第4話 ネヒールの大岩 1


 ルーと飲用水を用意して、石工さん達への差し入れの芋菓子も買って、炎天下、ネヒール川に沿って歩き出す。

 やっぱり、暑い。

 ルーのシルバーブロンドの前髪が、汗で額に張り付いている。

 強い日差しに、琥珀色の瞳の黄色味が薄まって見える。

 でも、歩く姿は体重を感じさせない。

 ホント、元気だなー。

 こういう生命力にあふれているときのルーは、美しいって言っていいんだろうなぁ。ネコ科の、ペット以上、猛獣未満のしなやかさって感じだよ。


 遠くから見ても、ネヒール川に聳える大岩が、その姿を変えつつあるのが分かった。

 まるで大岩に、クモの巣が張っているように見えているんだ。

 近寄るにつれ、それがリバータの短い骨を組み合わせた足場だっていうのが見えてきた。

 石と石を打ち合わせる、工事の音も聞こえてくる。

 それに混じって、きんきんって甲高い音も。


 思ったほど時間も掛からず、大岩にたどり着いた。

 前に円形施設キクラの候補地の確認に歩いたことがあったけど、その時に比べて、道が平らに整地されていて歩きやすかったからだ。

 車輪を持つ台車の往復ができるように、なんだろうな。



 流れを2つに割って聳える大岩は、見上げるほど大きく、霧のような水飛沫に包まれている。河岸段丘の崖も迫っているけれど、かといって、滝壺至近のような閉塞感はない。

 川の流れが曲がりくねっていないので、そのまま下流側に遠くを眺められるし、風も良く流れているんだ。

 本当に涼しくていいな、ここ。


 まさかこの川にいるはずはないけど、鮎がいたら梁をかけて商売できそうだ。

 川の流れでスイカを冷やして、炭火はなくてもせめて熾火で塩焼きを……。

 って、俺なんの事業計画を妄想してるんだろ。それも、自分が一番最初に喰うことを考えてじゃ、お話にならないぞ。


 しっかし、なんでこんなところに、こんな大岩が取り残されているんだろう?

 俺の世界だったら、間違いなく注連縄しめなわが回されて鳥居がおかれるレベルだ。

 俺の世界の自宅近くにゃ、河原の特大の大石が聖石ひじりいしだってんで、鳥居だけじゃ足らなくて、ご丁寧にもその隣の橋に、聖石橋ひじりいしばしなんて名を付けたくらいだからね。


 で、確かに、岩の質が硬そうだ。

 円形施設キクラを作る時の石材ブロックと、加工している時の音が明確に違う。いつもの、くぐもった「ごっ、ごっ」って音じゃない。「かん、かん」とか「きん、きん」言ってる。

 そして、川の流れの中に、ぱらぱらと石の破片が落ちている。ときどきは、どっぼーんって、大きめなのが。

 橋の橋脚として考えるのであれば、この大岩、強さは申し分ないだろうね。


 川の増水を見込んだ以上の高さに、岩に削り込みが入れられつつある。そこからアーチを組むんだろうな。

 川岸側も、河岸段丘の崖が、岩盤が出るまで削られている。


 そうか、足場にするリバータの短い骨の量が限られているから、同時に工事が進められないんだ。


 最初に、南側の河岸段丘の崖に足場を作って工事して撤去。

 2番目に、北側の河岸段丘の崖に足場を作って工事して撤去。

 今は3番目で、川の真ん中の岩に足場を作って工事していて、終わったら撤去。

 4番目は、ダーカス側である南側の河岸段丘の崖と、大岩の間にアーチの下台の仮橋を作って、石のアーチ橋が掛けられたら撤去。

 5番目が最後で、サフラがある北側の河岸段丘の崖と、大岩の間にアーチの下台の仮橋を作って、石のアーチ橋が掛けられたら撤去。

 で、全工程完成。


 もしかしたら、架ける橋の幅を下台の仮橋が満たせなかったら、ここでも上流側、下流側で下台の仮橋の二度手間になるのかも知れないね。


 一気に進められないという意味では、迂遠な大事業だけど、今までは部材がなくて、これさえもできなかったんだ。

 早く杉とかが成長して、木材を取れるくらいに大きくなってくれないかなぁ。そう思うよ。


 下流側に移動しながら眺めていたら、大岩の下流側に向かって階段が刻まれているのが見えた。

 下からも、階段を刻み上げられている。ものすごく急な階段だけど、岩の形がそんなの考慮していないんだから仕方ない。


 ああ、岩の下流側に桟橋を作って、ケーブルシップのプラットフォームを作るのか。

 完成後は、このてっぺんに避雷針アンテナも予定されている。

 うーん、この大岩、一体、一石何鳥なんだろ?

 しかも、ケーブルシップの動力の水車も、この岩に設置するんだよね、きっと。



 なんか、工事している人達の動きも飽きが来なくて、ぼーっと眺めていたら、大岩から張られたロープに掴まって、腰より高いくらいの水位の川を強引に渡って来るのは……、ああ、シュッテさんだ。


 「『始元の大魔導師』様、ようこそお出でいただきました」

 もしかして、それ言うためだけに、わざわざ急流を渡って来てくれたのかい!?

 「野次馬しに来てスミマセン。

 すごいですねぇ、石の工事って、頭で考えていたのと全然違います。

 私は普通の大きさの建物の建設現場しか知らないので、感動して見てました」

 さすがに、ビル工事なんて言っても解って貰えないだろうからね。

 でも、これ、そういう規模だよ。


 「いえ、そんな……。

 エモーリさんが、『始元の大魔導師』様の持ち帰られた本で見たって、鋼でタガネとハンマーを作ってくれましてね。工事のスピードと精度が桁違いに上がりました。これも『始元の大魔導師』様のお陰と聞いています」

 「いや、そんな前の話……。

 製鉄の太陽炉なんて、ハヤットさんに初めて会ったときだから、もうだいぶ前の話ですよー」

 「それが前の話でも、我々がタガネを手に入れたのは、この一週間前からですからね。

 これほど便利なものがあるのかと、感動しています」

 そっか、石が固いだけじゃない。金属工具の音も甲高かったんだ。


 ん?

 「石工の見習いさん達が、石のブロックを作ってましたけど、彼らはタガネとか使ってませんでしたよね?」

 「当たり前です。

 まずは、その身体でいろいろな石を叩き合わせ、その硬さ、割れる形、節理や目、こすり合わせた時の減り方など、学んでからでなければ。

 このタガネという道具は、あまりに凄すぎます。

 どんな石でもそれなりに削れてしまう。

 これは、石工から石の質を見極める能力ちからを奪いかねません」


 俺、感動して、思わずシュッテさんと握手しちゃったよ。

 ごつくで分厚くて、でっかい手と。


 んー、この世界に来る前に一緒に仕事していた、大工の頭領と同じこと言うねぇ。

 「まずは自分の手で木を削れるようになれ。それから電動工具は使え」ってのが若いもんへの口癖だった。

 木の質の見極め、木の質を活かした柱の組み方、道具の砥ぎ。

 これらができてから電動工具を使った方が、早く上手くなるって。

 電動工具を最初から覚えると、伸び悩むって。

 生き物由来の木材なのに、簡単に形が作れちゃうから無機物のブロックのように考えるようになっちゃうし、結果としてそのくるいも読めるようにならない、と。


 職人の仕事はどこの世界でも変わらないものらしいね。

 ある意味、とても安心したよ。

 自分の扱う素材を知らない職人が増えるのは、俺はあんまりいいことだとは思わない。

 もっとも、電動工具に比べたら、タガネだって相当に徒手技術なんだけど。


 俺、職人ってのは2通りいると思っている。

 大工の「棟梁」は、一軒の家のすべての責任を持つ。そして、大抵の場合、他の職人をも統べる「頭領」でもある。

 電気工事士は、左官や水道工事と同じで、その一軒の家を建てる一部分に関わらせてもらう。

 通しの仕事と、部分の仕事の違いだな。

 俺達のような部分の職人は、通しの職人の下に付かざるをえないことが多い。

 で、ものの解った頭領の下で働くのは、気持ちがいいもんなんだよ。仕事に迷いがないし、言うことも一貫している。できあがるものも、きちんと風雪雨に耐えるものだ。その家があってこそ、俺達の仕事も生きる。


 だからね、良い頭領は無条件で尊敬する。

 クソ頭領の下に付くくらいならば、収入が8掛けになっても良い頭領の下がいい。何度も計画変更とそれによるやり直しをしてたら、コストが倍になるなんてあっという間だからね。


 

 ルーが、シュッテさんに包みを差し出した。

 「これ、『始元の大魔導師』様からです。

 皆さんで召し上がってください」

 買ってきた芋菓子だ。

 「『始元の大魔導師』様、シュッテさんがびっくりしてますから、普通に話してください」

 そう言われて、俺、シュッテさんから一歩離れる。


 なんかまた、俺、変な人って言われるのを、ルーに尻拭いしてもらったのかねぇ。



 うー、なんか、俺、ちょっとはいいこと言わないと、この場を取り繕えないかも。

 で、蘇る小学校の時の記憶。

 「シュッテさん、素晴らしい技術に感動しました。

 これから、あの大岩に、水車も設置するんですよね?」

 「そうです。

 まだまだ工程としては橋のあとですから、先の話ですけどね。

 船を動かす動力としての水車と、ケーブルが岩に当たらないように滑車も固定しないといけませんから」


 「その水車、エモーリさんのところで作っているんでしょうけど、設置高さを変えることはできますか?」

 「どういうことでしょう?」

 「季節や、雨で川の水位って変わりますよね。

 水車は、それに対してどう対応するのですか?」

 「水位が変わると……。

 ああっ! 回らなくなりますね!?」

 「はい。

 それだけでなく、水車のどこに水が当たるかで、回る速さも変わりますよ

 さらに、ケーブルは水中で水に流れるようにしておかないと、川の曲がりでケーブルが水面から飛び出ちゃいますから、水位に対するケーブルと水車の高さは重要です」


 シュッテさんが、驚愕の眼差しで俺を見る。

 教育って重要だよね。

 俺がこれやったの、確か、小学校のときのなにかのワークショップだったぞ。「水を、水車の羽根のどこに当てたら一番良く回るでしょうか?」っていう実験したんだ。そのために、牛乳パックで、簡単な水車を作った覚えがある。

 この程度の知識も、あるとないじゃ違っちゃうのかなぁ。


 まぁ、「じゃ、どうするか」と言われても、それは分かんない。

 エモーリさんに丸投げ。

 俺に、水利が判るわけないじゃん。

 でも、彼ならきっと、なんとかしてくれるよ。


 水汲み水車ノーリアについても、「より上流に取水口を作り足しましょう。用水路にもなるし」って進言していたけど、もしかしたら、ただ単に乾いた時期に川の水位が下がって、水が汲めなくなる心配をしているだけと思われていたとしたら、それは違うぞ。

 水が汲めなくなってから、さらに水位が下がって水車が完全に流れから切り離される直前、水車の回転は水の流速と変わらない最高速度に達する。

 小学校の時の実験のとおりだったら、だ。

 水を汲むという負荷もないし、もしかしたら、空中分解するほどのスピードが出てしまうかも知れないんだ。


 これも、もう一度きちんとルーに説明して、みんなにも認識してもらわなきゃだなぁ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る