第72話 番外編:それは夢のような時間で

 何かに埋もれるような、覆われるような……そんな暖かな温もりの中で、日賀晴人は目を覚ました。


「……ん? ……ここは何処だ……?」


 晴人の瞳が映し出す光景は、どこを取っても一面の暗闇。鼻腔に残った甘い香り、僅かに頬を伝っていた涙の感覚はまだ残っている。けれども、何処を見渡しても闇ばかりがあるのだ。

 取り敢えず、寝てても状況は進まないよな、と晴人は体を起こした。そこで彼は気づく。


「うぉ、制服じゃん!」


 晴人が現在着ている服はいつも学校で着ている冬服だった。根は真面目な晴人の性格通り彼の制服は着崩されたりはしておらず、至って普通の制服であった。さっきまでちゃんと防具着けてたよなぁ……?と晴人は首を傾げて自分の体を見下ろした。けれども、その疑問に答えてくれる存在はここにはいない。晴人は疑問を抱えたまま、暗い空間を歩くことにした。


「…………ん!? いつの間に? ……やっばいなぁ、ホントにここどこだよ」


 暫く直進をして、何気無しに足元を見てみれば、先ほどまで付けていた運動靴が内履きに変わっていた。なんだなんだー? ホラーかー? といつもの軽い口調で笑いながら、もう一度晴人は歩き出そうとして、気づいた。目の前に扉がある。やけに見覚えのある扉――教室の扉だ。いつも駆け足でそこに突っ走って、皆に迷惑を掛けないように静かに扉を開けるのが晴人にとって日課であった。


 さて、どうしたものか、と晴人は考えた。いつものように扉を開けるか、それとも……。悩んだ果てに、晴人は様子見ということで慎重に扉に近づくことにした。これが何かのフラグならば、下手な行為をしてバッドエンドフラグを立ててしまうことになりかねない。対人のゲームをこよなく愛する晴人だが、一応一人用のゲームも嗜む程度にやっているのだ。

 慎重に扉に近づき、いつになく丁寧に扉を開けようとしたが――開かない。


「あれっ? ……接着剤されてるっぽい。……お?」


 何度か力を込め直してもびくともしない扉に渋い顔をした晴人は、扉についている小さなガラス窓の部分から教室の中の様子を見ることができた。

 中には学生が勢揃いをしており、その中には晴人と慎二の姿もあった。いつもの『外行きの笑顔』を張り付けた晴人と、つまらなそうに頬杖をつく慎二の姿は、何処か若い。


「あー! ……自己紹介の時の並びとメンバーじゃんか!」


 このシーンがやけに心に残っている晴人には、今がどんな状況なのかが手に取るようにわかった。高校生になってから初めての、自己紹介の時間であった。中学から高校に上がって、所謂『高校デビュー』を華々しく飾ろうとしている懐かしいクラスメンバーの姿に、晴人は懐かしさで顔を綻ばせた。

 自己紹介は淡々と進んでいく。


「懐かしいなぁ……こんとき俺、正直自己紹介とか糞だなって思ってたわー」


 どれだけ外聞よく動こうと、見た目に釣られた女と、それ目当てな男、所謂カーストで纏まろうとするキラキラした連中が晴人の周りに集まるだけだから、この際無言で済ませてしまおうか、いや、さすがにそれは不味いか。そんなことを晴人はニコニコとした作り笑いの中で浮かべていた。

 そんな、時だった。頬杖をついていた慎二が面倒臭そうに席から立つ。


「東堂慎二です。豊清中学校から来ました。趣味は……えー、読書とゲームです。ゲームが好きなので、その話題で絡んでくれると話しやすいです。一年間よろしくお願いします」


 出身中学と名前、そして趣味を簡潔に話した慎二の自己紹介は、はっきりいってかなり珍しかった。恐らく慎二と同じく読書やゲームが好きなクラスメイトはいただろうが、彼らは一様にそれを隠していた。ゲームというふわふわした趣味を恥ずかしがる連中は多かったのだ。そんな中、取り繕うのは面倒だ、と言わんばかりに堂々と言葉を吐いた慎二は、晴人にとって輝いて見えた。


 今まで、晴人の周りに集まった人間は一様に、晴人にあわせてこんなことを言っていた。


『あー? ゲーム? 好きだよー。よくやってるわー、ファイナル……なんだっけ? あれ、好きなんだよねー』


 見え見えの嘘を吐いて、話題をファッションや恋愛の話に持っていく人間ばかりだ。かといって、教室の隅でゲームについて話し込んでいる相手になるべくフレンドリーに話しかけてみても、萎縮して会話にならない。なんとか仲良くなった人間も、いざゲームで遊ぼうとなると、やはり晴人から離れていく。

 彼らは会話するだけで緊張するような晴人とゲームをして、ズタズタに負け、勝負すら成立していないから晴人が楽しめていないと思ってしまったのだ。


 かといって、晴人の中で『手加減』は何より忌むべき行為だった。晴人の中にある「ゲームは楽しむためのもの」という理念に、真っ向から反するからだ。晴人にとっての楽しさとは、全力のぶつかり合い。

 それがどのような結果を生もうと、目の前の誰かと全力をぶつけ合い、火花を散らして争うことが晴人にとっての楽しさだった。それを、こちらが手加減するなんてのは、ゲームに対する冒涜であり、相手に対しての侮辱であると晴人は考えていた。


 そんなゲーム観を持っていたからだろう。晴人の周りからゲーム好きは消えていき、何でもない人間だけが残る。自分が悪いということは百も承知だった。けれども、それをねじ曲げることはできない。それでは意味がない。

 度重なる人への失望と、離反を繰り返して、晴人の内心はすさんでいった。誰と会話しても、結局そいつが見ているのは俺の外側で、本当の俺を見せれば逃げていくんだろ?と思っていた。


 こんなことならば、よい見た目になど生まれたくなかったとすら思った。この顔が無ければ、誰とも分け隔てなくゲームができたのかもしれないとも思った。相手に負い目を感じさせる事など無かったのでは、と思った。

 人に失望し、欺瞞ぎまんの自分を張り付けて、それでも誰かと全力をぶつけ合った時の、あの焼けつくような感動、煮えたぎるような衝動、荒くなる鼓動、熱くなる体温……そのすべてが晴人の体の中に眠っており、それらを晴人は渇望していた。


 そんな、時だった。慎二が現れたのは。久しく出会った。人前で堂々とゲームが好きと言える人間に。慎二がその言葉を言うときだけは、めんどくさそうな瞳に優しい笑みがこぼれたのを、晴人は見逃していなかった。


 ――ああ、こいつは……間違いない。ゲームが好きなんだ。


 高校でも、こんな人間が居てくれたのか。晴人は内心で跳び跳ねそうなほど喜んだ。そして、自己紹介の時、己も堂々と言いはなった。


「どうも! 日賀晴人です! 北斎中から来ましたー。ゲームが大っ好きです! よろしくお願いしまーす!」


 満面の笑みと共に慎二に視線を送る晴人と、それを面倒そうな瞳で見つめる慎二。


「……懐かしいなぁ、本当に」


 教室の外の晴人は呟いた。その瞳には涙が少し浮いているようにも見えた。あれま、俺って実は涙脆い? とふざけた口調で独り言を言った晴人は、移り変わる教室の様子をじっとみつめていた。


 興奮冷めやらぬ内に慎二に話しかけ、適当にあしらわれる晴人。

 好きなゲームの話題で漸くまともに喋ってくれた慎二。

 自分の知らない隠しコマンドを教えられて驚く晴人。


 話せば話すほど、確信と期待が膨れ上がっていた。本当なら1ヶ月は掛けて仲を深めるところを、二週間程度で遊びに誘ってしまった。誘った後に、押さえきれなかった衝動に後悔する晴人が教室に居た。

 結果、やはり晴人は慎二をボコボコにした。慎二は今まで戦ってきたどのプレイヤーとも異なるユニークな発想で晴人を攻め立て、久々の敵とコロコロ変わる戦術に晴人は興奮が臨界点に達していた。最終的に全ての戦術を完全に破壊し、殆どダメージを受けずに慎二を倒した。


『……嘘だろ……?』


『ヤバイくらい楽しい! 普通ダクトに隠れて、入った所に毒ガス撒くか? 相討ち狙いかと思ったらきっちり金魚鉢被って煙防いでるし……』


『そのあとダクトから出て、ダクトの上から移動音とダクトに伝わる振動だけでフィールドの反対側まで逃げた俺を探り当ててマシンガンで蜂の巣にしたお前の方が間違いなくヤバイ』


 遊び終わって、晴人は思った。また、やり過ぎてしまっただろうか。己の信条を曲げてでも手加減すべきだっただろうか。最高級の興奮と引き換えに、また大切な人間を失ってしまったのだろうか。次の日、憂鬱に登校した晴人を待ち構えていた慎二は言った。


『次はFFfな。俺の家で集合』


 簡潔な一言だった。たった数秒の言葉だった。けれど、それでも……それを晴人がどれだけ望んでいたのか。どれだけ価値のあるものなのか。慎二の目は若干怒っているようにも思えた。あれだけ手酷くやられて、倒されて、それでも俺を打ち負かそうと立ち上がってくるのか。絶対勝ってやると、心の底から思っているのか。


 それが――たまらなく、嬉しい。


 それからは、まるで夢のような時間だった。あっという間の一年だった。数えるのも忘れる程の対戦を重ね、新作のゲームが出る度に二人で遊んだ。覚えるのが億劫になるほど慎二を打ち負かし、決して忘れられない数、慎二に打ち負かされた。

 燃えるほどの熱い情熱と全力を、慎二は同じく考え抜いた全力で向かい合ってくれる。全力で投げた玉を全力で受け取って、全力で返してくれるのだ。


 その関係は学年が上がっても変わらず、そして今も続いている。長い間、晴人は教室の扉に張り付いて、それを見ていた。新作に一喜一憂する二人を、久々に慎二に作戦負けして叫ぶ自分を、下らないニュースの話題で盛り上がる二人を。

 それを見つめていた晴人の両目から、温かい涙が溢れた。ごくり、と晴人は唾と共にいくつもの感情を飲み込んで、笑った。


「慎二……お前に出会えて、本当に……本当に、良かった」


 はあ、と吐いた濡れた吐息に、教室のガラスが曇った。教室の晴人が慎二の首に腕を回して笑う。慎二は困ったような笑顔を浮かべて、頬を掻いた。

 この景色が、この今が、最高の宝物だぜ、と晴人は呟いた。そんな晴人の背中に、声がかかった。それは二つにぶれていて、鎧の中を何度も反響したような、独特の声だった。


『おーい、どうした晴人。まさか……泣いてる?』


 はっと息を飲んだ晴人は乱暴に腕で涙を拭って振り返り、いつものにやけ面を浮かべた。視線の先には、銀の鎧を纏った親友――ライチの姿があった。いつの間にか、晴人の装いは元の黒い装備に戻っており、黒い双剣も腰に差してあった。


「泣いてるわけないだろーが」


『そっか。……んじゃあ、続きをしようぜ?』


「続き……? あぁ、そういうことか……ああ、続けよう」


俺は手強いぞ?』


「はは、いつも負けてる癖によく言うぜ」


『んなっ!? おま、それは言っちゃいけないやつだろ! ……でもまあ? ここじゃ、俺がお前に勝ってる訳で、実質今の勝率は百パーセントって事だから』


「へへん、その勝率百パーセントのメッキ、直ぐに剥がしてやるよ」


 晴人は双剣を引き抜いた。慎二も盾を構えた。二人の顔には、確かに笑顔が浮かんでいた。慎二は不定形で、優しげな笑みを、晴人は野性的で、朗らかな笑みを。


「なぁ、慎二……ありがとな」


『ん? 礼は俺が言いたい位なんだが――』


「俺と、遊んでくれて」


『……これからも遊ぶんだから、最後みたいなこと言うなよ』


「はは、ごめんな」


 両者ニヤリと笑って、走り出す。鎧を鳴らして、咆哮を上げて。



 ――慎二、間違いないよ。



 ――お前は俺の



 ――親友だ。



――――――――――――



「いいんですか? RTAさん? 黒剣士さんを起こさなくて」


「いいの。彼が、あんなに楽しそうに笑ってるから」


 クランのホームのベッドに眠る晴人の寝顔は、それはそれは清々しく、朗らかで……最高の夢を見ていることは、誰の目にだって明らかだった。

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