第2話 トーゴの鍾乳洞探検 2
風に周期がある。
そこから想像されるのは、なんらかの大型生物の呼吸だ。
全員が即座に臨戦態勢に入った。
まず、魔術師のセリンが、
その上で、コンデンサからの魔素の経路を再確認する。
ケナンが剣を抜く。洞窟内で、剣は必ずしも使い勝手の良い武器ではない。周囲の岩にでも当たれば、刃こぼれは免れない。それでもなお、ミスリルの刃はどのような生物に対しても有効だろう。
アヤタは肩から弓をおろし、矢をつがえる。やはり、洞窟内で使い勝手の良い武器ではない。また、洞窟内では射線の確保のために、前列に出なければならない。だが、アヤタには成算があった。
ジャンは、逆に後退し、短剣を抜いた。
前列で戦う直接の戦闘力としては、長剣を持つケナンに及ばないものの、投げることも含めた変幻さと機を見ることでは、パーティーの他を圧する。
ケナンが前進を指示し、アヤタが首を横に振った。
そして、その場で矢をつがえる。
光の届かない前方の闇に向けて、矢を放つ。
数瞬の間をおいて、鏃が岩に当たる音がした。
さらに、2本目の矢をつがえる。
洞窟の天井近くの壁に向けて、矢を放つ。
矢は鍾乳石に当たり、跳弾となって岩陰に飛び込んでいった。
なにがいるか判らないところへ人が直接覗き込まなくても、おびき出しはできるということを示したのだ。
空気に交じる生臭さが増した。
ケナンが前に出るのを、アヤタが再び止めた。
まだ矢で牽制できる距離と踏んだのだ。
いきなり岩陰から、もう1つの岩が現れたように見えた。
その岩には握りこぶしほどの大きさの深い穴があり、そこから生臭い呼気が吹き出してきた。
そして、その岩はさらに動き、人の頭ほどの黒い目が現れた。
アヤタが再び矢をつがえるのを、今度はケナンが止めた。
目であれば矢でも致命的なダメージを与えられるが、まずは偵察を優先させようとしたのだ。「姿が見えている敵は恐ろしくない」という認識がある。
そのケナンの意を受けて、ジャンが地すれすれを這うように走り、岩陰の手前で声を上げた。
「セリン、光を」
セリンが呪文を唱え、岩陰の向こう側に新たな光点を設ける。
ジャンは、鼻の穴と目のある岩のような巨大な頭に飛び乗り、その生き物の体の上を走った。
その姿が見えなくなったのは一瞬で、すぐに駆け戻ってくる。
戻りながら、ハンドサインで伏せろ、と指示を出す。
「大丈夫、襲ってきません」
「なぜ?」
ケナンが、パーティーのリーダーとして確認する。
「箱のような鎧を着た生き物です。
ここに入り込んでから、大きくなったのでしょうよ。
もう、その鎧が邪魔して、動くことは無理です。首がどれほど伸びるか判りませんが、それでもそこに見えている頭の位置が精一杯で、ここまでは届きません」
「そうか、嵌まり込んでしまったんだな」
アヤタが腕組みをして言う。
すでに弓は肩に掛けられ、戦闘態勢にはない。
「おそらくは、この地底の水の流れに乗って迷い込む魚を食べて、1000年を掛けてここまで大きくなったのでしょう。
行く道もなく、帰る道もなく。
可哀相なやつです。
わざわざ殺すまでもないし、ただ、このまま余命を過ごしてもらうしかない」
「憐れな……」
セリンも呟く。
「仕方ないな。
横を通り抜けることは可能か?
風が来る以上、この穴はどこかに抜けているはずだ。
できれば、そこから帰りたい」
ケナンが聞いた。
「下じゃないです。上に穴が抜けています。
さっき、アヤタが一本目の矢を放った先です。
戻りながら、そちらの穴を確認しました。
空気のにおいからして間違いないです」
「さすがだな、ジャン。
ただ、そうなると、空でも飛ばないとその穴には辿り着けないな。
その鎧を着た生き物のいるだだっ広い空間を超えて、天井近くに開いた穴に入るのは無理だ」
ケナンが結論を口にする。
「いや、行けますよ」
「どうやって!?」
セリンが聞く。
「アイツ、もう、首伸ばしたまま寝てますよ。
我々、伏せて動きを止めましたからね。あっという間に退屈したのでしょう。
襲われた経験もないでしょうから、警戒心も持たず。ま、寝るのは当然でしょうねぇ。
で、私ならばアイツが目を覚ます前に、その頭の上から横穴に飛びつけます。
ロープがありますから、そこからこことの間に張れれば、全員移動できるでしょう。ですが、戻るか進むかは、ケナンの判断に任せます」
「行く」
方針決定は素早く、その意思表示は短かった。
「我々への依頼は、『トーゴの鍾乳洞の探検』だ。
『謎の生き物の確認』であれば戻るが、な。
洞窟が抜けている可能性があるならば、それを突き止めねば依頼の完遂にはならない」
「ですねぇ」
アヤタの一言で、自動的に多数決も取られた形となる。
「では、セリンの点けてくれた、明かりの残っているうちに行きます」
ジャンはそう言うと、短剣を収め、ロープの端を掴んだ。
再び、地すれすれを這うように走り、岩から岩のような頭の上に、さらにそこからそのままスピードを落とさず、天井近くの横穴に飛び込んでいった。
さすがに、ジャンの踏み台にされて目が覚めたのだろうし、もしかしたら憤慨ぐらいはしたのかもしれない。「ぶしーっ」っと、生臭い息を盛大に吐いて、巨大な頭が沈んていく。
つられるようにずるずると落ちていくロープ尻を、アヤタが捕まえた。
ジャンの声がする。
「こちら、ロープを固定した。
そちら側の端を固定したら、渡って来てください」
その声を受けて、アヤタが握っているロープを手近な鍾乳石にくくりつける。
セリン、ケナン、アヤタの順番で、ロープを伝って移動をした。このくらいはミスリル
見下ろした先には、だらしなく首を伸ばしたまま眠りこける巨大な姿があった。見ようによっては、愛嬌さえ感じる姿ではある。
横穴に入ると、今まで空気に纏わりついていた生臭みが消えた。
空気の流れの上流側に移動できたのだ。
ジャンが、拾っておいた矢をアヤタに返す。
続く洞窟は、登りに転じていた。
そこから5000歩も歩かぬうちに、4人はネヒール川の岸の崖に開いた穴から地上に戻っていたが、日の位置はすでに夕刻を示していた。
− − − − − − −
もしかしたらだけど、この報告書の「鎧を着た生き物」って、亀かな?
亀は万年生きるってくらいだから、千年なら生きるかも。
で、餌が豊富だったら、うんと大きくなるかも。
それに、亀って爬虫類だよね。
きっと、脱皮するんじゃないかな。それで、脱皮した甲羅で、さらに自分の居場所を狭くしているんじゃないかな。
で、だけど、前々から感じていた疑問が明確になった気がした。
どう考えても、この世界に人間がいるっての、可怪しいんだよね。
どの生き物から進化してきたのかが、どうしても判らない。
いくら、地表がすべて焼き尽くされたにしても、ネズミのような「ネマラ」と羊のような「ヤヒウ」はいるんだよね。魚もいる。でも、猿はいないんだよ。
だからって、ルーは羊から進化した生き物であるって仮説は、あまりにも無理がある。
なんかのアニメで見たけども、頭に水牛みたいな角が生えていて、腰から翼が生えているような女性ならば、いっそ、そういうもんだと思える。
でも、ルーはあまりに人間すぎるんだよ。
もしかしたら……。
最初に俺の世界で、突然変異みたいに魔素を理解する人が生まれて、迫害されてこの世界に逃げてきた。この最初の1人目については、事故でたまたまワープしたでも、時空を超える怪しいオマジナイを唱えたでも、理由はなんでもいいんだ。
ともかく、その1人目がここに来たあとに、食べ物もなにもないってんじゃ生きられないから、魔素を集めちゃ、ちまちまと召喚を繰り返した。
だって、この世界、最初は魔素流はなかったんだもんね。
そうとでも考えないと、いる生物といない生物のいい加減な線引は納得できない。
羊とジャガイモといくらか野菜を召喚して持ち込んだ時に、ネズミも紛れ込んでしまった。そういう過去を想定する方が、辻褄が合うんだよ。
魚は判らないけど、それだって、海域を100メートル四方とかを召喚すれば、同じようなことにならないかな。
なんたって、家畜と違って、海の生き物は飼うってのが難しい。ならば、海域ごと召喚して、あとは野となれ山となれ、と。
あ、これ、海に使っちゃいけない表現なのかな?
ただ、海の生き物は、億の単位で卵を抱いているのもいるぐらい多産だったよね。大洗の水族館で見たマンボウとか。
なら、あっというまに海に生き物があふれるんじゃないかな。
で、淡水の生態系も同じようにして持ち込まれたとすると、カメの説明はつくよね。
ただ植物は、この世界で自生していたのも、かなり生き残っているかもしれない。植物は、俺の世界のものと割りと違うからね。
ゴーチの木とかだけど、ゴムの木って俺の世界では南の方の木だよね。
それと……。
召喚を経ると、ちょっとだけ生き物、変わるのかもしれない。
妙にでっかくなるとか、持っている特性が強い方に強化されるとか……。
あとは、競争相手がいないから、数も増えるし、進化や別の種になるのも加速されるとか。
人間も、気がついていないだけで、もしかしたら変わっていたりして……。
難しいことは、俺には判らない。
でも、まぁ、この先、トーゴの鍾乳洞を冷蔵倉庫として使うのは、問題ないってことは決定だ。今は、それで十分だよ。
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