巨大ハムスター現る(後編)

ハムスターが地面につけている前足が見る間に太く長くなっていく。

高円たかまど!距離をとれ!五条、二種装備を使えっ」

「えっ、でもあれは」

「いいから、使え」

「怒ると大きくなるって、どんな生態してんだ」

 大路の後半の言葉は目の前の齧歯類に向けられたものだった。


 時間にして約30秒、ハムスターの変態は終わり、齧歯類は再度立ち上がると、その変容した身体を周囲の人間に見せつけた。

 その体長約5m。元の大きさより約1.5倍となった齧歯類は、口を大きく開けて、その二本の前歯をことさらに突きだしている。

「こいつ、威嚇してやがんのか」

 大路が独りごちたところに、ハムスターが四つん這いで突進してきた。

 大路はとっさに盾を展開し、その衝撃を受け止めようとしたが、捌ききれず、大きな衝撃音とともに20m後方の土産物屋のシャッターに激突した。


 にっくき相手を一人吹っ飛ばすことができたハムスターは、その標的を自分を縛った女性隊員に変えようとしていた。

 高円はその動きを察知するや、後方のパトカーめがけてダッシュし、その陰にまわりこんだ。

 ハムスターはその遮蔽物を気にもとめない様子で真っ直ぐに走り、パトカーの左側面に体当たりした。

 衝撃で真横に滑るパトカー。

 高円はパトカーごしに押し込まれ、後方のガードレールまで滑らされると、パトカーとガードレールの間でサンドイッチになる覚悟をした。

 そして、高円の背中にガードレールの感触が芽生えたその時、緑色の大きな機械の手がパトカーの車体を受け止めた。


「大丈夫ですか、高円先輩」

 緑の機体、その右肩につけられたスピーカーから五条の声が聞こえた。

 高円はやや頬をほころばせると、右方へ前転してパトカーから離れた。


 五条の乗っている機体は、二種装備「僧兵ろ号」。防衛隊が所有する機動装備である。

 その大きさこそ、眼前のハムスターには及ばないものの、頭頂高3.5m、二本足で歩行もしくは走ることができ、最高時速は80km、両手のマニュピレーターで各種装備を扱うことができる。

 もっとも、今この状況において「ろ号」は素手であった。

 五条は、腰をかがめて「ろ号」の重心を下げると、左足を大きく前に出し、ハムスターめがけて一直線にタックルを仕掛けた。

 ハムスターは立ち上がってこれを受け止めると、さながら大相撲のように、異形の齧歯類と緑のロボとの力比べとなった。

 ハムスターのうなり声と、ギアのきしむ音。

 それらが数秒続いたかと思うと、ハムスターはろ号の上に覆い被さるように、ろ号の背中に手をかけ、とがった二本の前歯を突き立てた。

 ハムスターの歯牙と合金とが当たった甲高い音が鳴り響いた。

 そして続くハムスターの悲鳴。

 ハムスター自慢の前歯2本のうち1本が無惨に折れたのだ。その口からは血がしたたっていた。


 痛みに耐えられなくなったのか、ハムスターは「ろ号」から離れてあとずさると、近くにあるものを手当たり次第に投げ始めた。

 池のふちの岩、壊したベンチ、臨場した警察官のバイク。

 五条は「ろ号」の放物線予測を加味しながらも、ほとんど自身の反射神経を頼りにそれらを避けた。

 バイクが地面に叩きつけられたときには、付近から警察官の悲鳴が聞こえた。


 さらに、ハムスターが、池の西方に据え付けられた自動販売機に手をかけたとき、五条は両手に装着されている電磁小手の出力を最大にし、眼前で手を交差させると、そのままの格好でハムスターに突進した。

 自動販売機の予想外の重さにやや手間取っていたハムスターは、その持ち上げが成功したことに満足感を覚えたが、その直後、胸元に強い衝撃を受けて、自動販売機を持ったまま仰向けに転倒した。


「うおおおおおおおっ」

 五条はハムスターの胸元に交差した腕をあてるや、相手をそのまま押し倒し、その動きが止まるまで出力を下げなかった。

 ハムスターの悲鳴と、五条の怒号とが数秒続いたのち、ハムスターの肢体からは力が抜け、口から泡を吹きだしていた。

 五条はハムスターの腹の上に乗ったまま、荒い息を整えていた。


「おうおう。やったねえ。五条クン」

 大路が右足を引きずりながら近づいてきた。大路の端正な顔は薄汚れ、口許から少し血が垂れていた。ポリカーボネートの盾は半壊し、ヘルメットのバイザーも割れていた。

「先輩、大丈夫ですか、動かない方が」

「へーき、平気。そこに救急車も来てるしね。それより、初実戦起動にしちゃよくやったね。まぁ、ちょっと修理は必要そうだけど」

 五条のHMDヘッドマウントディスプレイ上には故障を示す赤いエラーサインがいくつも出ていた。訓練では決してみることのできない表示だった。

「とりあえず、本部に状況を報告しておいたわ。といっても、あと数分で応援がこちらに到着するみたいだけど」

 高円が服の汚れをはたきながら、近づいてきた。

「オーケー、OK。じゃあ五条クン、今度こそそいつしばっちゃってくれる?」

 五条は腰につけた電磁捕縄を取り出すと、ハムスターの胴回り及び口、前足、両足を縛り上げた。

「じゃ、そいつを乗っけて帰りましょっか。五条クンは乗るとこないから、ろ号で走ってついてきてね」

「え、目立ちませんか」

「いいじゃんいいじゃん、正義のロボヒーローここにありって、奈良の人に見てもらおうよ」

「いや、僕はそんなつもりは」

「まぁ、いいからいいから」

 五条は改造アウトランダーが牽引していた荷台にハムスターを丸めて載せると、荷台に併走することとした。


 時刻は午前7時。

 奈良の街は朝焼けを受けて、まだ目覚めたばかりだった。

 平日の三条通りは道行く人も少なかったが、荷台に積まれた巨大ハムスターと、それに目を光らせている緑の巨体は、鮮烈な記憶を脳に焼き付けるに容易たやすかったようだ。

 登校途中の小学生が手を振っている。

 五条にヒーロー志向はなかったが、悪くないもんだ、とささやかな充足感を覚えた。

 五条は本部に向けて、「ろ号」の歩みを進めた。

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