第32話 暴流来襲
いよいよ、始まる。
外から叫ばれる報告。報告と言うには、その声には恐怖が籠もり過ぎている気がした。
この建物の出入り口部分も文様の一部だから、開けっ放しにはできないのだけど、俺、一瞬だけ開けて外を眺める。
前回の夜に見た、月から淡い光が地に伸びているなんて、どこか幻想的な光景とは明らかに違う。
起きているのは破壊だ。
母なる地に宿る生命を根こそぎ奪う、根源の滅殺だ。
別の世界から来て、きちんと事態を理解できていないだろう俺でさえも、それは明確に解る。
もうたくさんだ。
俺は、さっさと出入り口を閉め、さっきいた位置に戻って胡座をかく。
台風が来て家に閉じこもったときのようなワクワク感は、微塵も生じない。
どう観察しても、自分の中に非日常のイベント感なんか生まれていない。
ただくり返し来て、ただ死を撒き散らす、憎むべき災厄。
あれを手懐けるのが『始元の大魔導師』の仕事だとしたら、俺に本当に務まるのだろうか?
俺は、自分の持っている技術に自信を持っている。だけど、その自信を持っている技術で制御できる範疇のものなのか、アレは?
もしも、その範疇を超えているものだとしたら、俺は無力だ。
自然に人は逆らえない。だから、そこに傷つきはしないけど、あれ程の期待をしてくれていた人達を裏切るのは辛い。
簡易な寝具に横たわった、ルーの親父さんもいる。
王に顛末を報告するための、見届け役もいる。
失敗する可能性も皆無ではないから、王様本人には遠慮してもらった。だって、人に魔素流が流れて、焼け焦げるところを見させるわけには行かないからね。それに、俺の補修が失敗していたら、
いくら少なくても、可能性は可能性だ。
しきたりに沿って、暖炉にはおそろしく貴重な薪が燃えている。
ルーの親父さんの弟子で最年長の魔術師が、『魔術師の服』を着て、
これは俺がお願いした。
これから魔素流反射の呪文詠唱が始まる。それに伴って、その両手からは、
だから、最も優秀な彼にお願いし、その手首からは、ゴム・コーティング済みの細い金の線が蓄波動機に伸びている。この線は魔素流の中を突っ切ることになるから、手首と蓄波動機線を繋ぐ間は絶縁しておかないとね。そんな大きな流れが漏電して入り込んだら、記録もヘッタクレもない。
残りの魔術師のうち2人は、流れる魔素を使って、焼け焦げる最年長の魔術師の治癒を行うためスタンバイしている。
ただ、もしかしたら、今回は俺の提案に沿って『魔術師の服』の着方を変えているから、全く無事かも知れない。その場合は、ルーも加わって、ルーの親父さんに「ヘイレン」の上位魔法「ヘイゲン」を際限なく唱える。だから、この2人のうちの片方の人の手首からも、細い金の線が蓄波動機に伸びている。
果たして、治癒魔法の飽和施法が、生命力に変換されるかの重要な試験なんだ。
そして、最後の一人。
最年少の魔術師は、『石綿の服』の上に『魔術師の服』を着て、待機が仕事。
俺の考えが全て誤りであった場合、また、修理したはずの
願わくば出番があって欲しくはないけど、俺がやったことが誤りだった場合、この国全体が危険になるからね。さすがに脳天気じゃいられなかったから、保険を掛けた。
そして、一人きりでも、魔素流を反射させ、死なないでいてくれそうなのは、最年長の魔術師か、最年少の彼しかいなかった。
外の見張り要員から、状況が刻々と伝えられる。
こんな殺人的なことなのに、毎回のことなんだろうね。なんだかんだいって、魔術師達はみんな手慣れている。
魔素流がさらに近づいてきた。
空気がぴりぴりと帯電しだした。髪質が軽い者はその頭髪が逆立ちつつある。もっとも、これは帯電じゃなくて魔素の働きかも知れないけど、見た目だけでは判らない。魔素のふるまいは電子のそれに似ている、それが判るだけだ。
ただ、一つ解るのは、儀式の時に薪を暖炉で燃やすのは、もしかしたら除湿のためだということ。湿度が高かったら、あちこちスパークが始まっているかも。こんなにも濃密に、静電気を全身で感じたのは初めてだ。
全身の産毛がちりちりするんだよ。
「来ますっ!」
悲鳴に近い叫び声。
エモーリさんがクリスタルの針を記録筒に落とし、分銅を手放す。
そのタイミングを測ったように、呪文の詠唱が始まった。
俺も、「神様、仏様」って祈りかけて、「この世界からでも祈りが通じるのかな」って、こんな時なのに一瞬悩む。
ルーが「ヘイレン」を、他の魔術師が「ヘイゲン」を唱えだした。目的語を後回しにして詠唱を始め、施法までの時間を短縮するのだろう。
前回俺が経験した、2回目のスパークとは桁違いの太さの白い光が来た。
これが本流なのかよ!
文字通りの、ぐわっという落雷の衝撃。
衝撃で飛ばされて、そのまま腰を抜かして座り込む俺。
冗談じゃねぇ!
洒落にならないのもほどがある。
例えば、目の前3メートルで立て続けの落雷を感じるのは、自然の猛威を感じるには十分過ぎるよね。で、この魔素流ってのは、たぶん、それに勝る。
俺、どれほどの装備を固めたって、この
これで規模が小さいって言うのかよ……。
目の前で落雷が5連発で起きたら、その時間ってきっと永遠に感じるよね。
実際は、エモーリさんの蓄波動機の作動時間内だったから、大した長さじゃない。
でも、もう、こんなの経験するのは嫌だ。
俺、ちびらなかったのが奇跡だよ。
いきなり静かになったのに、耳鳴りがして状況がつかめない。
ゆっくりと周囲を見る。
エモーリさんと、スィナンさんが抱き合っている。よほど怖かったんだろう。この2人は魔術師じゃないから、俺と同じで初めての経験だったはずだ。
とりあえず、目視できる範囲で、
床下の出入り口まで匍匐前進で行って、床下を覗き込む。
すべて無事。
でも、安全装置は働いたらしい。配線を一か所細くしておいたところで溶断している。凝ったブレーカー回路なんて作れないから、ただ単に加熱が5秒くらい続いたら切れるようにしたっていう、極めて単純なものだ。まんま、ヒューズだよ。
魔術師の両手の電位と、コンデンサの容量とか、いろいろ「えいや」って仮定の計算をした。ケーブルの太さと、流せる電流の量の表は工具箱に貼ってあるから、当たらずとも遠からずって感じで仕掛けられたかな、と。
で、この配線が切れたら、流入側が自重でアースされるよう、分銅をくくり付けておいた。成り行きに任せて、コンデンサ側がアースされちゃったら、苦労が水の泡すぎるからだ。
まあ、まだテスターは当ててないけど、溶断したってことはコンデンサに魔素が貯まっているのは間違いない。
頭を床下から出し、床の一番低いところにいる最年長の魔術師に這い寄る。俺、下半身の感覚、まだ戻ってきていない。これが腰が抜けるって現象なのかねぇ。
俺、『魔術師の服』のフードの下から覗く眼を覗き上げる。
視線が合ったということは……。
「無事、切り抜けましたぞ……」
むしろ沈んだ声。
そこに、最年長の魔術師の、底しれぬ安堵と喜びが秘められていることに、俺はすぐに気がついた。
お互い、震える手を伸ばし合い、握り合う。
一度は「嫌な言い方をするヤツだ」なんて思った、この人に掛かっていたプレッシャーを俺は初めて理解した。
儀礼としての握手なんてもんじゃない。お互いに生き延びた生命と運命を、ただひたすらに喜ぶために手を握り合っている。
俺、この人を殺さずに済んだんだ。『魔術師の服』の着方、間違ってなかったよ。
「ヴューユ、我が名はヴューユと申します。ナルタキ殿。
以後、懇意にしていただきたい」
名乗ってくれたんだね。最年長の魔術師さん。仲間になったんだね、今。
魔術師同士だからこそ名乗り合わないという、ルールを超えたんだね。
気がついたら、俺の首っ玉にルーがしがみついて泣いていた。
ルーの親父さんも、寝具から上半身を起こしている。さっきまでは起き上がれなかったのに。
完治は無理でも、少しは生命力を取り戻せたのかも知れない。
「失礼」って声がして、見届け役が王宮に向けて走り去っていく。
ようやく、成功の実感と下半身の感覚が戻ってきた。
パンツが濡れてなくてよかったよー。
視界の隅で、エモーリさんとスィナンさんが、きまり悪そうな顔をして離れるのが見えた。
きっと、おじさん同士で抱き合うのも初体験だったんじゃないかな。
ともかくさ、これでようやく、ようやく、世界を救える目処が立ったよ。
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