第105話 福音は空より来たりて
順当に授業が終了し、下校した俺は自室でスマホを覗いていた。観覧しているのは勿論ゲリラクエストのスレだ。現在も王都は星の侵入を拒み、星たちは戸惑いながらジェスチャーで捜索が終わったらすぐ帰るから、といった旨を伝えている。
だがやはり、何万人もの人間が住まう国に得体の知れない空からの訪問者を入れることは許容しづらいのだろう。
さらにそれが強大な力を持った集団で、尚且つ町中を練り歩くとなると……実質擬似的な侵略だと捉えてもおかしくはないだろう。始まりの町はどうせ抵抗しても無駄だということを早々に悟ったらしく、最早両手を上げて星たちの往来を黙認している。エルフの里は星たちに一切の悪意が無いのを確認すると、快く受け入れたようだ。
種族や土地によって対応が異なるというのは面白い。行商人によると、南にある神聖国家とやらは王都と同じく星の侵入を断固拒否しているらしい。あちらは魔法の研究が盛んなようなので、こちらより激しい抵抗が行われているとのことだ。
国としての柄と言うべきものが、『魔物は絶対に滅ぼすべき』と定められているので魔物プレイヤーからすれば地獄も等しい国だろうな。
何しろNPCが積極的かつ定期的に魔物を討伐している上、魔物を討伐する為だけの『聖騎士団』があるらしい。ぶっちゃけ王都の騎士団と何が違うかさっぱりわからないが、何やらこっちは魔法騎士路線らしいな。俺と殆ど同じスタンス……なんて言ったら確実に顔を真っ赤にしながら追いかけてくるだろうな。リスポーンが墓地で本当に良かった。
改めて地形を確認すると……
北が墓地と砂漠。
南が神聖国家と海。
東が王都と荒れ地。
西がエルフの里と樹海。
北にはレグル、西にはテラロッサ……後のワールドボスである『堕落』と、ダンジョン防衛戦のログにちょっぴり出ていた『厭世』の場所は分からない。たぶんどちらも第三フィールドである海や荒れ地に居るのだろう。
まあ当分は関係のない話だ。手に入れた情報を整理しながらベッドに寝転がり、ヘッドギアを装着する。その動きが段々洗練され、無駄の無いものと化していることに少しだけ危機感を覚えつつ、ゲームにログインした。
【Variant rhetoricにログインします】
【ようこそ】
「ん?」
ログインの際に少しの違和感を覚えつつ、俺の意識は仮想世界に入り込んだ。
閉じた瞼の上から明るい光を感じる。鎧の中を青い風が通り過ぎ、灰色の本体を微かに撫でた。背中側にはいつもの柔らかい草花の感触があるが、後頭部には何やら馴染みのある柔らかな物がある。
……もしや、と思って瞳を開けるとやはり俺の視界には俺の顔を覗き混むロードの姿が。やはりまた膝枕を……と思っていたが、今回は少しだけ普通と異なっていた。
一つは、ロードの両腕が控えめに俺の兜に回されている、ということ。これだけを見れば、最早理性と理解の限界を打ち砕く行為に他ならないが、それを打ち消す物があった。
それはロードの表情であった。両腕が頭に回されていることで、いつもより近いロードの表情は警戒と焦燥、そして若干の怒りが籠っていた。
シチュエーションだけ切り抜いてみれば、甘く尊い状況なのだが、俺を囲む状況はかなり緊迫しているようだ。取り敢えず視線だけを動かして周りの様子を見てみると、膝枕をするロードの左側に厳しい表情のメルトリアスが居た。
右側にはかつてないほど警戒心を剥き出しにした様子のオルゲスと金の槍を握りしめたレオニダスの姿が。そして恐らくロードをの左後ろにはメラルテンバルが構えている。視界の隅っこに白い翼が見えるのだ。
更にオルゲスやメラルテンバルに続くように、墓地の霊達が武器を構えて横に並んでいる。
な、何が起きてるんだ?なんで全員敵意剥き出しで戦闘態勢を……困惑しながら全員の視線の先を見て――硬直した。
……え?いや……は?待て待て、何が起きてるんだ?なんか数が多くない?
俺たちの視線の先に居たのは青くて黒くて……長いから略すが、大体三メートル位の巨大な黒いヒトデのような者達が直立していた。彼らの黒い体表にはプラズマを連想させる青白いラインのような物があり、そこを何か光るものが血流のように通っていた。一言で表すとサイバーヒトデだ。
彼らの体は黒いスポンジのようで、言うなれば木の枝を編み込んだようになっていた。最初期のシャドウスピリットの体を大きくして、星形に纏めた後にライティングすればあんな感じになりそうだ。
巨大なサイバーヒトデ達は二本の足で仁王立ちをしており、その数は確実に五十体を越えている。一匹、一際体の大きな個体が他を統率するように一歩前に出ている。
「……え?」
本当なら死んだふりでもしてた方が良いのだろうが、あまりの状況に思わず声が出てしまった。だがそれも仕方がないことだと理解してほしい。普通ログインした直後に噂の星たちに纏めてエンカンウントするとは思うまい。勿論エンカウント自体はすると確信していたが、流石にこの状況はイレギュラーというか予想の範囲外だ。
俺が目を覚ましたことはロードにいち早く伝わり、ハッとした顔で彼女は俺を見つめた。波が伝わるようにオルゲス、メラルテンバルらも俺の目覚めを感知したようだ。
「ら、ライチさん……」
「おお、ライチ。目覚めを悪くしてしまってすまないな」
『昨日の夜、いきなり空から彼らが降ってきてね……』
「言葉は通じぬし、何よりライチ。お前を狙っている」
「え!?俺!?」
「ああ、ライチ。君だ」
メルトリアスが深々と頷いた。駄目だ、頭が追い付かない。星たちは空から降ってきて、墓地を探し回るでもなく俺を狙ってるのか?俺を?
言葉が通じないのだから、ロード達からすれば何かを呟きながら空っぽの俺の体を連れていこうとしたように見えたのだろう。それでこの陣形か。カルナ達について聞いてみると、どうやらまだログインしていないようだが、彼らは俺だけを狙っているらしい。
ますます訳が分からない。俺が目覚めたことを察したのか、星達が何やらどよめいている。ざわざわと揺れる黒いサイバーヒトデ達は、正直言ってかなり不気味だ。取り敢えず上体を起こしてヒトデ達を鑑定しようと思った矢先、一歩前に出ていたリーダーらしきヒトデが俺に声を掛けてきた。
『おお、お目覚めになられましたか』
「……は?あ、ごめんなさい。会話が出来るとは思わなくて」
『いえいえ、今はお目覚めになられた直後でございます。一報もなく押し掛けたのは我々の方でありますから、貴方様に非はありませぬ』
「は、はぁ……」
「ライチさん……もしかしてあの人たちと会話が出来るんですか?」
え?ああ、そうか。ロードを含めた全員……果てはプレイヤーは彼らの言葉が聞き取れないのか。……ならなんで俺は聞き取れるんだ?種族的なあれか?精神体系譜だと彼らの言葉が理解できるのかもしれない。普段話している精霊語というやつより伝わりづらい言語だが、何故か俺には鮮明に聞き取れる。
一際大きい……名前が長いからボスヒトデと呼ぶが、彼の声は
俺が普通に会話が出来るということで、メラルテンバルを含めたこちら陣営もあちらと同様にどよめいている。いや、俺もどよめきたいよ。知らないもん、アイツら。親戚に居るわけでもないし、見たことも話したこともないわ。
そんな俺の心の叫びを無視するように、ボスヒトデは低く枯れた声で俺に語り掛けてきた。
『ああ、【王位】を継承する資格を持つお方……誠に勝手ながら、お名前をお聞かせ願えますでしょうか?』
「おうっ……!?」
「どうかしましたか?何か酷いことを言われたんですか?」
『駄目だね、僕じゃさっぱりだ。一応言語学にはメルトリアスと同じく自信があったんだけど』
「俺も何を言っているのか全くわからないぞ。それ以前にあれが言葉だということが信じられない。呼吸音か威嚇音だと思っていたからな」
王位!?なんじゃそりゃ!もっと訳がわからなくなったぞ!?駄目だ、わからないことが多すぎる。こいつらの正体、目的は勿論、俺を狙う理由、王位とやら、なぜ俺にだけ言葉が通じるのか、さっぱりだ。
今まで特にフラグを踏むようなことをした記憶はない。ということは、純粋にリアルラックでこいつらとのイベントを引き当てたのか……?はぁ?
困惑する俺を置いて、ヒトデ達は謎に盛り上っている。と、取り敢えず質問には答えておくか。
「えーと……俺の名前はライチって言うんだが……」
『おぉ……ライチ様。皆の者、聞いたか!このお方の名前はライチ様である!』
『おぉ!』
『なんと高貴なお名前……』
『ライチ様』
ヤバい。絶対にヤバい。出来ればメラルテンバルに乗って何処かに飛び去りたい気分だ。飛ぶならテラロッサの方に飛びたい。レグルの方面も安全だろうが、多分二度と帰ってこれない。
テラロッサなら宴狂いどもが時間を稼いでくれるだろうし、何より彼女ならなんとか匿ってくれそうだ。
……しかし、彼らが居るのはこの墓地だ。逃げるにも霊やロードの土地を放置する訳にも行かない。かといって俺一人で逃げてもAGIが1しかない。
はい、詰んでる。
ひきつった笑顔を浮かべる俺に、ヒトデ達は何を勘違いしたのか歓声を上げ、ロード達は心配そうな顔を見せる。と、取り敢えずいくつか質問しよう。何やら俺は『高貴なお方』らしいので、答えてくれるはずだ。
「えーっと……どうして俺を連れていこうとするんだ?というか何処に連れてくんだ?」
『それは勿論、我らを導く星となって貰うためでございます。……ライチ様を連れていく場所は、本来なら我らが住み処である夜空なのでありますが……』
ボスヒトデは一旦そこで言葉を切った。周りのヒトデ達が暗い雰囲気を漂わせ始めた。肩と視線を落としながら、ボスヒトデは言葉を再開した。
『その前に、真の王子となるための試練がございます』
「し、試練……?」
『はい。我々がこうして地上を捜索しているのも、ライチ様のような【王位】の継承権を持つ者を集め、試練を突破していただくためなのです』
正直王子になりたい願望など欠片ほども無いし、それどころかここ最近はゆったり過ごしたいと思っていたのだが……。さらに言えば試練とやらに嫌な予感しかしない。彼らが地上を探す理由はなんとなく分かったが、俺は彼らの星になどなりたくは無いぞ?
「……ちなみに、その試練ってやつはどんなのだ?」
『おぉ……!引き受けて下さるのですか!』
「いや、そうと決まった訳じゃないけど――」
『試練の内容は――我らが姫、【スピカ・レトリック】様の救出でございます』
「『レトリック』……」
レトリックの名前を背負うもの……つまるところ世界に深く関係があるか――ワールドボスの一人なのだろう。それの救出か……確実にこの世界の真実――variant rhetoricに近づけるに違いない。最初こそ驚いたものの、蓋を開けてみれば種族固有らしきクエストだ。もしかしたら違うのかもしれないが、そう考えておいた方が気が楽だ。
落ち着け、落ち着け……一旦王位だの何だのは忘れて、純粋にクエストとして捉えろ。情報の渦に飲まれるな。大丈夫、冷静に分析するのは得意なんだ。
推奨レベルや報酬は空欄で、目的は『スピカ・レトリック』の救出……ってことは拐った奴が居て、閉じ込められてる場所があるわけだ。
場所と犯人を特定して、それに応じた作戦を立てる……よしよし、冷静さが戻ってきたぞ。よく考えれば、これは大きなチャンスだ。ワールドボスに大きな恩を売れる。だが、ワールドボスを監禁するような存在が全く想像出来ない。
そこら辺は追々ヒトデ達に聞くとして、取り敢えず依頼だけ承っておこう。
「取り敢えず、やってみるだけやってみるよ」
『おぉ……ありがとうございます。ありがとうございます……』
ヒトデ達がゆっくりと頭を下げた。五十体近い巨大ヒトデが一斉に頭を下げると壮観だ。それが逆に俺の中での不安感を煽る。俺と同じく不安を滲ませた視線を送ってくるロード達に苦笑いして、ヒトデ達に向き直った。
……生身で星空に連れて行かれたりしないと良いな。
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