第2話 ヴァン・ショー


 「ルー、立てるか?

 立てないようならば、寝ていろよ。

 俺、食い物仕入れてくるから」

 そう声を掛ける。

 俺だって、「生命力を奪われたら何かを食えばいい」なんて、そんな短絡的なもんじゃないことはよく解っている。

 解っているけど、他に思いつけるものがない。あとはせいぜいドリンク剤だ。

 リポ○タンDでも、ユン○ルでも買うぞ。

 社会人やっていたんだから、いくらなんでも、そのくらい買う金はある。


 ルー、俺の声に反応して、弱々しく藻掻くけど……。

 だめだな、これは。

 本人が、本気で起き上がりたいのは判る。でも、今は、無理だ。

 ぽんぽんって背中を叩いて、横になれる準備をすることにした。さすがに床に寝かせておくのは可哀想だ。


 ベッドのシーツと枕カバーを引っ剥がして、洗濯機に放り込む。乾燥まで自動だ。男の一人暮らし、面倒くさくないようにはなっている。

 替わりの、洗濯してあるのでベッドメイキングして……。

 2週間分のホコリはあるけど、掃除機までは無理。倒れているルーの横で、がーがー五月蝿うるさい音を立てたくない。

 ルーをお姫様抱っこに抱き上げた。


 予想以上に軽い。

 いつもの元気のかたまりと存在感が、こんな軽くてちっぽけなものだったとは……。

 なんか、涙出てきた。

 ルーが、俺より小さい。それが辛い。

 ルーが、俺より若い。それが辛い。

 今の俺が、ルーを抱き上げられるほど回復していること。それが辛い。

 大きくて、年長で、体力がある俺が、ルーの命を使った。

 その理不尽さが許せない。


 コンデンサの魔素が尽きているのに、ためらいなく俺を治癒した。

 ルーは、いつだって俺を優先する。

 それが辛い。


 こうなって解ったけど、「俺の世界で」ですら、俺を身をもって守ろうとして、ルーは付いてきたんだ。

 この小さな身体で。

 それが辛い。


 『始元の大魔導師』にして、魔素の騎士ナイト・オブ・マジックエレメンツであり、侯爵様かもしれないけど、ここでは俺、単なるコミュ障の電気工事士でしかない。

 そんな俺をルーは、必死で守ろうとしている。

 それが辛く、嬉しくて……。あまりにもったいない。


 ルー、君が元気になってくれるならば、俺は何でもする。


 そっとルーをベッドに下ろし、掛け布団をかけてやってから、財布の中に紙幣が数枚あるのを確認して部屋を出た。

 2週間も放り出していたから心配だったけど、車のエンジンは問題なくかかってくれた。そして、2ヶ月ぶりでも、俺は運転を忘れていなかった。

 5分もかからずに、近所のスーパーに着く。


 ドリンク剤にプリン、アイスクリーム、チョコレート、フルーツなんかを買い漁って帰路につく。女子の好きなものって、俺にはそれくらいしか思いつかなかったんだ。

 こういう時に、良いものをぽんぽん思い付ける男がモテるんだろうねぇ。


 ルーを元気にしたいけど、方法が思いつかない。

 そもそも、「生命力」なんてゲージ、この世界にはない。

 医者に連れて行ってもいいけど、保険証もない怪しい外国人の怪しい症例だと、栄養剤でも打たれてそれで終わりになりそうな気もする。そもそも、異常が見つからないだろうから、どうしたって、そうならざるをえないよね。

 まぁ、まだ午後2時過ぎだ。近所の内科は、午後は3時からの開院だし、あと1時間ぐらいは様子を見てから医者に行っても、きっとなんとかなる。

 まずは、なにか食べ物が喉を通るか、やってみよう。

 それでだめならば、医者に行こう。


 なんだかさ、帰ってきて部屋の玄関を開けるのに、緊張したよ。

 スーパーからの戻り道があまりに日常のままだったので、本当に俺、別の世界に行ったのかな? って。

 部屋にルーがいなかったら、間違いなく明日から就職活動始めて、そのまま元の生活になんなく戻っちまいそうだ。


 で、当然そんなわけもなく、俺の部屋にはルーと金。

 ま、金の方は、ちろんって眺めて、ルーに近づく。

 寝ているルーの額に手を当てるけど、熱があるとかはない。むしろ、相当に低い気がする。

 息は浅く、苦しそうに見える。

 たぶん、苦しいと言うよりも、全身を襲う倦怠感に耐えられないんだと思う。

 ドリンク剤を飲んだからって、解決するようなもんでもないよな。


 ただ、今ので1つ思いついた。

 ひょっとして、冷めたものは温めればいいんじゃないかな?

 生命力が体温ってのは、食い物よりも安易な発想だけど、悲しいかな、これくらいしか縋り付けるアイデアがない。

 湯船に熱めの湯を張り、買ってきたフルーツを洗って、半割にして浮かべる。

 りんごにオレンジ、レモン。結構、量は多めに。イチゴは、熱で崩れると嫌なのでパス。パイナップルは悩んだんだけど、肌に当たると怪我しそうだからパス。

 入浴剤なんてうちにはないから、こんな感じでフルーツ・バスにしてみた。


 「ルー、起きろ」

 そう低く声を掛けて、肩を揺する。

 ルー、反応して目を開けるけど、琥珀色の瞳はどんよりと力ない。

 「ちょっと辛くても、身体を温めたほうがいいみたいだ。

 お湯を汲んであるから、入れよ」

 「はい」

 案外素直にうなずくので、また、お姫様抱っこで脱衣スペースまで運ぶ。


 「いつぞやみたいに、頭をどやかされたくないからね。悪いけど、ここから先はどうにもできないから、自力で頑張ってよ」

 そう言って、下ろす。

 「あとで正しい風呂の入り方は教えるけど、今は辛いだろうし、身体を温めるのが先だから、お湯に浸かっちゃって。

 念のために言うけど、寝落ちして溺れるなよ。

 着替えは用意するけど、俺のだからぶかぶかだけど、なんとか着てくれ。

 ここにあるタオルは好きに使って良いから」

 そういって、間仕切りのカーテンを閉める。


 ごそごそと風呂場に入る気配を確認してから、半割にした残りのフルーツでサングリアでも作ろうかと……。

 うーん、ルーってば、何歳と考えたらいいのかな?

 見た目での17歳?

 ちょっと悩んだけど、答えを出すのは後回し。

 年齢換算で未成年だとしても良いように、サングリアは中止して、フルーツ入りのヴァン・ショーホットワインにしよう。よくよくアルコールを飛ばして、蜂蜜入れて。そんなに良いワインじゃないけど、赤は数本、押し入れに寝かせてある。こんなんで、少しでも元気が出てくれればめっけもんだ。

 本当は初日から金の換金とか、いろいろ動ければと思っていたけどそんなの無理だった。

 まさか、焼け焦げた状態でこっちに放り出される、なんて思っていなかったからね。


 カラーボックスをひっくり返して、洗濯済みの作業服の上下を引っ張り出す。

 女性用の下着なんかあるわけないから、上はTシャツと、下は直にズボンで諦めてもらおう。

 これくらいしか、うちにはルーが着れるものがない。

 ま、作業服だから、本人は喜んで着るだろうけど。


 同級生のLINEで教師になったヤツを探して、「独習に適した参考書とかテキストを教えて」って、書き込む。10年以上ぶりだから、返事なんかもらえないかも知れないけど、まぁいいや。

 その後は、2週間ぶりにパソコンを立ち上げて、調べられることは調べだす。

 ああ、金って素材を買ってくれるところ、結構あるんだね。箔でもなんでもいいけど、不定形なものは分析、鑑定後だって言うから、やっぱり即日換金はできないみたいだ。

 一応、問合わせのメールをしておく。


 で、時計を見て、30分経っているので、ルーに声を掛ける。

 「服、置いてあるから、風呂から出たら体拭いて、着て」

 「はい……」

 返事の声が聞こえたので、安心してパソコンの前に戻る。

 大発見が1つ。

 ロバの牧場、うちの近くじゃん。そんなのあるの、全然知らなかった。

 つがいの仔を買いたいって、こっちもメールしておく。


 ごそごそと気配がして、だぼだぼの作業服のルーが現れた。

 血色が戻っている。

 表情はまだ死んでいるけど、どうやら温まったらしいし、自分で歩けるぐらいには回復したみたいだ。

 とりあえず、ルーをクッションの上に安置してから、俺はガスに火をつけて、ヴァン・ショーホットワインを作る。

 カレー用に、シナモンと蜂蜜、あったはずだ。


 鍋のワインから、青い炎が立ち上がる。

 十分にアルコールを燃やしきったところで、シナモンと蜂蜜、細かく切ったフルーツを放り込む。

 それを大きいデュラレックスのグラスに注いで、ルーに手渡す。

 「熱いから気をつけて、ゆっくり飲んで」

 そう声を掛けた。


 ふうふうしながら一口飲んだルーに聞かれた。

 「ナルタキ殿、ここは天上の国でしょうか?」

 なんのこっちゃ?

 ルーのお屋敷、もとい、俺の屋敷か。

 で、そっちの方が、俺にはよっぽど天国だけどね。


 俺の屋敷……。

 この6畳の寝室で噛みしめるには、すげー単語だ。

 で、侯爵だっけ、俺?

 ちょっと、呆然とするね。


 「いや、借りているアパートで、俺の家。

 狭くてびっくりしたよね?」

 「お湯に浸かるなんて贅沢、生まれて初めてです。

 しかも、このような甘くて香りの良いもの、これも生まれて初めての経験です」

 ああ、そういうことかぁ。


 ルーの世界は燃料が貴重すぎて、水か、ぬるいお湯での行水しかできないからね。

 浴槽を作れる素材がないってのもある。

 甘みも、フルーツもない。この「甘み」も、菓子を含むスイーツという意味ではない。甘みを感じさせる、そもそもの食材そのものがないのだ。

 甘い飲料は、あの王様プ△デターだって、経験がない贅沢だよね。

 

 「じゃ、これも食って」

 なんか、ルーの反応を実験しているみたいで、楽しくなってきた。

 スプーンを添えて、蓋をとったアイスクリームを手渡す。

 「つ、冷たいです!」

 「まあ、そういうお菓子だ」

 一口。

 ちょっと予想できていたけど、アイスクリーム以上にルーが凍っている。


 次の瞬間、ルーは俺の予想を超えた行動に出た。

 「……これ、残りは王に献上させていただきます!」

 そそくさとアイスクリームのカップに蓋をして、自分の革袋にしまい込む。

 リスか、それともハイジか、お前は?


 「また買ってやるから、食え。

 食わないとすぐに溶けて、食べられなくなっちゃうぞ。

 持ち帰るのは絶対に無理だから……」

 「溶けるっての、良く解りませんし……。

 でも、これだけのものを持ち帰れば、『始元の大魔導師』様のお立場も、より……」

 「馬鹿なこと言ってねーで、食べなよ。

 こんなもん、100個でも買ってやるけど、持ち帰りはできないんだよ」

 まったく、ルーは……。

 アイスクリームより、俺の立場かよ。

 行動は可笑しいけど、心情は泣ける。俺は、ルーに何してやれるんだろう……。


 あと、そか、ダーカスは冬でも水が凍らないんだな、なんて思う。


 至福の表情で、最後の一掬いのスプーンを舐めているルーは、もう、元気を取り戻したように見える。

 元の世界よりも時間はかかるけど、魔素も少しならば充填されるのかも知れない。

 ただ、魔法の使用は相当に注意が必要だということは、肝に銘じておかないとだ。

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