不定形な呪術騎士は『VR』を探し求める

平谷望

第一章 丘に響くは墓守の鎮魂歌

第1話 呪術騎士の誕生

 頬を撫でる風に、はっとして目を開ける。仮想世界にダイブしたと感じさせないほど、鮮明な感覚だ。五感に違和感がない。俺の意識はどうやら自室のベッドの上から何処かの小屋らしき場所に移っているようで、小屋に一箇所だけある開いた窓から、ほんのりと暖かい風が流れている。


 小屋の中には他に、クローゼットと鏡、机とその上にタイトルのない本が置いてあった。


「晴人も言ってたけど、とんでもない再現度だなぁ」


 自分にこのゲーム――ヴァリアント・レトリック、通称『VR』の情報を、販売数週間前から垂れ流し続けていた奇特な友人のニヤケ面が思い浮かぶ。それをデコピンで撃退して、軽く辺りを歩き回ってみた。


「……っうわ、びっくりした」


 俺が鏡の前を通った時、鏡の中に写っていたのは真っ黒な影の塊のようなもので、それがぬるりと急に現れたので、とてもではないが驚かずにはいられなかった。

 多分、キャラメイクだろうか?


 鏡に近づいて軽く一撫でしてみると、予想は間違っていなかったようで、影の塊は俺の姿に変わり、鏡に『キャラメイクを開始します』の文字が浮かんでいる。

 目、鼻、顎のライン、髭、髪、細かいところでは目尻やまつ毛の長さと量、揉み上げの長さなど、さまざまな部位を設定できるUIが表示されており、さらには種族設定で獣人や竜人やエルフにもなれるらしい。


「うわぁ、すごい……容姿の項目のシークバーが多いのはまだわかるけど、種族も中々多いな。人外もあるのか……あ」


 確かこのゲームは人型種族と魔物との戦いや調和など、『プレイヤーに委ねられた世界』を売りにしていたはず。晴人が言うには魔物陣営か人間陣営かをキャラメイクの段階で選べるだとか……。

 あいつ、絶対イケメンで速度極振りの二刀流にするよな……よし、魔物にしよう。見た目考えるの面倒だし。


 種族の数は圧倒的に魔物側が多いらしいけど、尻尾があったり腕が四本ある場合や、そもそも感覚器官がない場合があるので、リリース前に行われたVRのアンケートでは魔物陣営を選択するのが全体の18%という驚異の偏りを叩き出していた。


 これにはVRの広報も苦笑いで、理想は35%ほどを目指している、と言っていたが、事実今回のリリース時に選択された割合は22パーセント。上がってはいるが三割を切っていた。

 まあ、それはさておこう。


「種族多すぎじゃないか……? オークとかゾンビぐらいだと思ったらシーサーペントとかナーガとかローパーとかコアすぎるだろ」


 魔物は大半が手足がなかったり触手だったり、精神体だったりで、まともにプレイ出来そうなものはゴブリンやオーク、リザードマンぐらいだと思う。

 セイレーンやマーメイドなど、いかにも普通にプレイ出来そうな魔物もいたが、種族特性を見てみると、【死の声】や【眠り誘う唄】など、喋るという行為が無差別な攻撃になりかねない魔物だった。


「これは……人が減るわけだ」


 プレイヤーは基本的に種族と二つの職業を決められるのだが、魔物は、ほとんどの種族がマーメイドやセイレーンのようなマイナスな部分を消すために「言霊使い」や「歌手」を選んで声をバフに変えるなど、職業を一つないし二つ無駄にしなければ話にならない場合が多いようだ。

 職業……確か二つだけ選べて、特定の組み合わせで統合されて上位職になるとかなんとか……。


 発売から二日程の今の状況では、組み合わせは本当に運だと晴人は言っていた。剣士と盾士で騎士、火魔法使いと風魔法使いで風炎術師、盾士と盾士で重騎士など、組み合わせは数千にも登る。


「とはいえ、元の職業が多すぎるだろ……観光客とか、職業か?」


 道化師、詐欺師、清掃員、星占い師、大道芸人、庭師、漁師、猟師、罠師、研究員、教師、農民、細工師、商人、村長、奏者、歌手、調教師、山賊、野盗、泥棒……その他多くの職業と職業を組み合わせたら何になるかなど、もはや考えつかない。


 職業ごとの補正やスキルについても考えなくてはいけないし、プレイスタイルに応じて、一つを生産職にするかや、ネタ職に傾倒するかなども決めなければいけない。


 それらが全てプレイヤーの手の中に委ねられ、VRという箱庭の中でスーパーボールのように好き勝手に弾け回るのだ。言うのは簡単だが、予測不能に跳ねて回るプレイヤー達を管理する運営の苦労は並のものでは無い。


「取り敢えずはプレイヤーネーム……東堂慎二……シンジ、いや本名は良く無いかな。ランジ、レンジ、ライチ……ライチ、かなぁ」


 食ったことないけど。空白のプレイヤーネームにライチと入力する。enterを押すと名前が確定した。名前の被りは無かったようだ。

 性別は男にしておく。ここで女と書いても面白そうだが、どちらにせよ人外になる場合は性別があやふやになりそうだし、普通に男と入れることにした。


「種族……うーん、ここなんだよなぁ」


 プレイスタイルと相談しなければ、膨大な選択肢の中から満足するものを選べない。VRはサブアカウントを作ることが禁止行為に定められているので、よく考えなくてはいけない。


「俺、プレイヤースキルないから、奇抜な種族は……かといってカタツムリとかのネタ選んでもなぁ」


 絶対に人間と戦うことになるだろうし、自衛できないのは嫌だ。公式ホームページにはVRで死亡した際に、プレイヤーにキルされた場合は所持金、所持アイテムをそれぞれ三分の一ずつ落としてしまい、野良の魔物やNPCにキルされた場合は、一時間の間取得経験値とアイテムドロップ率が15%下がり、全ステータスが10パーセントダウンしてしまうと記載されている。


 魔物プレイヤーは人間と遭遇すれば場合によって戦闘になる可能性があるのだ。NPCにも、野良の魔物にも、プレイヤーにも狙われる。故に町にも入れない。この街にも入れないという点が魔物プレイヤーの数を絶対的に減らしていた。

 友達とプレイどころか街に入ることも、街に近づくこともできずにキルされてリスポーン、はいデスペナって悲しすぎるなぁ。


 VRは今から二日前から開始されているが、魔物プレイヤーの人口は八万人中22%。しかも、この中の大多数は前述の試練の如き魔物プレイに耐えられず早々に諦めてプレイを放棄してしまっている。

 それを加味すると、圧倒的な数の差だ。掲示板では、間違えて魔物プレイヤーを殺してしまったという人間の呟きや、喋れないから命乞いすらできず殺されたと嘆く魔物プレイヤー、問答無用で殺しにくる悪質な人間プレイヤーへの憤りなど、魔物プレイヤーへの風当たりは強い。


 特に、観光客を重ねる事でガイドという職業に就いたカタツムリのプレイヤーや、ピアノ奏者と細工師のレッサードラゴンなど、ネタに振り切ってプレーをしていた魔物プレイヤーの苦悩は尋常ではない。


 そう聞くと魔物を忌避して安易に人間側になろうかと思ってしまう自分もいるが、こんな現実を見て逆に面白そうだと思っている自分もいる。

 さて、問題はどうするか、なんだけれども……。


 悩みに悩み、考えに考えて、俺は種族を『シャドウスピリット』に、職業を「呪術師」「盾士」にする事にした。理由としては、打たれ強い種族かつプレイヤースキルが要らないような物、という俺の中の条件に、ぴったりとこの組み合わせはマッチするのだ。


 俺の理想のプレイングは盾で味方と自分を守りつつ、敵に毒や盲目デバフを延々とかけ続けて、魔法や武器で弱らせたところを叩く、というものだ。強いかどうかは別として、俺のプレイスタイルに合うこの組み合わせはなかなか面白い。実質、盾構えてるだけで敵が死ぬのだ。最高だろう。


 呪術師のデバフが効かない敵が出た場合、俺の戦力はほぼほぼ無くなるが、シャドウスピリットという種族はもともと魔法攻撃と魔法防御にステータスを極振りしている。種族特性に闇魔法が初期から中級のものを扱えるという魅力的な特典があることから、それは明らかだ。


 ……代わりに、特性として『属性魔法』に致命的に弱く、物理攻撃、俊敏、器用のステータスが最低レベルの数値になってしまうがな。


 それでもシャドウスピリットを選んだ最大の決め手は、種族特性の「精神体」である。


 「精神体」はHPが全損しても、MPが有ればそれをHPの代わりに出来る特性だ。つまり、実質体力が二倍以上あることになる。代わりに、MPが尽きたらHPがあっても即死すると書かれているが。

 さらに、デメリットとしてついてくる『影に生きるもの』のせいで日光を直接浴びるとスキルと魔法が一切使えず、スリップダメージを受けて死ぬという特性もあるが、それは盾士のジョブで鎧を着るなりして無効化することにする。……これで革の軽装とか渡されたら完全に詰むぞ。


「まあ、歩く要塞って感じでかっこいいし、いっか。こういうのは運に任せた方が面白くなるしな」


 シャドウスピリット以外にも、レイスやゴーストも居たが、彼らは物理攻撃完全無効の代わりに、物理干渉不可という魔法攻撃以外の攻撃が完全に不可能で、全身に装備をつけられないという制限がある。タンクになるのに攻撃が体を貫通して後衛に当たったらいかんでしょ、という事でボツだ。

 この設定でよろしいですかって……あ、そっか、魔物だから見た目の変更が出来ないのか。じゃ、オッケーでっと。


 いじれたとしても形とかかな?と意味のない事を考えながら、鏡に映るYESの文字をタップすると、ピン、と電子音がして、ステータスが確定しました、と表示が出た。


「お、ステータス……おぉ? ……え?」


ーーーーーーーーー

ライチ 男

シャドウスピリット族 種族Lv1 呪術騎士 職業Lv1

HP 270/270 MP 560/560


STR 1

VIT 100

AGI 1

DEX 10

MAG 260

MAGD 200


ステータスポイント0


【スキル】 SP0

「初級盾術1」「初級呪術1」「見切り1」「持久1」「詠唱加速1」「詠唱保持-」


【固有スキル】【種族特性】

「物理半無効」「魔法耐性脆弱:致命」「詠唱成功率最高」「浄化耐性脆弱:大」「魔法威力上昇:中」「MP回復速度上昇:中」「中級闇魔法1」「変形」「精神体」「影に生きるもの」


【装備】

左手

右手


ーーーーーーーーー


「呪術騎士か……完全に呪いの騎士って感じじゃないか」


 どうやら呪術師と盾士を組み合わせるとこのクラスに当たるらしい。同じ系統として暗黒騎士があるが、呪術騎士は説明を読む限り完全にデバフしか打てないようだ。暗黒騎士だと相手に被ダメージ増加や、盲目などの妨害魔法をかけることができる上、闇ダメージ軽減や、夜目などのバフ、攻撃魔法まで使えてしまう万能型だと聞いている。


 だが、呪術は既存のデバフに合わせて毒や混乱など、状態異常系の魔法が少し使える程度らしい。正直闇魔法が最初から使えるからついでに呪術も使うか、ぐらいの期待度だったが、まさか複合の職業になるとは……。

それはまあいいとして……なんだ、このステータス。


 俊敏と筋力の数値、驚異の1。器用は申し訳程度の10。生産職でも筋力は20はあると聞いているので、ショックというほかあるまい。代わりにぶっちぎりで高い耐久と魔力、抵抗の値……耐久は物理半減を加味すると200か。


 HPは低いが、特性があるから大丈夫……だと思いたい。何分MMOをあまりしない上、このゲームに関しては知識だけしかないので、不安である。

 でも、もう変えられないっぽいし……しゃあないか。自分でも適当だと思うが、血眼になって第一線に出たいと思っているわけでもないし、ゆるりとVRのイベントや戦闘を楽しめればいいなあと思ってるから、このくらい緩くてもいいか。


「目指すは攻略第1.5線で」


 そう呟くと、鏡に映っていた俺の姿が、水に溶けるように不鮮明になっていく。


「おおぉ!? なんだ、この感覚……体が……うーん? くすぐったいってか、違和感がある……」


 とても言葉には起こし難い感覚を経て、俺の体は俺の選んだ種族――シャドウスピリットの物になった。うーん、この姿をうまく形容するなら……黒い水溜りから生えてきた枝の少ない枯れ木?

 鏡で確認してみると、足は地面にある影の塊? の様な場所から一本で伸びており、頼りないほど細い胴体と、枝分かれした細かい影……多分手?いっぱいあるけど。


「これ、頭何処だ? ……もしかして、無い?」


 何処に目がついてるんだと思うが、ついていても多分位置は不定期に変わるだろうな、と思うくらい、この体は不安定だった。

 影よりも黒い、闇そのものと思われる漆黒の体。それは途轍もなく薄っぺらく、頼りない。光魔法や聖魔法なんて使われたら一発で昇天しそうな程だ。

 これ、タンク行けるかぁ? ……いや、マイナス思考は良くないか。やるしかないな。


 自分の体を、薄い影の先でペタペタと触りながら、決意を固める。どことなく……冷たい?いや、そんなことはないのか。よく分からない。


「ん? あ、装備はクローゼットの中ね」


 鏡に映るステータスの文字が消え、代わりにクローゼットに装備品があるという文字が書かれていた。そうと決まれば隣のクローゼットの扉に手をかけ……。


「硬ってえぇ!?」


 流石は筋力1といったところか、扉すら硬い。それを何とか全体重をかけて引っ張ると、軽い音を響かせてクローゼットが開いた。

 よしよし……おお、カッコイイ! 騎士の鎧じゃん! あ……これ俺着れ……る?


 扉にすら苦戦してたんだから、40キロは越しそうな鉄の鎧が着れるわけ……と思ったが、晴人が防具を装備するときの指標はVIT参照だと言っていたので、恐らく着れるはず……だ。


 うまーく鎧の隙間に体を滑り込ませて……。


「お」


 鎧の内側に滑り込んでも特に装備した感じはなかったが、鎧の中の「影」の中に張り付く感じで行くと、明確に装備できた感覚があった。どうやら原理的には鎧に「憑依」している感じらしい。


 胴体以外にも兜、籠手と憑依していくと、最終的に全身が騎士鎧に包まれた。耐久力以外にも持久力という面があるVITが高いためか、鎧を着てもそれほど体に負荷を感じない。だが、それよりも素晴らしい事があった。

 なるほど、中に入って着てるって訳じゃなくて、鎧の中の影に入り込んで憑依してるって感じだから、目の位置が兜の中じゃなくて兜そのものに付くのか。


 視界が悪くならないのは思わぬ誤算だった。しかし、まだ問題は残っている。盾と騎士剣は絶対無理だな……少なく見積もってもSTR80は要りそう。

 分厚く、切るというより叩きつけてへし折る事に重点を置いた分厚い騎士剣と、初期装備とは思えないほどしっかりとした作りをした方形の盾は、明らかに筋力1の俺には荷が重い。試しに持ってみるか――


「無理じゃん」


 剣は無理だ。重すぎる。全力で持とうとしてるのに余裕で地面に落ちた。鎧の重さを使って引っ張る事なら出来るが、持ち上げるのは多分無理だ。


「この分じゃ盾なんて絶対無理……あれ?」


 持てた。軽いというわけではなく、片手だとめちゃくちゃ重いが、持ちあげようと思えば普通に持ち上がる。少し考えて、スキル欄の初級盾術が影響しているのではないかと思った。

 スキルで補正がかかってるのか……えぇと、つまり最初にレベルを上げて取るスキルは鑑定とか便利そうなスキルを置き去りにして剣術……? 


 鎧をガチャガチャと鳴らしながら肩を落とす。気を抜いた隙に盾を落としそうになったが、気合いで踏ん張った。

 で、だ。この剣、どうするべきか。

 盾を背負って両手で引きずってくか? だっさいけど、それしか……ん?


 兜の眉間を抑えながら腰に手を当てると、それらしい作りの剣帯が付いていた。もしや、剣帯に収めれば重量が無くなる?

 いや、そんな馬鹿な話があるか。


「あるわ」


 いや、軽くなるんかい。と突っ込みたくなるが、鞘に収め剣帯に取り付けたなら、最早それは武器では無いよな。そういう解釈なら分からなくもない……というか、今現在ゲーム開始から三十分以上何もできていないんだが。

 未だゲーム開始できていないとか、もしやVRはクソゲー……? いや、まて。ネットでの評価は高かった。それを信じよう。


 よし、と拳を握って気合いを入れ直す。


「キャラクリエイト、初期装備入手ときたら、そろそろゲーム開始か?」


 取り敢えずこの部屋の最後のオブジェクト、机の上の本に近づいてみる。近づいてよく見てみると、本はいかにも高級そうな革の表紙で、題は無かった。

 多少の厚さを感じさせる本を開いてみると、白紙だった。


「……? また白紙か」


 二枚目、三枚目とめくっていこうと相変わらずページは真っ白。パラパラとめくり、遂に最後のページをめくると、そこには一言だけ、こう書いてあった。


「『お願いだ、見つけてくれ……Variant rhetoricを』?」


 なぜに急に英語?と疑問を抱いた瞬間、俺の視界は急速に眩しくなっていき、その眩しさに、思わず顔を覆った。

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