第26話 赤き月は朝日の味を知っているか?

「なぁ、さっきの授業わかったか?」


「物食いながら話すな」


 クリームパンをいつも通り二つずつ食べている晴人が、心なしかげっそりした様子で聞いてくる。本能で生きているこいつは数学が苦手だ。なら何故数学を選択したのかというと、他の教科はさらに理解が追いつかないかららしい。物理など、一部の分野では俺を軽く追い越しているが、定理や背理法、三角関数が出てくると真顔で黒板の一点を見つめ続けている。

 割と元気をなくしているので、見かねてゲームの話を振ってみた。


「なあ、イベントあるじゃん?」


「おぅ!」


「がっつきすぎ……。生産職ってどうすんの?」


 ゲームに居なくてはならない生産職。特にVRは戦闘職よりもそれ以外の職業の方が遥かに多い。人間側に甘い運営のことだ。そんな世界を彩る立ち位置の連中を差し置いたイベントを開催するとは思えない。俺の質問に、ふふ、と晴人は気持ちの悪い声を上げた。


「なんかダンジョン周辺で騎士団とかプレイヤーが野営地作るから、そこで屋台やるらしいぜ?売り上げとか品質とかでランキング出るんだとか」


「うぉ、熱いな……生産職以外は?」


「パフォーマンス部門とか色々あるからそこだろうな。それに別に戦闘以外でも、騎士団を応援して士気を挙げる、差し入れをして士気を上げる……とか、色々なことでポイント稼げるっぽい」


「運営もしっかり考えてんのな……」


 本当に祭りみたいなもんだなあっちは。こっちは必死こいて生き残って成長してやる、見返してやるって覚悟決めてるんだが……まあ、いい。俺らは俺らなりに必死に生きよう。


「あー、マジで楽しみだわ」


「俺はしっかり守りきれるか心配で仕方がないがな」


「そのレベルなら生半可なミスはやらないだろ? 特にシンジは」


「まあ、そうだけどさ」


 大きな駒があれば、もしくは数え切れないほどの手札があれば、俺のプレイスタイルはさらに盤石な物と化す。あらゆる攻撃を無効化しながら状態異常と高威力の魔法を撒き散らす要塞とか普通にやってれば負けようがない。

 まあ、それは置いておいて……月紅をどうにかしよう。大きな問題を差し置いて、その先を思考することは大きな愚行だ。


「でも、俺はシンジよりテストの方が怖いぜ……」


 晴人の呟きを聞き流して、防衛イベントについて思考を回していると、時間はあっという間に過ぎていった。



―――――



 瞳を開ける。空は茜色を帯び始めようとしている。空の端の藍色の絨毯の上に散らばる星々が眩しい。足元を見れば柔らかな草花が咲き乱れており、顔を上げれば並び立つ墓石と剣闘士達……そしてロードとカルナが楽しそうに会話していた。

 その様子を見るに、まだ戦いは始まっていないようだ。クエスト開始時間を確認すると、あと2時間後。現在時刻が6時半だから、8時半から月紅が始まるのか。


 剣闘士達も、忙しなく動き回り、武器の点検をしている。ちらりと見上げた空の果てに、月があった。


「赤い……」


「時が経てば、もっと赤くなる」


 後ろからかけられた声に驚いて振り返ると、大きな体がまず目に入った。顔を上げると、精悍な顔つきをした男がこちらを見ていた。

 ……元グレーターゾンビか? はち切れんばかりの筋肉と、大きな体躯は周囲と比べても優れている。野性味溢れる顔立ちだが、その目にはどこか穏やかさがあるように感じた。


「申し遅れたな。君と戦っていた不死者のオルゲスという。『拳』闘士のオルゲスと、生前はこれで通っていた」


「ライチだ。中級だが呪術騎士を務めている。壮健な様子で何よりだ」


 オルゲスは発光している手を出して握手を求めてきたので、鎧の体で応じる。どうやら理性どころか記憶も戻っているらしい。笑みを深めるオルゲスには、余裕と落ち着きが感じられた。


「騎士殿か。これは失礼、コロッセオ育ちで礼儀作法の一つも出来ませぬが……」


「あぁ、いや。俺は所詮末端も末端の騎士崩れみたいなものだ。こちらもきちんとした礼儀作法なんて知らないから、気楽にしてくれ」


「……そうか。ならばこちらも肩の力を抜いて会話させてもらおう」


 オルゲスは空を見上げた。夕日をバックに空を見上げるだけで絵になる。視線の先には赤みを帯びた月。満月のそれを見つめる彼の目には、警戒にも似た悪感情が混じっていた。

 十三週間前のことだ、とオルゲスは切り出した。


「十三週間前の月紅……それを迎え撃ったのは、先代墓守のメルエス殿だ。我ら墓地の一同は、武器を手にここを守るために戦った」


 昔を懐かしむようで、忌むようなオルゲスの声につられて、空を見上げる。見上げた先の月は、心なしか赤みを増しているようにも思えた。


「幸い、メルエス殿は強かった。幼いロード殿を共にしても、なんら危なげないほどの強さだった。……しかし、あの日は『あれ』が――正確には『あれ』の眷属がここを襲ったのだ」


「……失礼だが、『あれ』とは?」


 オルゲスは大きな拳をギリギリと音のなるほど握りしめた。そして、噛みしめるように、吐き捨てるようにその名を紡いだ。


「『堕落』。その真名を呼ぶことは『堕落』の眷属を呼び寄せる事になるため、言うことは出来ぬ。あの日、『堕落の獣』がここに来てしまった。一日に国を二つ滅ぼしたと言われる災厄の獣が」


「……それで、メルエスさんが」


「あぁ、メルエス殿と我らは健闘したが……結果はこの有様だ」


 オルゲスは太い腕で荒れ果てた大地を指した。剣闘士達は無事に記憶を取り戻し、安寧を得た。しかし、偉大な魔術師達や、戦を生き抜いた英雄達、心優しき竜と勇敢な動物達は、未だ記憶を失って彷徨っている。


「我らは無力だった。何も出来なかった。皆も、誰一人忘れる事なくそれを覚えている。もちろん、ロード殿でさえもそうだろう。だから、我々は迎え討たなければならない」


「あの紅い月を、だな」


「そうだ。あの月を、我らは超えねばならない。ねじ伏せて、朝日を浴びねばならない。でなければ、我らの安寧……いや、名もなき死者全ての安寧と、偉大なる墓守の魂を失うこととなる」


「……もうそろそろ陽も落ちる」


「……ああ、戦いの時だ」


 目線の先は、最後に斜陽を放たんと燃え上がる太陽。ノスタルジックに空をグラデーションしている。日の陰りを嘲笑うかのような赤い月が、空高く上り詰めんとしていた。

 覚悟を決めた様子のオルゲスの肩を軽く叩く。


「何だ、ライチ殿」


「……この戦いの後、みんなで朝日をツマミに酒でも飲みたいもんだな」


 俺の言葉に、キョトンとした顔をしたオルゲスは、わはは、と豪快な笑い声を上げ、白い歯を見せながらこちらを見た。


「肉より、チーズより、勝利の朝日こそが最高級のツマミに違いない!是非とも久々に旨い酒が飲みたいものだ!」


「赤い月ないがしろにして夜が白むまで酒飲んでたって自慢できるな」


 大きな体を揺らしながらオルゲスは笑った。ツボに入ったらしい。目尻を擦りながら、大きく笑い声を立てている。

 ……さて、月紅まであと少しだ。二人を誘ってもう一面奪いに行こう。


「オルゲス、俺はこれからもう一角を鎮めるつもりだ」


「ああ、そうか。どこを落とす?」


「骨の将軍を」


「レオニダスか……奴は手強いが、まあ、ライチ殿の手にかかれば心配はないだろう。武運を、祈っている」


「ありがとう。お陰で楽しい話ができた」


 鎧の奥で精一杯の笑顔を浮かべてみる。きっと伝わらないだろうが、こういうのは形から入るものだ。笑みが伝わったかどうかは分からないが、オルゲスは深々と一礼した。きっと剣闘士にとって、最上級の礼節だろう。それを見届けて、ロードとカルナのもとに向かった。


「おーい、二人とも」


「あ、ライチさん……」


「こら、さっき言ったでしょう?」


「そ、そうですね……平常心平常心」


「……何話してたのかは聞かないぞ」


「そうして頂戴?」


 林檎の木の下でにこやかに会話していた二人に話しかけるのは中々難易度の高い事だったが、これからまたエリアボスを討ちにいくのだ。この程度で立ち止まっていてはしょうがない。案の定ロードは顔を赤らめたが、カルナがさっきの話を持ち出すと、深呼吸をして落ち着いたようだ。

 ……前のことを背負ったままでは、うまく話が進まないから助かる。

 それで、とカルナが本題を聞いてくる。


「これから、あと2時間で月紅が始まる。その前に、もう一角を落としたい」


「……まあ、妥当よね」


「そうするのが一番というのは分かりますが、時間は大丈夫ですかね?」


 カルナは俺の言葉を予想していたようで、ため息を吐きながら好戦的な笑みを浮かべた。ロードの方はというと、冷静にリスクの方を考えているようだ。組織に一人は欲しいリスクマネージメントのできる存在だ。カルナみたいな奴ばかりだと話が逆に進みすぎてしまう。有難いな。


「探す時間、戦う時間は勿論、帰ってくる時間と体を休める時間、それに配置や作戦を決める時間を合わせたら、2時間は心細いと思います」


「……確かに、時間的なリスクは重々承知だ。だけど、そのリスクを承知の上で今回は動くべきだと思う。俺やカルナがいるとはいえ、今回の戦いは些か無謀なものだと思う。多分、数に押し負ける」


「私には、ここの全容が理解できないけれど、あの大きなゾンビ……グレーターゾンビだったかしら?それが三体分押し寄せてくるとなると、私たちが密集しても1時間持ったらいい方じゃないかしら?」


 1時間は言い過ぎだろうが、2時間は確実にもたないな。それだけの戦いだ。相手を倒す必要が無いとはいえ、倒さねば物量的な問題でやられる。こちらの戦力は限りがあるのだ。守備ポイントは二つ、オルゲスとロード。

 どちらかがやられた時点でほぼイベントクエスト失敗。ついでにロードもやられてこの場所は永遠の闇に包まれる。それは許容できない。


「……このままでは、守りきれないと……そう思うんですよね?」


「ああ」


「私もそう思うわ」


「……分かりました。行きましょう。時間がありません」


 ロードはローブをしっかりと着直し、カルナは木の幹に立て掛けていたスレッジハンマーを軽々と持ち上げた。俺も、盾を構え、防具を点検する。……よし。


 守る対象がカルナ、ロード、オルゲスの3人に増えたとて、恐らく3人ともある程度は自衛できるだろう。それに俺ら二人が加われば、数的有利を保ちつつ、盤石な守りを手に入れられる。その為に、なるべく早くレオニダスを倒さねばならない。


「では……行きましょう」


「おっけーい」


「ええ」


 この中で一番足の速いロードを先頭に、スケルトンの居るガーゴイル石像方面に行く。途中、英気を養っていた剣闘士達が俺たちに気づき、エールを送ってくれた。

 あるものは声を上げて頑張れと叫び、あるものは剣と盾を打ち鳴らして鼓舞し、またあるものは深々と一礼した。その中には勿論、オルゲスの姿もあった。


「壮観ね……悪く無い気分だわ」


「苦労した甲斐があるってもんだな」


 時間はないが、やる事は山ほどある。剣闘士一同に手を振って、ロードの後を追いかけた。


 赤き月の君臨まで、残り1時間56分……。

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