第4話……厳しい日々と思い

 ぼんやりとでしか、実父が中皮腫の診断を下された経緯を語っていない。

 でも、それは楽観視し過ぎていた私には語る言葉を持ち合わせていないからだ。



 入院する前、二週間程度の滞在だった。それは肺に水がたまっているから抜かないとダメであり、持病である心疾患があるからだ。

 肺にたまっている水は、まるで小さな妖精が日々水やりをしているかのように、減ることはなかった。入院は長引き、誰もが首をひねった。


「もしかしたら……中皮腫、の疑いがあるので詳しく調べてみます」


 担当医が告げた。

 肺気胸で入院し、手術をして経過観察していた最中の息苦しさ。

 肺に水がたまっていることがわかった。

 治りが遅いのは、本人が仕事を選んでいるからなのか。

 それとも──担当医の目が確かなのか。


「従事した訳でもないのに、なんで担当医はそんなこと言うんやろ」


 そう実父の奥さんが言っていた。

 実父ははじめて聞く病名を、自らの妻に聞いたようだった。


「医者も本人ではなく、こっちに先ず話してくれたらええのに」


 そう呟いていたのを覚えている。

 担当医を責めているのではない。だって、考えられないからだ。今だって信じられない。


 担当医は迅速に動いてくれた。新型コロナウィルスで大混乱の中で、単純X線や胸部CT検査をしてくれ、さらに平行して生体検査などにも手をつけてくれたお陰で、その病院で診断は下された。


 悪性胸膜中皮腫。

 希少ガン、ではある。

 特定の原因は、アスベスト。

 それしかない。

 さらされない限り、かからないようなものだ。


 Googleで検索をすると、アスベスト被害の情報が真っ先にあがってくる。

 読むには目が滑ってしまい、はてなマークが脳を支配する説明がずっと連なる。

 これを書いている今も、その情報検索をしているけれど、噛み砕いて読めない。


 ただ、わかるのは、息苦しさを訴えていた症状に合致するということ。

 診断が下された時には、余命宣告を受けるようなもの。

 それでも、その時の私はやっぱり楽観視していた。


 ──しぶとい実父が、簡単に居なくなるわけない。




 さて、診断を下されたけれど……治療をするにはその病院では難しい。

 なぜか?

 希少ガンであり、放射線治療は無意味だと担当医は知っていた。

 また、人によっては抗がん剤治療が有効──余命を長引かせる手立てになることもある。だけれど、そうか否かの見極めは、ガン治療経験があったとしても難しいようだった。

 実績ある医師に診てもらうか、受け入れ経験のある病院で診てもらう方が、本人はもとより家族も少なからず安心を得られるだろうという配慮だ。


 世の中が未知のウィルスに曝されていなければ、もう少し早くに決まっていたと思う。


「すべて……すべての悪者はコロナたんや」


 そう実父の奥さんに話したのを覚えている。

 そんな印象を抱かせる人でもないのに、奥さんは寂しそうに笑っていたのも覚えている。

 気が強い、というか、弱点を見せないようにして生きる術を知っている人だと思っていた。人前で泣くよりも、冷静に行動して、後で存分に感傷にひたる人。そんなイメージを持っていた。

 ただ、その日から私の中でのイメージは少しずつ変わっていた。

 なるべく発注はできる限り以上のことをして、もしも感染者が来店しても二次感染、三次感染となって実父にいかないように気を配った。

 正直、毎日が精神的にも体力的にもきついと感じる瞬間が訪れる。


 ──マスクもせんと、笑ってる。自分は罹らないかもしれない。でも、衣服についたウィルスはどんだけ生存しているか知っとんかな……


 怖かった。

 私が感染してしまえば、回復したとしてもすぐには祖母にも、どうでもいいと感じていた実父にも会えない。

 最悪の場合、物言わぬ状況で対面となる。

 マスクの下で、唇を噛みしめては接客をしていた。

 ただ有難いことに、接客トラブルどころか、販売用マスクや除菌アルコールなどの問い合わせで忙殺されなかったこと。

 そうなっていたら、私は間違いなく、泣きながらキレていたと断言できる。


 毎日、毎日、実父と過ごした店に立ち続けた。

 縋りついて働いているとでも言えた。

 店のスタッフには、診断結果が出たとは言わずに、ただ詳しく調べるために入院が長引いていて、コロナの影響でさらに転院するかもしれない。

 そう話していた。

 悪者コロナたんは、ある意味利用しやすいものでもあった。


「転院先が決まったで!」


 奥さんがほんとうに嬉しさと安堵、希望を膨らませた顔で報告してきた。

 担当医からの告知、また実父の看護はなくとも衣服や差し入れの世話をしてきた疲れが報われたとも言える。


 一番は実父が苦しく、険しい道のりだろう。

 でも、それ以上に奥さんは寂しく、先が見えない道だったはずだ。

 どちらも比べてはいけないことはわかっている。

 私はただ、店に立っていただけの傍観者だから。

 ただどうしても言いたいというか、聞きたいことはある。

 実父以上に、奥さんには問うことは失礼だからできないけれど、聞きたいことがある。


『父と結婚して、あなたは幸せでしたか? 結婚=店の運営に父の病気。それでも、どうして一緒に居てくださったんですか』


 この問いを掛けることは、どうしてもはばかれる。

 だからこそ、私は傍観者なりに想像力を働かせ、胸にしまっている。







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