死でこらえる。



 不意に、スノートの光が陰った。

 ん? 雲かな?

 と上を見げて。

 ……時が止まった。


 虎の敷物みたいな形の影が、ゆっくりゆっくりとこちらに向かって落ちてくる。前足の先には、暗い中でも見える、長く太く鋭い爪。

 ヴューユさんとルーに知らせなきゃと思うんだけど、ゆっくりと落ちて来る速度以上に俺の身体の動きが遅い。

 口も動かないし、手も動かない。

 1人でいるトプさんより、3人でいるこちらを襲うとは。

 完全にしてやられた。

 ……これは、殺られたな。


 次の瞬間、俺の身体、動き出した。

 「上っ!」

 叫ぶと同時に思い切り右手を振り上げ、LEDの懐中電灯のスイッチを入れる。

 工具箱の中に、乾電池で点くLED懐中電灯を入れてあったんだ。

 床下や天井裏に点検で入り込んだりすることもあるから、小型だけどむちゃくちゃ明るいのを選んである。それの光の口を絞って、ビームみたいにしておいたんだ。


 トオーラの目が光を反射して、ぎらっと光った。

 そのまま、俺たちに被さるように落ちてきたけど、真上でなく、ぎりぎりの手前だ。

 そのまま着地したところに、ヴューユさんの声が響く。

 トプさんが馳せ寄ってくる足音。

 金の棍棒のきらめきが一閃、俺の膝より低い位置から、視界を縦切る。

 下から跳ね上がった棍棒は、トオーラの顎を砕き、そのまま松葉のような軌道を描いて振り下ろされて、とどめに頭蓋を砕いた。


 ……金の棍棒で思い切りものを殴ったときって、あまり大きな音はしないんだね。初めて知ったよ。

 「ごん」っていうより、「ずん」っていう深く静かな重い音。

 俺の懐中電灯に照らされたトオーラの、それが最期だった。トオーラの頭、とてもじゃないけど、描写できないようなぺっちゃんこな状態だった。

 その身体は、まだぴくぴくと動いている。

 俺の身体も、かたかたと震えている。

 ルーの方からはかちかちという、歯が鳴る音が聞こえてくる。やはり震え上がっているのだろう。



 「やったぞぉ!!」

 トプさんが叫ぶ。

 村中の家の、窓と扉が開いて、一気に明るくなった。

 村の人達、ダーカスからの一行、みんな、叫んだり、手を振りながら駆け出してくる。


 最年少の魔術師さんが呪文を唱えて、周囲が一気に明るくなった。

 ……でっかいなぁ。

 ライオンと思えば間違いないだろうけど、とにもかくにも大きい。

 そして、犬歯ではない、単なる前歯ですら電工ナイフぐらいのサイズがある。犬歯はもう、脇差クラスだろうな。

 前足も後ろ足も太いし、それでいて異常なほどしなやかにも見える。


 これは、ヒトの上位の生き物だよ。

 ヒトは、この動物の餌にすぎない。

 これは敵わないわ。

 勝ったのは単なる奇跡だよ。


 「ルー、大丈夫か?」

 ようやくだけど、芸もなく、そう聞く。

 「ど……、どうやら、ちち、ちびっちゃわなくて済んだみたいです。

 し、『始元の大魔導師』様は?」

 歯の根もあってないな、ルー。

 忘れてたよ、こいつ、すげー怖がりだった。


 「俺も大丈夫。

 現実感なさすぎて、今になってすげー怖い。

 これから、ちびるかも」

 「それはやめてください!」

 「……はい」



 トプさんも息が荒い。

 いくら武官さんでも、今になって恐怖がこみ上げているんだろうね。


 それでも、早口になりながらも、説明してくれた。

 「トオーラが狙っていたのは、ルイーザでしょう。

 考えておくべきでした。

 肉は雄より雌の方が旨い」

 ……あ、ルーが崩れ落ちた。今さら、それ聞いて失神かよ。

 ルーが地に崩れ落ちる前に、なんとか支えるのが間に合った。


 「トオーラは、物陰から一気に跳躍して距離を詰め、ルイーザを咥えて一気に走るつもりだったのでしょう。

 そこを『始元の大魔導師』様が、明るい光で真正面から照らしたので、目が見えなくなったのでしょうね。着地してもルイーザを確認できず、動きに遅れが生じた。

 そこを筆頭魔術師殿の魔法で、動きが止められた。

 とはいえ、この巨体、動きを止めておける時間は短い。

 私が、トオーラに打撃を与えられたのは、筆頭魔術師殿がぎりぎりまで呪文の実行を抑えてくれたからです」

 もう、ため息しか出ねーよ。


 「いえ、これはルイーザの手柄ですね」

 と、これはヴューユさん。

 「ルイーザは、加速魔法を唱えていたんですよ。

 私と同じ、トオーラの動きを止める魔法を詠唱していたと思ったんですが、逆のことを考えていたとはね。

 たぶん、『始元の大魔導師』様の緊張を感じて、ルイーザは自分でトオーラの確認もしないまま、加速対象を『始元の大魔導師』様にして魔法を発現させたんです。

 そして、『始元の大魔導師』様の出した光があまりに強かったので、トオーラの動きが鈍くなった。おかげで、私はトプの来るぎりぎりのタイミングまで呪文の発現を遅らせられた」

 ……それで、俺の身体が動いたのか。


 うー、凄いなぁ。

 これは、4人の誰が欠けても実現しなかったな。

 連携の勝利だよ。

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