第52話 つまらない人助けを 中

 瞳を開ければ、薄暗い。存外窮屈な木の中で堂々と俺にもたれ掛かっているカルナの体を押し退けて、外に出る。

 赤土の上に踵をつけて空を見上げてみれば、夜も更けてきたこともあり、真っ暗だ。時おり風で揺れた木の葉の隙間から月光と星の欠片が見える。


 真っ暗で足元を見ることもできないが、正直言わせてもらうと昼でもこの暗さは同じだ。ただ差し込む光の質と見える空の色が変わるだけである。


「……静かだな」


 時たま猛禽類の鳴く声と鈴虫か何かの澄んだ音が聞こえる以外、この場所に音はない。ゲームをはじめてからほぼ常に隣に誰かが居たから、この静寂には違和感すら覚える。だが、ソロプレイと言ったらこの静けさは醍醐味というものだろう。

 うーん、と凝り固まった体を伸ばして、取り敢えず辺りを見回してみる。特に何もない。どこを向いても同じような景色だ。


「マッピング能力には自信があるけど……迷ったら最悪二度とここに戻って来れないな。木に跡でも付けながら行くか」


 このゲームはプレイヤー同士のチャットや囁きが無い。人間は使い捨てのルーンを使用することで離れた場所からの会話が可能だが、魔物は直接声で語りかけないと行けない。俺みたいにまともな言語を喋れてるか怪しい種族、もしくは完全に喋れない種族に関しては……まあ、諦めろということだろう。  

 ここの運営が魔物に厳しいのは今に始まった事ではない。


 適当にぐるーっと周りを見つめて、気分で行き先を決めた。正直ここがどこで、道の先に何があるのかさっぱりなのでここは深く考えなくてもいいだろう。直感に身を任せた気ままな旅ということだ。


「『ダークアロー』……よしよし、きっちりと跡は残るな」


 進行方向に立っていた第一村人ならぬ第一樹木にダークアローを撃ち込むと、樹の幹には十字に弾けたような痕跡が残った。ここの樹はかなり硬めだが、俺の魔法ならきちんと破壊できることはもう立証済みだ。

 新たな出会い、イベントを求めて森の奥に足を進める。やっぱり樹の根っこが邪魔だ。ダークボールで前方を掃除するか、血染めの一閃で地面ごと抉ってやりたい。


「……ん?あ、樹木猪バロックボアか」


 しばらく歩いていると、当然敵とエンカウントする。今回の相手は樹木の皮をバリバリ食っていたら体表が樹木になってしまったっぽいバロックボアである。シエラとコスタを引き連れていた時、遠目から樹の皮を美味しそうに食べている姿を見かけた事があるのだ。……その後は当然のごとく二人の経験値に変わってもらったが。


 さて、俺の視線の先にいるバロックボアは興奮しているのか目が赤い。鼻息も荒いし、短い足がバタバタと動いて地面を削っている。なにやら俺を餌である樹木を奪おうとする敵か何かだと思っているらしい。何度か地面を蹴っていたバロックボアは、ついに俺を倒すために突撃をしてきた。


「威勢はいいが、相手が悪かったな。『石化ブロック』」


 灰色の煙が素早くバロックボアを包み込み、その体を無機物に変えていく。己の四本足が石化したことにバロックボアが気付き、虚しく抵抗の嘶きをあげるが、もう遅い。直ぐにその全身は灰色の石と化し、生命活動を停止させている。


【戦闘の終了を確認しました】 

【ドロップアイテム:堅牢な樹皮】 


 バロックボアのレベルは平均13。レベル的に見ても圧倒的な戦力差だ。あの突進を正面から受けても、それほどダメージにはなり得ないだろう。

 それからも森のなかを一直線に進んでいると、様々なモンスターにちょっかいをかけられたが、そのどれもが石像になったり猛毒で倒れたり、寝てしまったりしている。


 適正レベルを圧倒的に越えているからだろうが、出てくる敵が全体的に弱い。一桁のレベルでハイゾンビを倒して叫んでいたのが遠い昔のように感じれる。だが、慢心は良くないとこれまでに幾度となく教わっている。どんな敵が相手だろうが、最初から全力で最後まで警戒を抜かない。

 そんな気構えを持ったまま道なき道を進んでいると、どこからか小さく音がした。


「……この音は……鈴?」


 リィン……。ほんの小さな音。されど確かに耳に残り、無意識に風情を感じる奥深い鈴の音色が、森の奥から聞こえてきた。

 新たなモンスターだろうか? それともイベントだろうか? どちらにせよ、この鬱蒼とした森のなかで鈴の音色がすること事態可笑しいのだ。


 若干のわくわくを胸に秘めながら、木々の間を縫って音の正体を探す。最初は掠れそうだった鈴の音色は、ゆっくりと音源に近づくにしたがって深みを帯び、凛とした音を放っていた。


「左……いや、このまま直進だな」


 何度か道を違えそうになりながら、森のなかを歩き回り……そして、漸く音の正体を見つけた。そろーりと樹の幹から顔を出した俺の視線の先に居るのは、金色の淡い光の塊。拳に収まるかといった具合のそれは、蜻蛉とんぼのようにホバリングしながら騒がしく動き回っており、その度に周囲に鈴のような音色を放っている。


 予想以上にファンタジーな音の正体にしばらく唖然としていたが、気を取り戻して鑑定を飛ばす。


金色の妖精ゴールド・フェル Lv18』

物理に対する致命的な脆弱性あり

魔法に対する大きな耐性あり

状態異常に対する大きな耐性あり

魔力反応あり


「嘘だろ……」


 まさかの妖精と来たか。いや、言われてみればその有り様は妖精という一言がぴったり当てはまる。俺が思わずこぼした言葉に反応したのか、金色の妖精はピタリとその動きを止めた。

 少し不味いことをしたか……? 状態異常が殆ど効かなそうだし、魔法も全然効いてくれない感じのモンスターっぽいが……負けたりはしないと思いたい。


 止まっていた妖精が動き出す。上下に左右に、三次元的な動きを織り込んだ変則的な動きだ。左に行ったかと思えば右に、下に、さらには止まって後ろに距離を取った。その動きの一つ一つが目にも止まらないほどの高速移動で、とてもではないがAGI1の俺が追い付けるスピードではなかった。


 このまま戦闘に入るか……? 全くもって未知の存在である妖精に対して畏怖を覚えながら盾を構えたとき、妖精の動きが止まった。それから少し睨み合うような空白の時間が訪れた。俺はカウンターを狙うために盾を構えたまま固まり、妖精は何やらこちらを品定めでもするような雰囲気を漂わせている。

 恐らく一分か二分。謎のにらみ合いを発生させた妖精は、ゆっくりと森の奥に進んでいった。


「え……うーん? 見逃してくれた……のか?」


 完全にあのまま戦闘に入る流れだと思っていたので、そろそろ並列詠唱と時差詠唱を組み合わせたありったけの呪術をぶつける所だったが……あてが外れたな。

 妖精は、鈴の音を鳴らしながら森の奥に帰っていく――と思いきや、その動きを止めてゆっくりとこちらに近寄ってきた。


「……?」


 あまりに変な点が多いので首をかしげながら妖精を見つめると、妖精は苛立ちを示すように上下に揺れて、リィンリィン、と澄んだ鈴の音色が響いた。


「え? ……ついてこいってことか?」


 妖精は一際強く鈴の音を鳴らした。どうやらついてきてほしいようだ。妖精はそれを最後にまたもや森の奥に進んでいく。俺でもついてこれるようにスピードを落としてくれているようだ。

 ……完全に何かのイベントだよな。妖精の方はユニークモンスターとかじゃないみたいだが、この状況は普通とは言い難い。


 分析は取り敢えず捨て置いて、妖精の後を追おう。時折リィンと音を響かせながら妖精は暗い森の中を迷わず進んでいく。どこへ向かうつもりなのか、何が目的なのか、そもそもお前はなんなんだ? 聞きたいことはいくらでもあるが、妖精がまともな回答をくれるとは思えない。

 こういうのは黙って着いていくのがいいだろう。


 妖精は森の中をしばらく直進していくと、急にその動きを止めた。どうした、と思わず声をあげようとしたが、それより先に妖精に変化が訪れた。

 いや、これは変化というより――


「消えた……一体なんだったんだ?」


 妖精はぱったり消えてしまった。あまりに驚く事が多すぎて、もう驚こうにも驚けない。慌てて追いかけてたせいで木に跡を残すのを忘れていたし、通ってきた道のりもあやふやだ。直進だから今この場所から百八十度振り替えって直進すれば、元の場所に戻れるだろう。

 そうと決まれば帰るのは早い方がいい。迷子になってしまったら最悪二度とカルナたちと会えなくなってしまう。


 ゆっくりと踵を返そうとした俺の耳に、今度は鈴の音色とはまた違う音が聞こえてきた。……この森いろんな物内包し過ぎだろ。


「……これは、泣き声か?」


 動きを止めて耳を澄ませば、かすれるような泣き声が聞こえてくる。幼児の泣き声だと思う。これで泣き声を真似するモンスターとかだったら最悪だが、もし本当に人間だったら……この森に迷い込んでしまって帰るにも帰れないのではないか?

 流石に迷子の子供を置いてきぼりにして帰れるほど、俺は下衆ではない。敵だったら悪態を付きながら最高品質の呪術を死ぬまで撃ちまくるが。


 泣き声は妖精が先程まで直進していた方角から聞こえる。少しの迷いの後、現在地の近くの木に跡を残すだけ残しておいて、声の方に近づく。今度は妖精の時と違って探しやすかった。

 真っ暗な森の中を練り歩く泣き声の正体。それはやはり子供であった。恐らく花の刺繍が施された白のワンピースのような物を着ている。髪は金色で、肩につく程度だ。大体九歳から十歳くらいか?


 視線の先の少女は森の暗さに体を縮めて、手で顔を覆いながら小さく泣いていた。


「うっぐ……ひっく……ごめんなさい、おかーさん。セレスが……掟を破ったから……うぅ」


 最後に確認として鑑定を飛ばしてから助けに出てやろうとしたが、それより先に暗さで敏感になった俺の聴覚が足音を捉える。こいつは……最悪だな、ボマーグリズリーだ。

 足音の進む方角からして、少女を発見してしまっているようだ。舌打ちを一つして、全速力で少女に駆け寄る。それと共に少女の後ろに見えた巨大な影はゆっくりと腕を振り上げた。狙いの先は背を向けた少女。間に合え……っ!


「『シールドバッシュ』『カバー』!……っと!」


「グォァァ……!」


「ひぃ!な、何!?何なの!?」


 シールドバッシュで距離を大まかに稼ぎつつ、カバーで正確に少女の元へ移動する。移動すると共に直ぐにボマーグリズリーに向き直り、盾を構えた。構えさえすればこちらのものだ。圧倒的な攻撃力を誇るボマーグリズリーの拳を受け止めると、久し振りに重い手応えと共に、ド派手な爆砕音が鳴り響いた。硬い地面が抉れて、爆風が頭上の葉っぱを大きく揺らす。が、俺の体はびくともしない。生憎爆発程度じゃ吹き飛ばないように鍛えてるからな。

 混乱し、若干の錯乱状態と化しつつある少女――恐らくセレスという名前の娘――に出来るだけ丁寧に、優しく声を掛ける。流石に後ろにぴったり防衛対象がいてはやりづらい。


「こいつは少し危ない。君は後ろに下がっていてくれ」


「……は、はい……」


 恐らく俺が言葉をしゃべれることに驚いたのだろうか、若干の間を経てセレスは後ろに下がった。暗闇の中だと、俺の姿は完全にデュラハンとかそういうタイプのモンスターだ。正直さっきの言葉がなんで通じたのかよくわからない。

 だが、今はそれより大事なことがある。目の前のボマーグリズリーはじっくりと様子見をするようにこちらを見ているが、それは演技だということぐらい知っている。


 ならば先手を撃たないわけにはいかないだろう。


「『石化ブロック』」


 わざわざ盲目を打ってから闇魔法で相手をする、とか面倒なことをしなくてもこれで片がつく。一人だったら練習がてらに戦っていたが、今は守るべき相手がいる。出し惜しみは控えるべきだろう。俺の視線の先のボマーグリズリーは、自分の足が石化していっていることに気付き、驚きに呻き声を上げた。

 そのまま全身石化すると思いきや、ボマーグリズリーは自分の両足を火薬庫のような腕で殴った。


 またもや爆発が起き、若干の煙が舞う。……その煙の奥から、二つの赤い光が俺をとらえた。途端にそれは俺に飛びかかり、鈍器じみた腕で最後の一撃を放とうとするが、俺は最初から一切警戒を抜いていない。もう一度盾で受け止めて、とどめにダークボールを撃ち放った。


【戦闘の終了を確認しました】

【ドロップアイテム:火薬】


 盾を下ろしてボマーグリズリーの崩れ行く死体を見つめる。


「……まさか自分の両足を切り離して襲い掛かってくるとは……末恐ろしいな」


 足から伝う石化を止めることは出来ない。それを瞬時に判断したボマーグリズリーは、己の脆くなった両足を砕いて最後の一撃を放ったのだ。完全に息の根を止めたと思いきやこれだ。油断も隙もあったものではない。

 さて、戦闘の考察はここまでとして、セレスに話しかけよう。大方森に何かを探しにきたが、そこで帰り道が分からずに迷子になったって感じか。


 振り返った先のセレスは……どこかキラキラした視線を俺に向けている。さっきまでの涙はどうした。確かに目元は赤くなっているし、涙の跡は残っているが、俺を見つめる二つの青い瞳には不安は見えない。まあ、俺が恐怖を柔らげられたのなら、それは結構なことだ。


「……怪我はないか?」


「あ、ありません。騎士様こそ大丈夫ですか?」


「慣れてるから大丈夫だよ」


 言葉尻に眩しいまでの感謝と尊敬を込めたセレスに、どうにもやりづらいなぁ、と肩をすくませた。

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