第71話 番外編:variant rhetoricは何処にある?

 暗い部屋で、空調の重低音だけが響いていた。


 いや、暗い部屋というのは正しくないのかもしれない。部屋の壁に埋め込まれた大型ディスプレイには、正体不明の数字の羅列。もしくはイベント終了の文字が浮かぶ白い花畑が映っている。それがこの部屋の唯一の明かりだ。

 そんな部屋の中で、男の怒鳴り声が反響した。


「違うっ! 何で……なんでだ!!」 


 男はボサボサの黒髪を掻き毟り、汚れた白衣の裾を翻して吠えた。吐いた唾が画面に飛び散り、怒声は大きく部屋に響いたが、この部屋は防音仕様だ。どちらにせよ、彼に近づこうとする社員はこの建物には居ないが。

 男は叫びながら床に散っている紙束を蹴りあげ、テーブルの上にあった書類を殴り飛ばし、椅子を蹴り倒した。


「ヒントはあげたのに!! 答えを見つける機会は与えたのに!! これを逃したら……いつになるか……くそっ!!」


 テーブルの上に置いてあったペンを放り投げ、スプーンを引っ掴んで巨大なテレビ画面に叩きつけ、近くにあったノートパソコンを地面に蹴り落とした。


「『あの人』をねじ伏せて君にヒントを与えたのに! こんなに大きなイベントまで作ったのに……!」


 男の暴走は止まらない。部屋の中のものを叫び、殴り、蹴り、倒し、壊した。男は、運営である男を無視して全く関係の無い文書を公式ホームページにいれていた。


『――勝利の天秤が傾くのは人間か、魔物か。あるいは……


人間の勝利が、世界に何をもたらすのか。

魔物の勝利が、人間に何をもたらすのか。


この戦いに、答えなどあるのだろうか。』


「あぁぁぁぁぁ!!!」


 ふざけるな。期待していたのに。見つけてくれると、思ったのに。直接的なヒントは出せない。だからこそ、一番答えにたどり着きやすいヒントを与えたというのに……あぁ、全く――


「期待外れだ……!」


 唸るように男は言った。その狭い肩は荒く上下し、息も獣のように落ち着かない。拳は血まみれで、部屋は嵐が通りすぎたようなむちゃくちゃな有り様だった。それでも、誰もこの部屋に入る人間は居ない。


「『あの人』が軍勢システムなんてふざけた物を入れるからだ……! あれさえなければ……あんな、あんな……魔物に力なんて要らないってあれだけ言っているのに!」


 それでも、あの人は『それじゃあ、プレイヤーとゲームが面白くなくなるだろ』なんて、無責任な事を言う。

 これは……これが――ゲームだって?


「ふざけるな……」


 こんなものが『ゲーム』であってたまるものか。荒い息と共に、男は吐き捨てるように言った。ひび割れた画面に映るのは、人間を倒し、勝利を叫ぶライチと魔物たち。


「そんなもの……無意味だ。無価値だ。無いのと変わらない。その感動も、情動も……全部、全部――無意味だ」


 何が勝利だ。ふざけるな。結局、始まって二十日ほど経っても一向に誰も『variant rhetoric』の欠片すら掴めないじゃないか。歓びの後、ライチは先ほどまで戦っていた人間と会話し、人間と笑いあっていた。

 一瞬、男は呼吸が止まり、画面に顔をくっつくほど近づけてそれを見つめた。


「……クソ、ログからしてリアルでの知り合いか……ああ、つくづく期待外れだ」


 男は吐き捨てるように言ったが、目線だけはじっと拳を合わせる二人から外すことはなかった。それはまるで、キラキラした物を見つめるような――羨望の瞳だった。

 しかし、しばらくそれを見つめた男は首を振ると、血を流す拳で画面を叩き割った。画面から光が消え、一気に部屋が暗くなる。


「結局は……僕の独り善がりか……勝手に期待して、勝手に失望して……あー、馬鹿らしい」


 そもそも、彼が見つけてくれる確証なんてなかったんだ。それなのに期待して、勝手な期待が裏切られたら逆上して……馬鹿らしい。すまない、と男は空想のライチに謝罪をして、寄せていた期待を消した。これでライチは彼にとって『ただのプレイヤー』となった。


「一体……何時になったら、誰が見つけてくれるんだ……! もう、そんなに時間は無いんだよ……!」


 男は悪態をついて床のゴミを蹴りあげ、手近にあったテーブルの上のマグカップを乱暴に掴むと、地面に叩き付け――なかった。


「あ、危ない所だった……が残してくれた物を壊すなんて……そんなことは絶対にできない」


 ゆっくりと男はマグカップを胸元に寄せて抱き締めた。その時だけ、ガラスのように無機質だった男の瞳に優しげな色が宿り、何とも甘い恋慕が顔を出した。しかし、それはほんの少しの間だけであった。すぐに空虚な絶望と無機物さが男に憑依し、男はぐちゃぐちゃな部屋の中でマグカップを抱いて座り込んでしまった。


「春が来るとき、僕は……君に――伝えられるだろうか」


 ――伝えられるだろうか。


 ――伝わるだろうか。


 ――伝わって……くれるだろうか? 


「分からない。分からないよ……こんなことになるならもっと早く……いや、この話はもう止めるって決めたんだ」


 男は閉じた瞳から涙を流した。マグカップから伝わる熱は、冷たい。壊れた電子機器の呻き声と、静かな嗚咽だけが部屋に響く。


 地面に横倒しになったカレンダーの三月には、ペンで多くの書き込みがしてあり、その日まで後何日かを丁寧に示していた。


 秋が終わり冬が来て、冬が終わり春が来る。世界は音も立てず進んでいく。誰かにとって最悪な時間を、誰かにとって最高の時間を進んでいく。

 男にとって過ぎ去っていく今が、どちらに当たるのかは言うまでも無かった。


「……誰か……見つけてくれよ」


 か細い声が、部屋の隅に弾けて消えていった。




―――――




 所変わって落ち着いた何処かの部屋で、秘書とおぼしき女が無言で天井を見つめる男に話しかけた。


八崎やざき様、鏑木かぶらぎ様の様子が……」


「……やはり、そうなってしまうか。それでも、俺は……このゲームを屑になんて出来ないよ。これは俺の――夢なんだ」


 男の名前は八崎誠一郎。ゲーム『variant rhetoric』の総合開発責任者――と、世間には認知されている。実際彼がゲームに手を出したことは殆ど無い。

 八崎は天井を見つめたまま、秘書の女に聞いた。


「佐々木君。君は、彼をどう思う?」


「……正直に申させていただきますと、我々にはもう『不要』かと。variant rhetoricのすべてのシステムをで作り出した天才的な手腕は認めますが、それ以外は最悪です。この前も、公式ホームページに勝手に編集を――」


「そうだろうな。彼は……居ても意味がない」


 佐々木と呼ばれた女の言葉を遮って、八崎が言った。その声色は暗く、冷たく、されど何処か悔やむようなものだった。


「でも、このゲームは彼が居ないと成立しない」


「ワールドボスに掛けられた鏑木様のロックのことを案じているのでしたら、杞憂かと。開発チームが総出で解除すれば――」


「無理だよ。彼が本気でロックを掛けたのなら、それは彼以外に開けることは出来ない。……彼は天才だからね。それは彼の先輩である俺が一番分かっている。それに……もっと違う意味で、彼が居なければこのゲームは存在する意味がない」


 八崎は静かに目を閉じた。そこに宿る感情はあまりに多すぎて、一つ一つを挙げることなど到底できはしない。けれど、もし……その心中に蠢く感情の内、最も強い物を挙げるとするならば。


 それは――後悔。


「彼は、囚われている。過去に……そして、道月みちづき君に。それは、俺も変わらない。囚われているんだ。全く同じものに」


「…………」


「俺も、さっぱり分からない。彼女にどう接してあげればいいのか。……俺が鏑木君ではないことを知った彼女の悲しげな顔に、なんて言ってあげれば良いのか、分からない」


 結局、俺も彼とそんなに変わらないんだ、と八崎は乾いた笑いを漏らした。どう反応するべきか迷った佐々木は、視線を窓の外に向けた。そこには広がる町並みと冬の空、枝葉を落とす木々が寒々と広がっていた。


「いつか、彼が彼女に向き合える日を……俺は心から願っている」


 八崎の呟きに、佐々木は小さく頷いた。窓の外で、強い北風が泣いているように思えた。

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