第96話 やるじゃない

 現実世界で目を覚ませば窓から柔らかな日の出の朝光がカーテンを透けており、小鳥が五月蝿く囀ずっていた。


「うおぁ……あー、無理」


 初めての徹夜の感想は絶望的な疲労感という回答だった。頭痛に始まり倦怠感、目の渇き、手足の痺れ……デバフもりもりである。それとは関係なく寝汗が酷かった。頭が疲れるとやっぱり体も疲れるのだな。心身相関というやつか。

 目が覚めたら朝という、至って普通のことに絶望を感じる珍しいシチュエーションだ。せめてもう少し暗かったら……と思わざるを得ない。


 普段なら微睡みの中で聞き逃す環境音である囀ずりが、今は最高にムカつく。なんだか煽られている気分になるのだ。


『へへ、朝だぜ』


『ほらほらー、いい朝だろう?』


『起きろ起きろ~』


 本格的に頭が参っている事を自覚しつつ、ヘッドギアを箱に仕舞って目を閉じた。強大な睡魔に飲み込まれ、冗談ではなく五秒程度で眠ってしまった。……直後にアラームが鳴り響く。


「んぐ……嘘だろ……勘弁してくれ」


 時間を見ればきっちりと一時間程度寝ている。体感では十秒位しか寝てないんだが……マジかよ。悪態をつく気分にもなれず、頭に響く目覚ましを止めた。


「……夜更かしは出来る限りしないようにしよう」


 全身にのし掛かる疲労感と、これから朝だという絶望感に挟まれて、俺はリビングへの階段を降りた。



 ――――――



「いや、普通にバレて怒られたな……」


 リビングに降りた俺の顔を見るなり、母さんはすべてを察したらしくため息を吐いて叱責を始めた。父さんはただ疲れた顔で「寝れるときに寝なさい」と言っていたが……大丈夫だよな?いつも通り過ぎて違和感を感じなかったが、思い返せばかなりヤバいような気が……。とはいえ俺に出来ることはあまりないだろう。


 母さんは俺が約束を破るときはそれ相応の理由があると理解してくれているらしく、それほどきつく叱られなかったが、体調や成績に気を付けるようにと再三注意をもらった。

 朝食を摂った俺は、ゆっくりとベッドの上に寝そべってアラームに手を伸ばし、十二時にセットした。


 すまない、流石に休ませてくれ……。粘液性の高い睡魔に体を飲み込まれ、俺は夢の世界へと旅立った。



 ―――――――



 ピピピ!

 ピピピ!

 ピピ……。


「……まだ若干寝足りないけど、大丈夫だ」


 アラームを止めて時間を見ると、十二時ぴったりだ。デジタルな緑の数字が暗く光りながら時間を教えてくれている。うーん、と固まった体を伸ばした。関節が鳴る音が体のあちこちから聞こえる。なんか年寄りみたいだな、と自分でも悲しくなる感想が出てきた。


 体の様子はそこそこだが、やはり脳みそはもう少し休ませろと唸っている。残念だがブレイクタイムはここまでだ。今晩はよく寝かせてやるから安心しててくれ。

 大きな欠伸を一つしながら、昼飯を作るためにキッチンへと向かった。


「……久々に夢を見たなぁ」


 階段を下りながら小さく呟く。先程まで泥のように眠っていたが、その最中に夢を見た。俺はあまり夢を見ないタイプだが、どうしてか久しぶりに夢を見たのだ。しかし、その内容が中々なもので……ゲームの夢だったのだ。そこまではまだいい。人によって自分がプレイしていたゲームの夢を見ることはよくある。だが、今回見てしまったゲームの夢は、どうしてお前なんだというゲームだったのだ。


「『Since From S.E.N.S.』……思い出したくもないぜ」


 晴人に勧められて買った……クソゲーだ。その内容を思い出すだけで、冷蔵庫の中を探る俺の手が固まる。ブレイジングキッチンは評価的には中々の良ゲーだった。難易度が高く敷居も高いが、ゲーム性自体は面白く尚且つリアルで料理上手になれる。ステージ性で毎回凝ったものが多いので飽きないし、何よりそれぞれに独自の攻略があって自由度も高い。


 変な信者と価値観を量産する以外はそこそこなゲームなのだ。だが、『Since From S.E.N.S.』ことSFSセフスは間違いなくクソだ。壊れたバランス、イカれたゲームシステム、悪意に満ちたステージ……。


 このゲームのステージは6つで一つの章となっており、全てをクリアすると次の章に進め、好きなステージから攻略が出来る。


 それぞれのステージに割り振られた名前は――


『視覚』

『味覚』

『嗅覚』

『触覚』

『聴覚』

 ……そして『第六感』だ。


 勘が良い人間なら、この時点で「まさか……」となるだろう。ああ、そのまさかだ。全てのステージにはシチュエーションがあり、工事現場、敵の基地、戦場、台所、森等様々だ。その中を、ステージに割り振られた感覚『だけ』でクリアするのだ。


 視覚だけを使って工事現場を渡り歩き、聴覚だけを使って戦場を駆け巡る。果てには味覚だけを使って指定された料理を作り、嗅覚で森の中から都会へ帰る。こんな感じのステージがたくさん用意されているが……。


「無理、クリアできる気がしねえ……」


 何だよ、味覚だけでケーキ作るって。冷蔵庫の場所がまずわからんわ。真っ暗な世界でいきなり銃声が飛び交う戦場とか生き残れる気がしない。何より頭が狂っているのは『第六感』ステージだ。第一章の第六感は『侍相手に居合い切りで勝つ』がお題だが、五感全部無いのにどうやって構えるんだ。いつの間にか死んでるぞこっちは。更に言えば死んでることにも気づけないんだぞ。


 それだけを並べれば、SFSはただのゲキムズゲーだったのだが……制作会社は何をとち狂ったのだろうか――このゲームに『オンライン対戦』を追加したのだ。


 想像してほしい。十二人のプレイヤーが集められ、五感全てを失った状態で居合い切りをしようとする様を。あるものは地面を尺取り虫のように移動し、あるものは虚空に刀を振り下ろし続けている。更にあるものは自分が死んでいることにも気が付いていない。視覚も聴覚も無いので、勿論意思疏通は不可能だ。


 触覚だけのハードル走、聴覚だけのババ抜き、視覚だけの爆弾解除……地獄だ。案の定オンラインでは晴人が無双するものかと思っていたが、意外にもそうはならなかった。とはいえ、他とは抜きん出て動けているだろうが、俺にはそれを感じることは出来ない。何しろ見えもしなければ聞こえもしないからな。


 あまりにシュール過ぎる戦いは玄人達にはウケ、素人たちに白い目を向けられていた。俺が夢で見たのは『第六感西部劇』だ。勿論、リボルバーに弾を込めるシーンからスタートだ。出来るか、そんなもん。始めに意識をしていないと指で摘まんでいる一発だけの弾丸を落としてしまう。

 そうなればあとは両手を上げて降参するなり、諦めて第六感阿波おどりをするなり、気が狂ったように叫ぶなりすればいい。どうせ見えないし伝わらないからな。


「いやなもんを思い出しちまったぜ……」


 荒んだ記憶に震えながら料理を完成させた俺は手を合わせて頂くことにした。少し余ったので夕食のおかずになるようラップでくるんで冷蔵庫に放り込んでおく。


「……お、ランク『A』」


 意味のないランク付けを料理にしてから、無事に完食して部屋に戻る。食事もしっかり摂ったことで、中々体の調子は良い。とはいえ、最善と言うには心もとないが。

 動けて考えられるだけましかぁ、と自分を納得させた。さて、こっからまたVRをプレイしていく訳だが……カルナたちの反応が気になるな。昨晩何も言わず一人で砂漠をさ迷っていたのをなんと言うか。


 その結果もたらされたリエゾンの精神的均衡と必然的な遅刻……ここだけ抜き出すと大学のフローチャートみたいだな。いや、落ち着け。また思考が勝手に逃げる方向へとシフトしている。俺は恐らく……というか確実に他人に誉められることをしている。大丈夫だ。自分に向けて軽くエールを送って、ゆっくりとヘッドギアを装着した。レッツゴー。


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 ―――――――



 瞳を開ければ、清々しい青空が広がっていた。やはり空は良い。見ているだけで心が安らぐし、常に流動するから飽きが来ない。空の青さに心を癒されながら、鎧の体をふっと起こした。どうやら仰向けになっていたらしい俺が周りを見渡すと、やはりというか出待ちをしていたカルナやコスタ達が居た。

 当然のごとくメラルテンバル達も周りに居たが、どこか距離が遠いしなんかニヤニヤしてる。……よく見ればカルナたちもニヤニヤしてるな。


 少し離れた所にそそりたつ林檎の樹木の幹に寄りかかっていたリエゾンが、俺の姿を見つけて固まっていた。その瞳に影は見られない。よしよし、どうにか心を明るく持ち直してくれたようだ。


 さらに視線をずらすと俺の後ろにロードが立っていた。が、どうにも顔が赤い。風邪を引いた……とかじゃあなさそうだ。杖を両手で握りしめてしどろもどろな様子を見せている。わからないことはシエラよろしくわかる人に聞いた方が良いだろう。ロードに直接理由を聞いてみた。


「どうした?ロード。なんか顔が赤いぞ?」


「えっ?いや、なんでも無いです……よ?」


「普通本人に聞くかしら……?」


「いえ、逆にそれがライチっぽいですよ」


「ラブコメの匂い……甘酸っぱくて好きぃ」


 なんだこいつら。かなり好き勝手にボロクソ言うじゃないか。遠くからオルゲスの例の太鼓の音とメラルテンバルの抵抗が聞こえる。なんでお前らそんなに楽しそうなんだ?

 なんだか不安になって周りを見渡し……リエゾンに目をつけた。


「リエゾン、なんかロードにあったのか?」


「ちょ、り、リエゾンさん……出来ればあの……その……」


「そうだな……」


 リエゾンはピョコピョコと片耳しかない獣耳を動かして考えるようなしぐさをとり、ロードを見つめた。ロードは外れかけのフードから真っ赤な顔を覗かせてリエゾンを制止していたが、リエゾンはそれを見てなにやら決意したようだ。


「すまないな、ロード。これもあなたの為だ」


「うぇぇ!?り、リエゾンさん……そんなぁ」


「放っておいたらあなた達二人は半世紀くらい進展が無さそうだからな。しょうがない」


 リエゾンの言葉にこっちまで顔が赤くなりそうだが、それよりもロードのことが気になる。リエゾンに続きを催促すると、彼は幹から体を離して何でもないようにするりとこう語った。


「いや、ライチが眠っていた間にロードがライチに膝枕……でいいのか?カルナ」


「合ってるわ」


「ロードが俺に膝枕をしていたと……」


 中々恥ずかしいがそのくらいなら……と思っていた俺に、リエゾンが頬を爪で掻きながら更にとんでもない言葉を続ける。


「そしてロードが寝ているライチの顔に自分の顔を近づけて――」


「ギャーー!!やめてくださぃ!気の迷いなんです……!」


「え?いや、え?え?」


 ちょっと待て、理解が追い付かん。弱った脳みそを使ってるときに限って情報飽和させてくるの止めてくれよ。真っ赤なロードがリエゾンの口を両手でふさいだ。なんだそのポジション。俺に譲れよ、と一瞬思ったがそれよりも凄まじい事をされてしまったかもしれない。

 苦笑いのカルナがリエゾンに変わって言葉を続けた。


「影で見てたけど、可愛かったわよ。顔を近づけた後に『頬っぺた……いや……うぅ』って真っ赤な顔で凄い悩んでたもの」


「ひぎゃぁぁ……!カルナさん……酷いですぅ……!」


「こうでもしないと……ねぇ?」


「青春してるぅ……ロードちゃん可愛ぃー、癒される」


 シエラがロードを見つめてふにゃふにゃしてる。マイナスイオンでも受け取ったのか。ロードは蹲っちゃうしオルゲスの太鼓の音色は2倍速になったしでカオスだ。


 ……とまあ、冷静に分析してる俺なんだが、内心ではそんな余裕は欠片ほどもない。無いったら無い。内心が荒れ狂い過ぎて逆に口が固まってしまっているのだ。


 ――くっっっっそ可愛いじゃねぇかぁぁぁぁ!!なぁぁぁぁ!!


「……」


 ヤバい、口角が眼球にめり込む。なんだよこの超可愛い生物。実際は生物じゃないとか言ってきたやつは電子の海で鎧ラリアットを食らわせてやる。ゲームのジャンル全く違うじゃねえか、神かよ。

 昨日は最初から最後まで殆ど緊張と真剣さが詰まっていたから落差で薙ぎ払われそうだ。


「もう無理ですぅ……しゅ、羞恥で消えちゃいそう……」


「……か°」


「発音できないわよ……」


 なんとか声を出せたが、完全に日本語で表記できない文字を吐いてしまった。だが仕方ないだろう。これは相手が悪い。蹲ったロードは羞恥が裏返ったのか、赤い顔で言葉を吐いた。


「だ、だって……このままじゃずっと恥ずかしいままだから、練習しないとって……うぅ、でも、いざとなると罪悪感と緊張で……」


 遠くで魔法使いの霊がエクトプラズムを吐く音が聞こえた。それと同時にメラルテンバルがやめろぉ!と声を荒らげる。完全に生命活動が停止した俺に変わってカルナがロードに質問をした。


「それで、結局どこに接吻したのかしら?」


「………………おでこ」


 はあ……今、俺は全ての疲労や苦しみから解き放たれている……何物よりも強い加護を身に纏っているからだ。


「元気そうで何よりだ」


 騒ぐオルゲス達、吼えるシエラ、蹲まるロードと慰めつつ褒めるカルナ。それと天界への道を切り開きかけている俺。あまりにも混沌という言葉が似合いすぎる空間に、リエゾンが笑いながら言った。その笑みは垢抜けており、素直な物だった。

 一瞬言葉に詰まって、いつも通りの冗談じみた声が出た。


「お前もな」


 鎧の奥で笑顔を送ると、それが伝わったらしいリエゾンが歯を見せて笑った。男二人で仲の良い空間を築いていると、じーっとコスタがそれを見つめていた。リエゾンはどこか戸惑いつつ、コスタの方を見ている。そうか、この二人はまず会話すらしてなかったのか。どちらとも会話自体はしたい……みたいだが、最初の一言のハードルが高過ぎるな。


 けれどまあ、コスタなら上手くやってくれるだろう。メラルテンバルとも仲良くやれている様子だし。少し前にメルトリアスと肩を組んで笑っている場面を見たことがあった……二人とも、気が合うのだろう。


 とまあ、色々な事を考えていた俺に、そういえば、とカルナが声を上げた。


「昨日の夜、色々あったみたいじゃないの」


「……おう」


 何を言われるんだ?私も連れてけばーとか、勝手なことをーとか、そういう――


「やるじゃない。流石よ」


「……」


「ちょっと、ここでライチが黙ると変な雰囲気になるじゃない!」


「わ、すまん……」


 あまりに素直な言葉に、こちらが言葉を失ってしまった。そうか……『やるじゃない』か。きっと、彼女の中で一番の褒め言葉なのだろう。柔らかく笑った顔と声ですぐわかる。こういうときに綺麗なお嬢様みたいな笑顔をするのは中々卑怯だと思う。

 思わず声を失った俺に、唇を尖らせたロードが近寄ってきた……が特に何もすることなく俺の隣に佇んでいる。ど、どうした?


 困惑する俺の視界の隅で、獲物を狙う豹のような目付きのコスタと狙われたガゼルのような目付きのリエゾンが向かい合っていた。なんだよ、そのコミュニケーション。シエラは止める者が居なくなって暴走し、高速で瞬間移動を行いつつ天に昇っていった。その役割俺のだぞ、返せよ。


 遠くでレオニダスやオルゲスが汚物の処理についての激論を繰り広げている。……なんだろう、これから砂漠へ行くんだけど……まあ――


「こういうのが一番だよな」


「……?」


「そうですよね。僕も、そう思います」


 首を傾げるカルナに対して、ロードはまだ若干赤い顔で頷いて、優しく俺の鎧に手を添えた。可愛い。


 シエラの如く天に昇らない事を意識しつつ、相変わらずな墓地の連中に苦笑いするのだった。

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